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抱き枕がないと眠れません
「……一大事だ。寝れるかどうか……」
一人の男が寝室のベッドの上でそう呟いた。
今まで寝る時に使っていたある物が壊れてしまい使えなくなってしまったのだ。
それは彼──高橋貴音にとっては一大事で、これがないだけでまともに眠れなくなってしまうほど。
「新しいのを探すか」
彼はスマホを手に取り、色々な通販サイトで同じ物があるかどうか探した。
☆ ☆ ☆
「有栖、おはよ……」
結局一睡もできなかったようで、今にも眠ってしまいそうなくらい目をショボショボさせながら朝食を食べるために自宅のリビングまで来た。
リビングにはすでに朝食の準備ができており、トーストやハムエッグなどが机に並んでおり洋食中心になっている。
「おはよう……て、兄さん、目が酷いです」
妹である高橋有栖は、貴音のことを見てそう言わずにはいられなかった。
目にクマが出来ており、半目な状態だからだ。
「瞼が重力に負けるー」
「そんなわけありません。さあ、食べますよ」
先ほどまで有栖が朝食を作っていたのか、制服の上から着ていたエプロンを脱いで椅子の上に座る。
眠そうにしている貴音も椅子に座り、トーストにマーガリンを塗っていく。
塗り終わると有栖にバターナイフを渡して、彼女もトーストにマーガリンを塗る。
「おやすみなさい」
「何でそのセリフを言いながら食べるんですか?」
貴音の目は閉じているものの、しっかりとトーストを食べている。
そんな様子を見て呆れて物も言えなくなっている有栖。
「そんなジト目だとせっかくの綺麗な瞳が台無しだぞ」
「目を閉じて言われても嬉しくないですよ」
貴音の言う通り、有栖の瞳は綺麗な赤色だ。
そして肌や髪は白くてとても日本人とは思えないような容姿。
特に海外の血が混ざっているわけではないのだが、そんな容姿をしているのには理由がある。
それは有栖が先天性白皮症という遺伝子疾患だからだ。
先天性白皮症はメラニン沈着組織の色素欠乏のせいで肌や髪は白くなり、瞳は淡紅色になってしまう。
「それにしても時間がたつのは早いですね。今日で私達が兄妹になってもう十年です」
「よく覚えているね」
「当たり前です。両親の結婚記念日でもあるのですから覚えていて当然ですよ」
二人は血の繋がった兄妹ではない。親が再婚した時の連れ子だ。
だからか、二人の容姿はかなり違う。
貴音はどこにでもいるような高校生といった感じだが、有栖はまるでアニメの世界から来たかのようだ。
アニメの世界から来た……もちろん実際にそんなことはないが、それに相応しい容姿をしている。
長いまつ毛に大きくて綺麗な瞳、透き通るような白い肌は誰もが見惚れてしまうだろう。
そして腰まで伸びた綺麗な銀髪が一番の特徴で、脱色では決して出すことができない髪はとても神秘的だ。
「その両親は愛する子供を置いて旅行に行ったんだっけか?」
「そうですね。朝早くから行きましたよ」
今日で結婚して十年になるので二人の両親は有給を取って、行けなかった新婚旅行をしてくるらしい。
今まで溜まっていた有給をほとんど使って、色んな国に行くと少し前に言われて二人は驚いた。
「仕事で忙しくてほとんど旅行とか行けてなかったのですしいい機会です。いっぱい楽しんできてもらいましょう」
「俺も有給使って学校休む」
一睡もできなかった貴音は学校に行きたくない気持ちでいっぱいである。
「学校に有給という制度はないのですからきちんと行ってくださいね」
「じゃあ無給で休む」
その言葉を聞いて有栖は、どれだけ休みたいんですか? と、手を額に当てながらそんなことを呟いた。
「それで何でそんなに眠そうなんですか?」
それは当然な質問だ。
今まで眠そうにしているとこを見たことがないのだから、疑問に思っているのだろう。
「抱き枕が壊れてしまったんだよ」
「は?」
思ってもみなかった回答で有栖の目が見開く。
「俺が抱き枕がないと寝れないの知っているだろう」
貴音は昔から抱き枕がないと寝れない体質で、それがないだけで一睡もできなくなってしまうほどだ。
それは幼い頃に母親に抱きついて寝ていた影響が大きい。
その結果がこれだ。
「いやいや、てか抱き枕って壊れるものなんですか?」
「昨日の夜に抱きついたら中の羽毛が飛び散って壊れた」
有栖はさらに目を見開いてはあぁ? と叫んでしまった。
抱き枕は名前の通り抱きしめる物なので、それで何で壊れるのだろう……と、思ったようだ。
朝食を食べ終わると重い足を上げて学校に向かう。
もう六月になり衣替えの季節になったために、貴音の制服は半袖のワイシャツだ。
一方、有栖の制服は衣替えのはずなのにクリーム色の長袖を着ていて、他の人からしたら暑いだろうと思うかもしれない。
でも、有栖は強い日差しを長時間浴びると最悪火傷をしてしまう可能性があるので、学校側から許可を取っているので長袖だ。
「日差しが強いです」
温暖化の影響なのか、例年より今年は暑くなるとの予想がでている。
事実、まだ六月に入ったばかりなのに今日の予想最高気温は二五度を優に超えるそうだ。
そのせいで有栖は外に出ると必ず日傘が必要となる。
「日差しより瞼にかかる重力には逆らえない」
「それには逆らえ」
今まで丁寧な口調だった有栖だったが、兄の情けない姿を見ていつもより厳しめな口調になってしまった。
有栖の身体の関係があるために、二人が通う高校は歩いて徒歩五分のとこにある。
貴音の方が学年は一つ上だが、受験の時に二人してここに入ろうと決めてこの学校にした。
家を出てから丁度五分……二人は学校に着く。
校門には私立美浜学園と書かれていて、ここが二人の通う学校だ。
この美浜学園は美しい海と砂浜が近くにことからその名がつき、制服も可愛いと女子から人気のあるとこで、女子の割合が少し多い。
「では、また後でです」
「ういー」
「学校なんだからシャキッとしてください」
「いしゃい」
有栖は貴音の頬をつねってから自分の教室へと向かって行った。
「おはよ~……」
貴音は教室に入って挨拶だけしてして机に突っ伏してしまう。
学校について力尽きてしまったのか今にも眠ってしまいそうだが、抱き枕がないために眠ることが全くできない。
でも、目を開けているのは辛いので、机に突っ伏して目を瞑ることが今できる精一杯なことだ。
予鈴が鳴って担任が入ってきたので、教室内で話していた生徒達は席に着く。
そして……。
「高橋、気分が悪いなら保健室に行ってきなさい」
教室に入ってきての第一声がそれだった。
でも、先生にそう言われても微動だにしない。
寝ているわけではないが、眠すぎて頭に入ってこないだけである。
「取り合えず保健委員は保健室に連れてってあげなさい」
「でも、私じゃあ難しいです」
このクラスの保険委員は女性なので、男性である貴音を連れて保健室に連れて行くのは厳しいだろう。
貴音が動くことができたら大丈夫だろうが、今は微動だにしていないので誰かの肩くらいは貸してあげる必要がある。
「自分が連れて行きますよ」
一人の男子生徒が手を上げた。
貴音の友人である斎藤一馬で、中学の頃からの友人で貴音の良き理解者である。
華奢な身体の貴音と違いガタイが良く、頼りがいのある人物で先生からも信頼されている。
「わかった。勉強したくないからってサボるんじゃないぞ、斎藤」
訂正。勉強に関しては全く信頼されていない。
貴音は一馬の肩を借りて保健室まで連れていかれた。
保健室についても先生がいなかったので、貴音はそのままにベッドに入って休む。
「え?」
ベッドから貴音とは違う声がした。
でも、貴音は眠気がピークに達しておりその声が聞こえておらず、目を瞑っているので姿も見えない。
「うん……なんか離れた方がいい気がしてきた」
先にベッドに入っていた女子生徒は危険を感じて離れようとするが、それは叶わなかった。
「な?」
貴音が女子生徒に抱きついてきたのだ。
「抱き枕~」
「私は抱き枕じゃないよー」
離れようと抵抗するが、しっかりと抑えられて離れることができない。
でも、貴音は女子生徒を抱き枕だと思っていてそのまま寝てしまった。
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