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短期バイト
僕は数年前の夏休みに短期で某施設の期間限定お化け屋敷でバイトをしたことがある。
仕事内容は至ってシンプル、客を驚かせること。
1日約8時間労働。衣装とメイクがあるため休憩時間もずっとお化け屋敷内にいなければならないのが辛いが、貴重な体験で楽しかった。
友達からは「本物のお化けはいた?」とよく聞かれる。
そんなの当然「いないよ」と答えるに決まっている。お化け屋敷は単なる作り物のエンターテインメントなのだから。
……でも実は、本物がいた。
その施設のお化け屋敷は、怪談調のストーリーを元にした一般的な日本家屋で、入り組んだ一本道の構造とその裏手にスタッフ用の動線がいくつも通っている。荷物もぎっしりあるから決して広くない場所で待機しつつ客が来たら驚かせていた。
この驚かしポイントが数箇所あって、それぞれ先輩や僕や同僚が持ち場としてそこに配属される。
その中でラストの1つ前に設定上開かずの間とされるポイントがある。ストーリーの山場だ。
構成では、この開かずの間に客が御札を貼って怪異を沈めるが、突然扉が開いて元凶たる幽霊が出現する、というもの。
だから本来であれば腕利きのベテランスタッフがここに配属されて驚かせるのに、この場所には基本誰もいない。
僕含め先輩も同僚もスタンバイしていないのにもかかわらず、客はしっかり泣き叫んで逃げていく。
バイトし始めた当初にこのことを知って僕はびっくりする以上に不思議に思った。
先輩に「なんで開かずの間には誰も配置してないんですか?」と聞いたら、
「……あそこにはリナさんがいるから大丈夫なんだよ」
と神妙な顔で言われた。
先輩曰く、そのリナさんとやらが本物の幽霊で客を驚かす仕事をしてくれているらしい。
にわかに信じ難いと苦そうに眉をひそめていたら
「お前も客として入って見ればわかるよ」
目を合わせないまま先輩に促された。
次の日の朝、オープン前に僕は一人でお化け屋敷に正規の入口から入った。
まだ他のスタッフはスタンバイしていないので各ポイントで驚かされることは無い。
スムーズに開かずの間までやってきた。
照明も全開なので怖さは微塵も感じない。むしろ暗いと分からないセットの作りの粗さが目立って気持ちが下がってしまう。
それでも昨日の先輩の言葉を信じて、入口でももらう御札を扉に貼り付けた。そして形式的に手を合わせる。
バンッ!
扉が外側に思いっきり開いた。
中は陰になっていて、見つめていると心が根こそぎ吸い取られてしまいそうな黒だった。
ズボンの裾とルーズソックスの間から入り込んだどんよりした冷気が太腿を駆け上がってきた。
靴の中まで凍りついたように動かせなくなって、産毛の一本一本まで逆立っていた。
釘付けになった目の前の黒色。
対照的な新雪の如き肌のほっそりした手が、力強く開いた扉の縁にしがみついてきた。
“あーあーあーまずいまずいまずいまずい。”
頭の中でとりとめもない言葉ばかりが堂々巡りで何も解決できない。
ナメクジみたいな動きで這い出す白い手。
「おーい! ○○どこ行ったー? 朝礼やるぞ〜!」
先輩の声が僕の全身を解凍してくれて、「はいいぃ!!」と返事しながらお化け屋敷の表まで逃げ帰った。
この時の話を休憩時間に先輩に話した。
「な? だからあそこは放っておけばいいんだよ」
そう軽く言った先輩だったが、机の下で激しく貧乏ゆすりをしていたのに気づいた。
詳しく聞こうとしたが、開かずの間の一部に廃墟から持ってきた材料を使っていると教えてくれたが、先輩はそれ以上は何も言わなかった。
その後「お化け屋敷の内情は他言無用」と言われたので友達には言えていない。
……最初に言った通り、客はあくまでエンターテインメントとしてお化け屋敷に来ているのだ。
本物がいる、なんて行ったら客は来なくなってしまうだろう。
あちこちのお化け屋敷に行くたびに、その時のことを思い出しては、全ての驚かし役が生きた人間であることを願っている。
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