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視聴覚室の怪物
「日吉、頼む。助けてくれ!」
加藤が血相を変えて教室に飛び込んできた。放課後、僕はミクロ・テクノロジーによる画期的な治療法の確立に尽力したヤン・ベネシュ博士の生涯を描いた著書、『ミクロの決死圏に挑んだ男たち』を図書館から借りて読んでいた。
教室には僕の他にも塾や部活に行かずにだらだらと過ごしている連中が四、五人は残っていた。
なぜ僕なんだと思いながらも、どうせ僕じゃなきゃダメなのだろうと覚悟を決める。
一つには自慢ではないが、僕は良い奴だ。頼まれごとを無下に断りはしない。一つには博識で知られている。これは科学者である父と新聞記者の母によるところが大きい。
そして一番の理由は加藤はどういうわけだが、僕を兄のように慕い、弟のようにこき使う癖がある。小学三年生の時に出会ってから現在まで――予定では来年中学を卒業するまでの間は諦めるしかない。
加藤は僕の席まで駆け寄り「中村が大変なんだ。空いた口が塞がらないんだ」と耳打ちをした。
加藤の話はいつも要領を得ない。聞けば聞くほど正しさとは別の方向に話が向かう。ここは百聞は一見にしかず。
「わかった。他の奴に聞かれたくない事なのか?」
加藤は嬉しそうに二回頷く。一回目は僕が他人に聞かれたくないことを察したこと。もう一回は、さて、何を喜んでいるのか。あまり考えたくない。
「実は学校にバレるとヤバいんだ。なんせ使用禁止のあれを、うっかり……なぁ、だから内密に頼むよ」
道中、加藤はいつものもったいぶった口調で断片的な話しかしない。
加藤についていくと視聴覚室にたどり着く。加藤と中村は掃除当番で、悪ふざけをしていてトラブったらしいのだが……。
「あれを見てくれ。もう、空いた口が塞がらないとしか……」
僕はてっきり中村が顎を外して困窮している姿を思い描いていたのだが、それは見事に外れた。
顎は外れてはいなかった――外れていたのは常識だった。
「なっ、なんでこんなことに……」
僕は口をぽかんと開けるしかなかった。視聴覚室の壁に黒い、大きな物体がへばりついている。それは学生服を着た男子であり、かつて中村だったであろう別の何かであった。
強いて言えば巨大なゴキブリである。いや、昆虫とは言い難い。体はゴキブリ、頭は中村である。悪い冗談にしか見えない。
「なっ! 空いた口が塞がらないだろう?」
なんで嬉しそうなんだよ加藤。お前のその口を俺が塞いでやりたいよ。
「さてはお前ら、生徒使用禁止の転送装置を使ったな?」
加藤は首を大きく横に振ったが口では違うことを言った。
「俺じゃないよ。中村だよ」
混合物チェックをせずに転送すると稀に混合物と同化してしまう事故が起きるのだがなぜゴキブリなんだ。これじゃまるで……。
「カフカの変身みたいだろう?」
もう本当に、空いた口が塞がらなかった。
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