波打ち際の線香花火

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「長谷川か」 「もう、長谷川じゃなくなっちゃうけど」 「……遠くからだけど聞こえたよ、おめでとう」 「……ありがとう」  中坊の頃とは違って、スムーズに話せている気がして、嬉しかった。そんな中、横顔を見ながらタバコの煙を吐く。長い睫毛は下を向いて、ちょうどウェディングのベールをかぶる角度がこのくらいだろうな。こんなタバコの白い汚れたモヤでなくて、シルクの綺麗な白いベールがかかっていたら、それはそれは綺麗だろうなと思った。 「……綺麗だろうな、ウェディングドレス」  酒は、時にいらないことを口から漏らす。嘘くさく女を褒めるチャラ男でもない俺が、なんてクサイことを言うんだと自分で自分が気持ち悪くなった。それが本当に思っていることだとしても、今言うことではない。これからも言うことではないし、俺が言うセリフでもない。 「あ、いや、変なこと言ってごめん」 「アハハ、ありがとう」  潮風で白い煙ったいモヤはすぐ流れていって、2人の間に流れるものは潮風と沈黙だけになった。自分の視界で悲しげに笑う長谷川が、はっきりと見えた。火のついてない線香花火を指でクルクルと回す。そんな横顔を見てすこし高鳴る胸は、飲みすぎた酒のせいか、蘇って来た淡い恋心か、分からなかった。飲みすぎた酒のせいにしたかった。 「寛太くんは結婚しないの?」 「うーん、まず相手がいないしな。いつかはしたいけど」 「……そんないいものじゃないよ、結婚って」 その言葉に、すこしどきりとした。可能性があるのか? と思った訳ではなかった。が、陰を落とす言い方は変に期待持たせるように感じた。つくづく俺は性格の悪いやつだなと自分で実感する。 「……マリッジブルーてやつ?」 「……そんなとこかな。ね、火、ちょうだい。」 「え……」  目の前に出されたのは、煙草ではなく線香花火だった。先ほど中坊の頃よりスムーズに話せる、なんて思っていた矢先、こんな少し近づいただけでドキッとする。やっぱり成長してないな、と思いながらライターで火をつける。ゆっくりと、ライターの火が線香花火に移る。  潮風に揺れる黒い髪は中学生の頃と変わっていなかった。まるでここだけ中学校の頃に戻ってしまったような感覚になったが、自分からするタバコの香りで現実に引き戻される。長谷川は、打ち寄せる波をただひたすら眺めてる。長谷川をじっと見つめているのも変だと思い、ただ波を見てタバコを吸う。2人の間に、沈黙が流れた。 「私、中学生の頃、寛太くんのこと好きだったんだよ」 「……え」  そんな唐突な言葉にすこし動揺しつつも、長谷川のほうを向く。取り繕うかのようにとっさに出て来た言葉は、自分でもかっこわるいと思った。 「中学生んとき言ってくれればよかったのに」  ハハ、と文字だけで笑うようにタバコを吸う。隣にいる長谷川はもう婚約者がいて、しあわせな花嫁だというのに何故か胸が高鳴る。タバコを吸う息も、何故か深くなる。肺いっぱいにすったタバコの煙は何一つとして自分の心を落ち着かせてくれなかった。 「……言ってたら、なんか変わったのかな」  遠くの花火の火と、タバコの火だけでぼんやり浮かんでいる長谷川の顔は、白くて、まるで中学生の頃となんら変わりはなく綺麗であった。線香花火が、パチパチと弾け始める。弾ける玉を見る長谷川は、悲しげに見えた。それこそ、自分の願望も入っているのかもしれないが。花嫁ってのは、もっと幸せいっぱいではないのか。 「変わっ……」  変わってた、と言ったら、どうなるだろうか。変わってないよ、と言ったら、寂しげな顔をさせてしまうだろうか。  『変わってないよ。いまの婚約者と幸せにな』『変わってたよ、今からも変えられるよ』……どちらにせよ言わなかった……いや、言えなかったのはただ自分が弱いだけだと思う。そんなことも言えない俺には、長谷川の手を取って奪うなんて度胸があるはずもないのだ。ましてや、奪われたいだなんて長谷川自身も思ってないはずである。 「……どうだろうな」 「……変わってたら、良かったな」  ポツリと長谷川が呟いた。ただ火花が散る線香花火を見つめる長谷川は、とても悲しげだった。そんな悲しい顔をさせる婚約者に何故か苛立ちながら、中学生の頃の淡い恋心を打ち明けられただけで、ただの会社員の、ただの元クラスメイトの自分に何が出来るのかと、ただ、だんだん大きくなっていく線香花火の玉を眺めていた。
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