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   その日の夕方、大学院に隣接する研究室の扉をガツッ、ガツッとノックしてくる音はかなり控えめだった。  指示した時刻ぴったりではないが、その響きの調子からは、根拠のない自信に満ちている生意気盛りな学生に特有の 「 言われた通り来てやったぞ 」 と開き直るような無遠慮さはうかがえない。 「 入りたまえ 」  教授は威厳に満ちた声で応じ、同時に心の中で小さく安堵(あんど)した。  学生の反骨心というものは実に様々な行動の中に現れるが、むやみに攻撃的で教導される事を頭から拒む種類の若者であれば決してああいう叩き方をしないものだ。  この分ならば、才能の伸ばし方を勘違いしている教え子へのアドバイスが徒労に終わる事はないだろう ‥‥‥ 。    ◇ 「 し、失礼します 」  首の全体をそれと判るほどすくめ気味にして、一人の学生が入ってきた。  大人数の中で機械的にノートを取りながら聴いていれば良い通常講義とは違って、採点結果の通知面談は教授と学生の一対一だ。  どうやら目上の相手と話すのに慣れていないようで、緊張で首だけでなく、体も不必要に硬く小さく縮こまっているように見える。  まるで軸測(じくそく)防御の体勢でも取っているみたいじゃないか ‥‥‥  この様子では言い方に気を付けないといかんかもしれんな、と教授は意識的に声の張りを抑えて態度を(やわ)らげようとした。 個性や感受性を無視した過度の訓戒(くんかい)で学究意欲そのものを失わせてしまっては、元も子もない。  教授は言葉を選んで話し始める。 「 君が提出した作品を ‥‥‥ あー、小説を ‥‥‥ 読んだよ。 先に言っておくと、悪くない 」  学生の顔に血の気が戻るまで待ってから、肝心な部分へと続けていく。 「 だがこの感想はあくまで、風変わりで興味深いという域に留まるものだ。 つまり、正統的な現代文学としての高い評価までを意味するものではない。 私としては、今期の課題にはもうひとつ別の作品を書いてみる事をすすめるよ 」  そう言い渡された学生の肩の上部周辺が、失望によっておののく(さま)を教授は冷静に見守った。 おそらくは背面や手足までもが、精神性ショックと自己憐憫(じこれんびん)がもたらす内因的震動に見舞われているに違いない。 書き上げた作品を否定されるのは悔しいし、(つら)いものだ ‥‥‥ それが、読み手を楽しませたかどうかではなく、学業の成就(じょうじゅ)を左右する大きな判断材料とされてしまう場合には特に。 「 どうかね ? 」 「 ‥‥‥ 」  返事をせず黙り込んでしまった学生から何とかして反応を引き出そうと、教授は著者である学生自身に作品を語らせる事で助言者から聞き手に回ろうとした。  冊子の形にまとめられている手元の課題を学生の目の前に置きなおし、大きく印字されたタイトル部分を穏やかに指し示してやる。 「 君の作品だ。 あー ‥‥‥『 俺が転生したら魔龍剣聖王レベル 5 (がい)だったのでどう戦っても圧勝するから戦闘封印して世界をクイズと料理だけで救うつもりでいたのに寝て起きたら魔王だけでなく神までもが自発的に降伏していた展開からの二周目プレイ !! 』 ‥‥‥ 空想が悪いと言っているわけではないという点を理解してほしいんだ ‥‥‥ これは空想小説だね ? 」 「 いいえ、転生クラッチ式コア異世界ファンタジーです ‥‥‥ ! 」  ここは(ゆず)れない、といった(かたく)なさを帯びた語気で学生は訂正した。 「 主人公は全然パッとしない平凡な少年なんですけど、この世界で不運にも死んでしまって、だけど、絶対強力無比の神チートな神スキルを得て異世界に転生するんです。 そこは全てが、そう、本当に文字通りが、少年が元に暮らしていた所とは違っていて、そこで人間の築き上げた異質な法則の世界は ‥‥‥ せ、世界は ‥‥‥ 」 「 ‥‥‥ 」 「 世界は ‥‥‥ ええと ‥‥‥ 」 「 失われた命が記憶と自我(じが)を保ったまま別の時空で復活するかどうかは、こんな取るに足りん課題のテーマとしてはいささか深遠すぎると思わんかね 」  教授の見せる親しげな苦笑(くしょう)の中に若い世代へ向けられたある種のいたわりを読み取って、学生の眼差(まなざ)しにゆっくりと落ち着きが戻っていく。 「 “ 異世界 ” という物語の舞台にしても、残念ながら科学的にはまだまだ概念上の存在に過ぎない。 そういった奔放(ほんぽう)な想像力の産物よりも、私の講義で今回求めている文学はより身近で一般に共感しやすく理解されやすいもの ─── どう表現するべきかな、もっとこう ‥‥‥ うーむ、言わば ‥‥‥ そうだな ‥‥‥ 」  ありふれた建築様式の天井を見上げ、相手と自らを代わるがわる指差し、国定教材書籍の並ぶ本棚を背に、ゆったり腕を広げる。  こんな感じで、珍しさとは無縁の、どこにでも存在していそうな ─── 「 ‥‥‥ 普通の ? 」  学生の体から気構えが消えて、素直さのある口調でごく自然に発せられた一語が、根気良く悩む振りを続ける教授の発言を引き取った。  ─── 普通 ─── 。  その言葉を学生から自発的に、そして肯定的に口にさせた時、説得は完了していた。  学生は翻意(ほんい)して、課題を書き直すだろう。 普通の小説を。  後はもう、教授はうなずくだけで良かった。      ◇      ◇      ◇ ‥‥‥ やれやれ、課題として大真面目で提出して来るのが、なんと異世界ファンタジーとは! 参ったな!  この有り様では現代純文学もいずれライトノベル辺りの新興カルチャーと一緒にされて、両者の区別がつかなくなる日が来るのかもしれない ‥‥‥ 学生の去った研究室で、再び一人に戻った教授は全ての側腕をがさがさと頭上に集めて球形の空間力場を作るとその中心に溜め息混じりの背髄(はいずい)酸を噴き出し、次いで()()()を巻いていた胴体の内圧をゆるめつつ主脚の何本かを壁面に粘着させて普段通りに体を中空に固定した。 取りあえずリラックスするために冷発光を始めた副頭蓋(ずがい)電誘鱗(でんゆうりん)数枚を羽ばたかせたまま、極短波色調を含んだ念動イルミネーションをぼんやりと楽しむ事にする。  廊下に面した採光窓から何色かの明かりがもれ入って来るのは、やや不本意ながらも落第を(まぬが)れる機会を得てホッとした学生の放つ順諾(じゅんだく)性パルスフレアだろう。 元気を失っているわけではない事は、殻脈関節の蠕動(ぜんどう)倍音が際立つ立ち去り方からも明らかだ。  しかし 『 人間 』 とは ‥‥‥ また奇妙な生物を考え出したものだなあ。 もしもそんな生命体が実際に息づいていて、あの物語と世界がどこかに存在しているとしたら ‥‥‥‥ ‥‥‥ いやいや馬鹿げている、と教授は不覚にも空想しかかる自分を心の中でたしなめた。  この世界だろうと異世界だろうと、耳と眼が偶数の生物など有り得ない。           【 終わり 】 
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