壱 小弥太、男と出会うこと

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壱 小弥太、男と出会うこと

 小弥太がその男と最初に出会ったのは、徳川の世が終焉を迎えようとしていた時期の一歩手前、秋も深まった頃であった。  小弥太はその日、茸を取ろうと山に入った。  茸が群生している場所は、父親と小弥太の間の秘密の場所だ。他人に荒らされぬ為、誰にも知られぬように、村の者はおろか家族にすらその場所は知らせていない。  昨年、一昨年は父親と共に行った。すぐには判らないように隠された目印に沿って、茸の群生地まで辿り着いた。これは半分は山の神と獣達のものであるので、全て取ってはならぬと父親に厳しく命じられたのを覚えている。  今年は一人で行けるだろうと思い、意気揚々と山に入った小弥太だったが、これが失敗だった。  判ると思っていた道を見失った小弥太は、いつしか山の奥まで入り込んでしまっていた。戻ろうと思って歩けば歩く程、山道は知らない顔を見せた。 「あっ!」  しまった、と思った時は遅かった。狭く急な道を踏み外し、小弥太の小さな体は道の脇の勾配を滑り落ちて行った。 「痛てて……」  幸い勾配はそれ程長くはなかった。しかし、足をくじいてしまったらしく、痛みで歩くことが出来ない。気づくと陽は既に落ちかけており、周囲に宵闇が忍び寄りつつあった。 (どうしよう)  道は父親しか知らない。その道も、かなり逸れてしまっているので、父親にも探しようがないだろう。  このまま夜になれば、獣なども出て来る。この時期、冬ごもりを前にした熊などは、食べ物を集めている最中だ。食糧になる茸を取りに来たつもりが、獣の食糧になってしまう。  がさり、と藪が動く音がした。小弥太はびくりと体を固くした。獣だ。  藪をかき分け、現れたのは、しかし獣ではなかった。小弥太の目には、それは雲をつくような大男に見えた。実際、その男は身の丈六尺はあるかと思われた。  ボロボロに着古した着物に蓬髪を後ろで結び、無精髭が生えている。その腰には、一振りの刀が下がっていた。男はぎろり、と小弥太を見た。 「なんだ。(わっぱ)か」  低いが通る声だった。 「何故ここに居る」 「道に……迷った」  小弥太は震え声で答えた。この男が本当に人なのか、山に棲む鬼なのか判らなかった。 「そうか」  男は一言言うと、小弥太をひょいと抱え上げた。男は小弥太を担いだまま、山中を風のように歩いて行った。  男が小弥太を連れ帰ったのは、山中にひっそりと建つ掘っ立て小屋だった。元は猟師が使っていたものであろうと思われた。  男は慣れた手付きで中央の囲炉裏に火を起こした。小弥太のくじいた足に布切れを巻き、古ぼけた鍋に水と少しの米や野菜、小弥太が取った茸を適当に入れて煮る。  ここはこの男の住まいなのだろうか、と小弥太は考えた。人が住まう場所ではあるのだが、少し質素すぎるようにも思う。薪も水も食糧も、最低限しかないようだった。  やがて煮えた雑炊のようなものを、男はこれまた古びた椀に入れて差し出した。 「腹が減っているのだろう。食え」  言われるままに小弥太はそれを食った。決して旨いものではなかったが、それでも腹の足しにはなった。男は自分ではほとんど雑炊を食わず、大半は小弥太が食った。  その夜、小弥太は小屋の中にあったむしろにくるまって眠った。男は囲炉裏の傍に座ったまま、静かに目を閉じているのみだった。
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