第2話 つかの間の栄光

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第2話 つかの間の栄光

 自分の夢にようやく近付いたというのに、人生は上手くいかないものだ。そうルイスの頭に、何度も過ぎ去った事だろう。  折角、自分の部屋にわざわざ作った抜け道を通り、その途中で出くわしたイオンを説得してスピナッチの闘技場へ来たというのに、世界一の格闘家になる夢はここで閉ざされてしまうのか。  目の前に、家やら王やらの理由で無理矢理決められた婚姻者であるエイミーがいる。まだ朝方だというのに、何故彼女がいるのだろうか。  豪華な貴婦人服を身に纏いながらの立ち振る舞い等、高貴の雰囲気を放つ少女。その少女は婚約者であるルイス、そしてその家来であるイオンの方を向く。 「ルイス様、今日は素晴らしい朝ですわね」  と、エイミーは笑顔を作りルイスと挨拶を交わそうとする。ルイスを好いているエイミーにとっては、確かに素晴らしい日であろう。  だが、これはエイミーだけの話である。ルイスにとっては、この上ない悲しさと絶望の気持ちばかりが積もる最悪の日なのだ。 「しかしルイス様。まさか、こんな辺鄙な地にいらっしゃるとは思いもしませんでしたわ。これはやはり、私とルイス様は赤い赤い糸で結ばれているのですわね」 「誰がお前と結ばれるか!」  ルイスはエイミーと繋がっているであろう赤い糸の存在を、完全に否定した。いや、好きな人となら結ばれてもいい。だが、彼女だけはお断りしたい。  ついにルイスは、エイミーの顔を見ないようにそっぽを向いた。もう、話の一つもしたくないのだろう。  それに気付いたエイミーは、側にいた家来であるイオンに近付く。エイミーが近付くと、イオンは深々と頭を下げた。それを良い事に、エイミーはイオンを上斜めから見下ろしたのだった。 「貴方はグローヴァー伯爵家の家来で、ルイス様専属の護衛用人ですわよね?」  そう聞かれ、イオンは返事を交わしながら頷く。するとエイミーはイオンを鼻で笑い、再びイオンの頭上から話を始めた。 「では、私とルイス様が婚約を交わせば、貴方は必然的にルイス様と私の専属家来になるのですわね。沢山使ってあげますわ。喜びなさい」 「…………」  無言な所、彼の返事は否定的なのだろう。しかし、家来人と公爵令嬢――身分が違い過ぎる為の敢えての沈黙。ルイスはこの意味が薄々分かったが、彼より上の身分であるエイミーは了承したと思ったのだろう。涼しい笑顔を浮かべていた。  そんな行動をエイミーから見せつけられたイオンは、良い思いをしなかった。それは、側で見ていたルイスが感じるぐらいだ。 「ではルイス様。私と一緒に、ソレイユの屋敷までご一緒に……」 「だが、断る!」  エイミーの隙間を付いたルイスはイオンの手首をそっと掴み、エイミーの言葉達を交わしながら闘技場を後にした。それはそれは、エイミーがルイスを止める時間が無い程の速さで。 「ちょっと、ルイス様!」  引き止めようとしたが、ルイスは完全に無視の無視。イオンもエイミーと関わりたくないのか、ルイスの行動に従う。  エイミーは追いかけようとしたが、既にルイスとイオンは見えなくなっていった。見えなくなると、エイミーは諦めざるを得なかった。そして小さな溜め息を吐くと、辺りを見渡しながら呟く。 「ノエル、どういう事ですの? 話が違っていますわよ?」  どのくらい走ったのだろうか。いるはずのないエイミーがいた闘技場から、イオンが買い物をした武具屋のある市場の通りを抜け、畔道を駆けった。  ふと気が付くと闘技場が見えない所まで来てしまった。しかも、日が上る前に歩いた道の景色と全く同じ場所に。 「ここ、さっきの看板の所じゃん」  無我夢中で走っていたルイスは、息を整えながらイオンに尋ねる。尋ねられたイオンは、フォッグ城下とスピナッチの分岐する道だということに気付く。 「ルイス様、あなたという人は……」  イオンはそう言うと微笑を浮かべた。この笑みは、イオンがルイスらしさを確認した時に見せるもの。 「なんだよイオン。ここまで来て笑う事があるのか?」  頬を膨らませルイスがイオンに笑った事を抗議すると、イオンは宥めるように話す。 「ルイス様ごめんなさい。ここはさっきの場所ですね。フォッグ城下とスピナッチ、そしてツツジの集落への分岐点……」  今日の明朝の突拍子的な出来事が流れる様に思い出される。前に通った時は明け方だったのに、今は太陽が姿を現わし人々を温く照らす。 「今、ツツジの集落って言ったよな?」 「言いましたけど……」  イオンがそう答えると、先程の疲れた顔から一変。ルイスの表情が明るく輝いた。 「なあ、ツツジの集落に行ってカイさんに会おうぜ!」  ルイスが明るくなったのは言うまでも無い。ツツジの集落に、格闘技のいろはを教えてくれた師匠であるカイが暮らしているからだ。  カイがツツジの集落に暮らし始めたのは、丁度ルイスの母が亡くなった後だった。そのせいか頻繁には会えなくなってはいたが、ルイスが度々郊外に出ては、フォッグ城下にこっそりと遊びに来ていたカイに指導を受けていた。ついでに言うと、イオンもまたカイに剣術を習っていたのだ。 「ツツジの集落ですか?」  しかし、イオンはツツジの集落へ行く事を拒む素振りを見せた。その様子に気付いたルイスは、どうしてかと尋ねる。すると、イオンはその理由を話す。 「あの集落は、行かない方が良いですよ」 「どうしてだよ?」  ルイスが問い質すが、イオンは理由を言うのを渋り始めた。理由はあるが、ルイスには言えないのだろう。当然、ルイスにとっては理由が不明という事になるだろう。しかし、それを分かっていてもイオンは語る事をしなかった。 「理由が無いなら、ツツジの集落に行こうぜ!」  そう言い、ルイスはツツジの集落への道を歩き始めた。黙秘をしていたイオンだったが、早く来いと急かすルイスを溜め息を吐きながら追いかけたのだった。  ツツジの集落は岩山で周りを囲っており、その岩山の内側には竹薮が集落を覆っている大きな村だ。その村にツツジの民が暮らしている。ツツジの民と括られているのは、彼らは普通のマンナとかなり違うからだ。  ツツジの民は特殊な力を持っているのだ。この大地の要となっているマナを管理するのは精霊だが、その精霊と契約を結びその力を擬似的に得る事が出来る能力を――召喚技術という精霊を呼び出す能力を持っている。  それ故に、ツツジの民は他のマンナから忌み嫌われの対象となっている。それらは大きな力を持つ、彼らへの恐怖心から生まれたのだろう。しかし、ハーフファイリーと比べれば、マンナというだけあって扱いは酷くない。  それにしても思った以上に広い集落だ。岩山の門を抜け竹薮に着いたというのに、マンナが住んでいる家を一つも見ない。もしかすると、シュヴァルツで一番大きな都市と言われているフォッグ城下よりも広いかもしれない。  そうこう考えている内に、道の側に並んでいた竹薮が段々と少なくなっていっている。もう少しで集落に着くのだろうか。ルイスはその嬉しさに心を弾ませると、歩く速さを高めた。 「あ、あれは?」  ルイスの背後を歩くイオンは、木で作られた建物達と影二つを見つけた。近付いてみると、影がこちらに向かって歩いて来ている。 「あっ、カイさん!」  影の正体は、ルイスが師匠と呼んで仲良くしているカイと、空色の長い髪を持つ女だった。黒い髪を一つに結んでいる青年――カイと女は、近付いて来るルイスとイオンを歓迎した。 「ルイス、お前は抜け出すのが習慣になっているな」  カイは微笑をしながら、そう話す。勿論、ルイスにとっては面白い話では無い為、ルイスは頬を膨らまし、そっぽを向く。 「カイさん、こんにちは」  イオンも、剣術の師匠であるカイに挨拶を交わす。ルイスの背後にいるイオンを見るや、カイは一瞬だが驚いた表情でイオンを眺める。 「イオンも来ていたのか。いや、ルイスは本当にイオンに迷惑をかけっ放しだな」  イオンがこうやってルイスに付き添うのは珍しくない。一瞬驚きはしたが、カイにとって二人は可愛い弟分なのだろう。 「はい。ルイス様はとても腕白な方です」 「イオンまで俺のこと……」  イオンまでも、自分をいたずらの激しい者と言った事に、ルイスは衝撃を受け落ち込み始めた。それを見たイオンは、すかさずルイスを宥める。宥められたルイスは、小さな溜め息を吐く。 「てか、カイさん。隣りの女の人は一体誰だよ?」  カイの後ろの見知らぬ女性は一体誰だろうか。見た所、肌は色白で雰囲気もおとしやかで、若く美しい大人の女性と思える。  しかし、こうやってカイに付き添っている所を見ると、カイの恋人なのだろうか。年齢も同じくらいで、言いたくないが少しお似合いである。 「貴方がルイスくんね。私はアニタ、アニタ・ギゼよ。カイとは昔からの友達よ」  見た目とは裏腹に、幼い声色を持つ彼女はアニタというらしい。そしてどうやら、カイとは友達という事のようだ。 「友達ねえ……」  しかし、ルイスは二人の仲を疑ってかかる。言いたくは無いが、カイとアニタはお似合いの恋人みたいに見えるのだ。 「お前、今俺らの仲を疑っただろ? 俺らは幼馴染みなだけだよ。それに、アニタには婚約者がいるし」 「婚約者……」  その言葉を聞き、ルイスは婚約者――エイミーの顔、そして何故か両親の顔が浮かばせた。一体何をやっているのだろうか。そんな心配という名の衝動に心を奪われる。屋敷を抜け出したくて抜け出したのに、今は少しだけ自分の行動に後ろめたくなるのだ。  闘技場という派手な舞台で自分の夢を叶えようとしている。旅の目的であるそれは、周りに自分をアピールする為である。それは自分の存在を目立たせる事。  特に、ソレイユ家はシュヴァルツ三大貴族一家柄が良く、シュヴァルツのあちらこちらにソレイユ家が運営している建物が建っている。何と言ったってシュヴァルツ貴族の位の頭にいるのだ。勿論、闘技場さえもソレイユ家が牛耳っている場合も有り得る。  つまり、闘技場に参加するだけで自分の存在がソレイユ家にバレてしまうのだ。もし、ソレイユ家が運営していない闘技場以外を探しても、グローヴァー家の令息という名は有名過ぎて、噂が流れるのも時間の問題である。 「ルイス様、今更後悔ですか?」 「考えが浅はかだったかも」  酷く落ち込むルイスを気遣ったのか、イオンはルイスに声をかける。ルイスは力なく答え溜め息を吐く。すると、イオンは彼を慰める様に話を始めた。 「考えが浅はかでもこのまま帰るより闘技場に行って、闘って、連れ戻される方が良いでしょう。貴方の夢は世界一の格闘家……せめて、自分の名前を闘技場に知らしめましょうよ」  ルイスの夢は、世界一の格闘家になる事である。それは揺るぎない事実。その為に抜け出して来たのだ。何もしないで戻るのは、ただの出戻り損だ。  イオンの言葉に感化されたルイスは、イオンの言葉に頷き、改めて夢の為に闘技場へ行く事を誓ったのだった。 「お前、もしかして闘技場を探しているのか?」  そんなルイスとイオンの様子を見ていたのか、カイが提案とばかりに話し掛ける。  カイの話では、ツツジの集落に小さいが闘技場があるという。その情報に、ルイスは待ってましたとばかりに食いついた。 「カイ、その闘技場って……」  アニタは不安そうな声で呟く。しかし、カイは大丈夫とだけアニタに伝え、安心を促す。 「ルイス様、その闘技場へ行ってみましょう」  イオンの言葉にルイスは大きく頷き返事をする。これで行き先は決まった。やはり、ツツジの集落に来て正解だったのだとイオンは感じた。 「俺の分まで、頑張れよ」  カイはそう言いルイスの夢を応援した。ルイスは気合いを入れながらカイやアニタに手を振り頑張ると伝えると、颯爽とした態度で闘技場へ歩いて行った。 「では僕も行きますね」 「イオン!」  イオンが歩こうと背を向けた時だった。カイの低い低い声が、イオンの動きを制止させた。ルイスが側にいた時と違い、怒りなのだろうか悲しみなのだろうか、その二つの感情が入り交じったカイの声色が、イオンを恐怖に陥れる。 「もう、ルイスを俺達に近付けさせるな」  カイの言葉にイオンはびくともしなかった。いや、出来なかった。カイが怖いと感じたからだ。  カイはそれだけ言うと、背を向けた。イオンはその意味を噛み締める。 「イオンくん、貴方も来ない方が身の為だわ」  背を向けたカイの代わりだろうか、アニタがカイを察したのだろうか、アニタはイオンにそう伝える。アニタもまたカイと同様に低い声で、先程までの幼い女性の声が嘘のように聞こえる。 「アニタさん、貴方もですか?」  イオンはアニタに問う。しかし、アニタは口を閉ざし再びイオンに話す事はしなかった。  言えない事情があるのだろう。イオンはそう察すると、二人に一礼をしルイスを追いかける。二人の方を振り向かず、真直ぐにルイスを追いかけたのだった。  ツツジの集落に住んでいる人達は、木で作られた建物で暮らしている。これはツツジの集落独特の文化で、生まれた頃から石造りの家で暮らしていたルイスにとって、ツツジの風習は物珍しい。  また行き交う人々は、フォッグ城下では見ない服を着こなしていた。イオンが言うには、彼らの着ている服は『着物』というらしい。  カイが教えてくれた闘技場は、予想していた物よりも少しばかり小さかった。それはそれは、スピナッチの闘技場と一回り程差があるのだ。  本当にこの闘技場は運営しているのかと気になったが、ちらほらだが人々が行ったり帰ったりを繰り返している所を見ると、この闘技場は参加者を募集しているのだろう。  ルイスとイオンは初めて参加する闘技場に思いを馳せると、気合いを入れながら闘技場の中に入って行ったのだった。 「さあ、受付けを済ませましょう」  イオンに言われるがまま、ルイスは受け付けにやって来た。受け付けにはルイスと同年代の女性が立っていた。ツツジの集落の装束だろうか、ここに来る際に見掛けた服と同等のものを着ていた。 「団体戦と個人戦がありますが、如何なさいますか?」  団体戦とは二人から三人の団対抗戦、個人戦はその名の通り一人で勝ち進む規則のことである。ちなみにルイスは個人戦に挑みたいので、個人戦を申し出た。  試合をしたいと女性に伝え、出場届けだろう紙にルイスの名前を記載する。その名前を見て、女性は目を見開き自分の顔と名前を交互に見る。恐らく、ルイスがシュヴァルツでちょっとした有名人だからだろう。しかし暫くすると何かを諦めたようにこちらに付いて来て欲しいと、ルイスに伝えた。 「ルイス様、頑張って下さいね」  女性に控え室を地図で案内して貰うや、ルイスは張り切りながらその控え室に向かう。そんなルイスを見送る様に、イオンは笑顔でルイスを応援した。  ルイスは頑張って来る事を、イオンに勇ましく伝えた。ルイスが見えなくなると、イオンは観覧席の行き方を女性に尋ねた。 「すみません。観覧席へは、どうやって行けば良いですか?」 「…………」  しかし受付の女性は無言だった。イオンを黙ったまま見つめている。一体何故黙ったままなのだろうか。 「あの、すみません。聞こえていますか?」 「観覧席へ向かうには、あの階段を上って下さい」  ルイスの対応の時より、イオンへの対応は何だか素っ気なかった。イオンは少々傷付きはしたが、気にしても何も始まらないと感じたのだろう。女性に礼をするや、階段へ向かう事にした。  そのイオンの様子を、女性は横目で伺っていた。何処か物悲しいような目で。  闘技場の控え室は明かりが用いられていない、少々薄暗い部屋だった。明かりのない部屋ではあったが、幸い昼だった為、視野で不快になる事はなかった。  ルイスは壁に沿って正座をしている者達に習い、ルイスも並んで待つ事にした。  ここに並んでいるのは、おそらく闘技場に参加する者達なのだろう。どの者も、普段から訓練をしているような強者に見える。そしてどの者達も、とてつもない雰囲気に包まれている。だが、それだけではなかった。 「このマナの感じ、まさか……」  ルイスは、顔を青覚めさせなければなかった。次第に息が苦しくなる。ルイスがこのような事に襲われる理由は、ただ一つしかない。  七年前、母が殺され自分も殺されかけたあの思い出が蘇る。それ以来ハーフファイリーの話題が顔を覗くと、ルイスは険悪な気分に晒される。しかし、まさかこうやって直接彼らに遭う事になるとは。  この世界に元々住んでいたマンナ、そしてこの星に移住し住み始めたファイリーは異なったマナを持つ。だから、どちらもの血を交わしているハーフファイリーのマナは、二つのマナを掛け合わした不思議なマナの感じがするのだ。  だからなのかマンナやファイリーは見分けが付きやすい。が、ハーフファイリーは見分けが付きにくい。さらに、ハーフファイリーはマナの匂いを抑え、マンナまたはファイリーに成り済ましている場合がある。これも、ハーフファイリーへの蔑視のせいである。  ルイスの様に、ハーフファイリーを嫌うマンナやファイリーは多い。彼らはハーフファイリーを野蛮な生き物だと思っている。野蛮で卑劣で、何をやらかすか分からないそんな種族だと。  ハーフファイリーには残念な話だが、異種族というものは中々分かり合えないのが現実だ。過去に、マンナとファイリーもお互いを嫌い大きな戦争を起こした。今は何とか手を取り合っているが、未だにファイリーの中ではマンナを嫌っている者がいるらしいのだ。  ルイスは歯を食いしばり、ハーフファイリーのマナに耐える。過去の仕打ちから吐き気にも見舞われたが、何とか堪えた。折角ここまで来た。初めて夢を叶える所まで来た。この機会を逃したくない。  次々と参加者の名前を呼ばれ、控え室にいる参加者は少なくなっていった。ハーフファイリーのマナの匂いも、段々薄れていった。  ルイスが安堵の溜め息を吐くや、審判員がルイスに近付く。近付くと『ルイス・フォン・グローヴァー』の名前を告げ、試合会場まで来るようにとルイスに告げた。 「ついに俺の番なんだな!」  待ってましたとばかりに、ルイスは立ち上がった。待つだけの時間がようやく終わる事に、喜びを感じざるを得なかった。  ルイスは、審判員に試合会場までを案内して貰う事になった。試合会場に着くや観客の歓声が沸き上がる。 「ここが闘技場……」  小さいツツジの闘技場ではあったが、試合会場は想像とは違い広々としていた。床には畳が敷かれており、ツツジ独特の文化がここでも色付いている。  試合会場と観客席はかなり離れていたがルイスがイオンを見つけた所、出場者がどのような技が繰り出されるのか判別出来るぐらいの距離だろう。  ルイス、そして今からルイスと闘うであろう者は審判員に近付き、近付くや互いの視線を睨み合う。 「これより第一回戦を始める」  いよいよ、彼の最初の闘技場の試合が行われる。ルイス、そして観客席から眺めるイオンは固唾を飲み緊張を解そうとした。緊迫した雰囲気の中審判員は手を振り上げた。 「試合開始!」  戦いの鐘が鳴り響いた。試合が始まった。相手はルイスよりも年付きが上。剣を持っている所、剣士なのだろうか。 「お前みたいな若造に負けるか!」  最初に勝負を仕掛けたのは相手の方だった。挑発で相手を油断させようという戦法で来ようというのだろう。 「えー、おっさんに何が出来るんだよ?」  しかし、ルイスも挑発に関しては負けなかった。若造、何も出来ないと言われ腹が立ったのだろうか。 「何言っているんだ? 俺はまだ、二十代……」 「隙あり!」  年だの、おっさんだの言われあたふたとしている隙にルイスは得意の蹴りを入れる。それに相手側は悔しかったのか、負けじと剣を構える。 「遅いぜ。おっさん!」 「だから、おっさんじゃない!」  が、先手を取れば試合は勝てたようなもの。剣を難なくと避け、避けた隙にルイスお得意の蹴りで相手を仕留めた。  第一回戦の結果。隙無く攻撃を制し、相手の剣を見事避ける事が出来たルイスの勝利だった。  第一回戦の後、続いて第二回戦が行われた。ルイスの第二回戦は第一回戦後すぐに行われたが、第一回戦の後の疲れを全く感じさせない動きや瞬発力で、相手を負かせた。これでルイスはいよいよ決勝戦に駒を進める事が出来る。  ルイスの頑張り振りに、イオンは呆気に取られていた。それはそれは、ルイスの本気を見たという事を前提にした、三つの驚きである。  一つ目は、初めてながらにして決勝戦に挑む事が出来る事。ルイスが屋敷を抜けだし、訓練をした成果が出ている。  二つ目は、彼の戦い方についてだ。一回目も二回目も、相手を挑発して動揺を探って勝利を得たものだ。それも実力と言われれば当たり前なのだが。  そして、新たに三つ目の理由が顔を出した。イオンが呆気に取られた理由の三つ目は周りの観客の事だ。悪いと思いつつも他人の会話に聞き耳を立てたが、ルイスが出る時に限り『グローヴァー家』の名が出るのだ。  やはりルイスにとって、グローヴァー家にとって、この世界は狭かったのだろう。  幾分か時間が過ぎ、ルイスは決勝戦を迎える事になった。相手側に立つのは、四十、五十代ぐらいの男性だった。ルイスの父の歳を上回るその男性は斧を持っている所、ビアンコ地方から来た斧戦士なのだろう。  第一回と第二回、そして第三回目である決勝戦で闘う彼はマンナだ。という事は、ハーフファイリーは第一回戦で敗れた事になるだろう。それはそれは、ルイスにとって心地の良いもの。ルイスはほっと胸を撫で下ろした。  ルイスと相手、互いの視線が交り合う。観客席の気分も最高潮、決勝戦に相応しい雰囲気になった。審判員は互いを見ると試合開始の合図を施した。 「先手必勝、先脚蹴!」  ルイスは試合開始直後、相手の体に前回りをし一蹴りを施した。しかし、相手は体格に似合わない程の早さでそれを避け、斧を振り回す。ルイスは間一髪、それを避ける事が出来た。 「坊主、中々やるな」  相手は、自分の攻撃を避けたルイスを称えながら体勢を取り直す。しかし、その間にルイスは拳を構えた。 「連続拳!」  ルイスの気合いの入った数回もの拳に、相手は避けられず攻撃を受けてしまう。攻撃を受けた相手は怯みつつも、斧を使いルイスを攻撃した。その攻撃に、ルイスは観客席側まで吹っ飛ばされてしまう。  何とか観客席と闘技場の間を仕切る壁にぶつかる事を避けたルイスは、追撃をしようとする相手を軽々と離し攻撃準備を整えた。 「いくぜ、一魂拳!」  間一髪、ルイスは相手に攻撃する事に成功をした。まるで、魂が宿ったような攻撃だ。相手はその拳を食らうと、尻餅をつく。その隙をルイスは見逃さない。 「周脚蹴!」  得意の蹴りが炸裂し、レガーズを通しての攻撃で相手は怯んだのだった。ルイスは攻撃をしようと、相手に近付いた。その時だった。 「負けだ負けだ。優勝は、若いお前に譲る事にしよう」  そう言い相手は闘う事を止めた。審判員が相手の方に駆け寄ると、ルイスと闘った相手は負けを認める事を伝えた。  話が終わると、審判員はルイスの所へ向かう。ルイスの所へ着くや、相手が降参した事を伝える。ルイスが喜びをかみ締めると、審判員はルイスの隣りに立ち彼の手首を振り上げる。 「優勝、ルイス・フォン・グローヴァー!」  そう審判員が告げると、今回で最も大きな歓声が沸き上がる。その大きさは、誰もがルイスの優勝を祝福していると思わされる程である。 「イオンも、喜んでくれているみたいだ……」  ルイスは観客の中にいる旅の付添人を見つけた。夜中までは自分の旅に反発していた彼が、嬉しい時に現れる笑顔を浮かばせている。それが、ルイスにとって何より嬉しかった。  初挑戦で初優勝する事はまぐれな事かもしれない。実際、優勝したのは相手がこの試合を辞退したからだ。もし、彼が辞退をしなければ自分は負けていたかもしれない。ある意味、まぐれが重なり優勝が出来たのかもしれない。  それでもルイスは嬉しかった。これで、自分の夢に一歩近付いた。自分の力を世の中に知らしめる事が出来る。  そんな余韻に浸っていた時だった。  歓声に混じりながら、戸が荒々しく開ける音が聞こえた。中から、重苦しい装備を身に着けた者達が現れる。 「な、何だ何だ?」  ルイスは乱暴に闘技場へ入って来る体格の良い騎士――王国騎士団に、疑問を投げ掛けた。何故、王の屋敷の前で護衛をしている者達がここに現れたのだろうか。  しかし、騎士達がその疑問に応える事はなかった。騎士達はルイス、そしてルイスの相手だった者や審判員を囲む。 「お前達を、反逆の民ツツジに協力した謀反罪で拘束する」  騎士の鋭い声が闘技場に響き渡る。その声が発した内容に、ルイスは不審に思った。 「意味が分からないんだけど」  本気で意味が分からない。自分はただこの闘技場に参加し、優勝しただけだ。それが、どういった経緯で謀反という罪になるのだろうか。 「何を言っている。この闘技場の参加自体が罪になる。ツツジの民、そしてハーフファイリーは謀反――王家に対し反乱を起こしている。その資金を稼ぐ為に、彼らが偽装闘技場を作っている事をお前は知らないのか?」  騎士達に睨まれルイスは慌てて口を噤む。しかし、まさかそんな事がこの闘技場の運営に隠されていたとは。  ハーフファイリー、ツツジの民、どちらも王家やシュヴァルツ地方に住む一般の者達に、反感を持っている。反逆やら謀反やらを起こす可能性は有り得る。確か先日も反乱が起こったばかりだ。  だが、自分そしてビアンコ地方から来たであろう対戦者は無関係で、ただ自分の力を披露したい、その力を認められたいだけである。  しかし、この闘技場が謀反の資金を貯めていた事は否定出来ない。なぜなら、ここはツツジの民の集落で、この闘技場にハーフファイリーが参加していた。この事実はもしかすると、騎士達が言っていた事を肯定する理由になるかもしれない。 「意味が分かったかな、王家――ディル家に無謀にも立ち向かおうとしている愚か者よ」  騎士にそう言われ、ルイスは勘に触ったのか騎士を睨み付けた。自分はその王家を支えているグローヴァー家の子息である。反逆者と一緒にしないで欲しいと、ルイスは感じた。  周りを見ると、観客達が一斉に試合会場を出て行っている。残っているのは数人。その中にイオンはいる。観客を追いかけない所、反逆者はあくまでもこの闘技場の参加者や運営者という事になる。 「俺はグローヴァー家のマンナだ! それに、ハーフファイリーなんか大嫌いだし、あいつらと一緒にするなよ!」  このままでは自分の身が危ない。そう感じたルイスは、真向から自分が反逆に関与した事を否定した。 「だいたい、そんな事俺が知る訳……うっ!」  だがその抵抗は無駄となった。抵抗するルイスが煩いと感じたのだろうか、騎士達はルイスの腹部を拳で殴る。その一撃に、ルイスは気絶せざるを得なかった。 「よし、連れて行け」  倒れたルイス、そして抵抗をしないルイスの対戦者は、騎士に連れられ試合会場を後にした。 「ルイス様!」  ルイスを容赦なく連れて行く騎士に危機を感じたイオンは、恐怖に震える体を押さえながら彼の名前を呼ぶ。 「ルイス様、ルイス!」  しかしそんなイオンの声も虚しく、騎士達は彼を無理矢理連れて行く。 「ルイスが、連れて行かれるだなんて」  何も抵抗が出来なかった自分に、イオンは苛立ちを隠し切れなかった。ルイスを守れなかった事、それが凄く悔しい。自分はルイスの専属護衛人なのに。  気付けば、闘技場にはイオンしかいなかった。闘技場の静けさが、イオンを襲う。その無音さが、更にイオンを追い詰める。 「ルイスを、ルイスを助けなきゃ……」  拳を作り、決意を固めたイオンは試合会場に背を向けた。ルイスを助ける為に、イオンは闘技場を後にしたのだった。
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