波打ち際の線香花火

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「……」  何も話す事がなく、ただ打ち寄せる波とパチパチと弾ける線香花火を眺めるだけであった。細い指につままれた線香花火は、風が吹けばふらりと揺れる。 「寛太くん」  大きくなった玉が、波に落ちる。クラスメイトの遠く聞こえる喧騒と、波の音の中に綺麗な声が響いた。 「お盆に海に入ると幽霊に連れてかれちゃうんだよ」  もしかしたら、長谷川も中学校の頃の話を覚えててくれてたのかと、どきりとする。お盆近くはクラゲが増えるから、子供たちが海に入らないよう言った迷信だとか色々説はある。そんなことは今どうでもいいのだが、切なげな長谷川は、本当に連れて行かれそうであった。 「……連れて行かれないよ」  そういうと、長谷川はまゆを少し垂らして、ふふ、と綺麗に微笑む。高価そうなシンプルなサンダルを雑に脱ぐと、長谷川が海に足をつけた。 「昔も、こんなこと言ってたよね。ねえ、覚えてる?」  もちろん、俺が覚えていないはずがない。しかし、そんな無言の俺に何故か残念そうな顔で微笑んだ。  長谷川は、そのままザバザバと海に進む。臆することなく、スカートが濡れるのもきにする様子もなく太ももまで浸かってしまった。  そんな長谷川にすこし焦りながら、危ないと声に出す前にタバコが口から落ちる。ジュ、と赤い火が消える。火がなくなった2人の間に、浜から攫われて流れていくサンダルと綺麗になびく白いワンピースがぼんやりと浮かんでいる。海に佇む長谷川は、中学生のまま可憐さを持ちながら艶やかさもある。黒い髪は深い藍色の夜空に溶けた。綺麗だ、というだけでは陳腐だと思うほど、綺麗だった。 「長谷川! 危ないよ」 「冷たくて気持ちいいよ」  そのまま流されていってしまうのではないかという儚さと、脆さと、奥にある凛とした芯は俺の鼓動を早くさせた。夏、酒、張り付く汗と高鳴る鼓動は正常は判断を阻害する。長谷川の、彼女の一言一句が、今は怖かった。何か、自分が間違った判断をしてしまいそうで。  自分の心の中の、何かが大きくなる。気付いてはいけないものが、いけなかったものが、のさばってくる。2人の間に沈黙が流れる。 「寛太くん」  遠くの喧騒と、波の音、蝉の声。タバコの心もとない明かりが落ちた時、彼女の声だけが、頭の中に綺麗に、静かに、……切なげに響く。  「連れていってよ」  俺へと伸ばした手は月明かりに照らされ、波にさらわれたタバコが、彼女の足元に届いた。
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