第0話 冒険の始まり

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第0話 冒険の始まり

 お月様がどれほどこの空にいたのか分らなかった。分かるのはずっとずっと、朝日が上るまでお星様といたという事だ。  確かあの日、俺は久し振りに母様と一緒に寝れる嬉しさで中々寝付けなかったんだと思う。  お母様は伯爵家頭主夫人で、グローヴァー家が持っている土地管理を、父様と共にやらなければならない。だから、毎日沢山の仕事が母様を待っていた。お陰で、俺に構う時間なんてなかった。  でも母様は時間を見つけては俺と遊んでくれたり、こうやって一緒に寝てくれたりする。仕事だけを頑張る父様とは全然違う。  父様がいなくても、俺は寂しくなんかなかった。母様がいれる時間にはいつもいてくれるし、側にはイオンがいてくれる。だから寂しくなんかないよ。  俺がそう暗示を駆けていた時だった。  ひゅっという風の音が窓の方から聞こえた。俺はその音を聞き逃さなかった。だって何か気になるんだもの。いつも窓から聞こえる音とは違った。この音の波動から、何か尋常ではないものが聞こえる。  俺はその音を理由に、ベッドから起き上がろうとした。 「お前は……!」  ベッドから起きて見ると、母様の上には見慣れない黒い装束を着た赤髪の女がいた。ドアの開く音はしなかったから、恐らく窓から入って来たのだと思う。音がしなかったのが、唯一気になる所だけど。  しかも、ただいただけでは無かった。女の片手には短い剣が握られていた。  この状況が屋敷でのんびり暮らしていた俺でも、普通では無い事は知っている。 「母様、危ない!」  俺は無我夢中で叫んだ。起きたばかりのせいか、頭がまっ白で母様を呼ぶ事しか出来なかったけど。  しかし虚しく、女は俺を横目で見た後、持っていた剣で母様の体を貫いたのだった。 「母様?」  一瞬だった。女は冷静な顔付きで、母様の体を貫いた刃を引く。すると、刺された場所である腹部が血で滲んでいた。  女は溜め息を付くと、懐から白い布を取り出す。そして白い布で刃に付いた赤いものを拭き取ると、再び短剣を構える。  俺は、この動きの続きを読む事が出来た。この動作は『相手を殺す為の動作』だという事だ。それくらい俺にだって分かる。だから、俺は彼女を止めなくてはならない。  母様が起きる気配はない。まだ眠っているのか、もしかするともう息をしていないかもしれない。  もしそうだとすれば、この行為は無駄かもしれない。だけど、あの女を止めなくては、確実に母様は死んでしまう。  俺は咄嗟に立ち上がり、母様を襲う女を目掛けて体当たりをした。  見た目より軽いあの女は、俺の攻撃で部屋のドア近くまで吹っ飛んだ。お陰で、俺もベッドから落ちる事になってしまったけど。 「母様から離れ……!」  俺は再び動こうとする女を引き止めようと、女の前に立ちふさがった。だけど、正義の英雄の台詞は途中で途切れてしまう事になった。 「お前はハーフファイリー?」  俺は、後退りをせざるを得なかった。いつかの勉強の時間で、俺はハーフファイリーが忌まわしい種族だと知った。  凄く昔に行われた種族戦争が長引いたのも、ハーフファイリーの仕業。そして現在は、市場に出ているものを勝手に取って食べたり、王様に向かって反乱を起こしたりしているという事らしい。  でも教えて貰ったもの全ては、俺にとって身近なものでなかったから実感なんて沸かなかった。今まで沸かなかったけど、今の状況で、ハーフファイリーの事が少し分かった気がする。  彼らは危険な生き物だ。そして、恐ろしくて最低な生き物である。  俺がそう思いに更けている間、女は側に落ちた短剣を拾い再び母様の近くへ向かう。  俺はその行動を阻止しようと、再び女に向かって体当たりをしようとした時だった。 「!」  時は遅かった。母様の腹部を目掛けて、女は短剣を振るう。再び母様の体を抉ることになった。結果、俺が母様を救出す前に、女が母様を殺したのだ。  既に母様の寝息さえも聞こえなくなってしまった。母様の体から血の気が引いていて、更に母様の心臓が動いていなかった。死の条件が揃っている。  それが分かった瞬間、俺の頭は真っ白の状態から一気に絶望の黒へと変わる。  母様が殺された。目の前でこの女に。 「お前が母様を、お母様を……!」  俺がそう女に言いつけると、女は俺を睨み付ける。俺が動けなくなる程、鋭い目付きで。 「そ、そんな事したって怖くないからなっ! それに、お前は母様を殺した……」 「見られてしまったか。息子は頼まれていないが、見られてしまったら念の為に殺せと言われた……」  女の低い声が俺と母様の寝室に響く。その声に恐怖を感じる暇もなく、その女は俺に刃を向けた。そして俺が瞬きを返す間もなく、女は俺を目掛けて腕を振るう。  俺は間一髪、刃を避ける事に成功した。だけど、避けた弾みで床へ落ちてしまった。床には黄色の絨毯が敷かれていたけど、凄く痛かった記憶がある。 「逃がしたか」  女はそう言い、また再び俺を睨み付けた。茶色の瞳が、俺を捕らえて離さない。また俺を狙うのだろう。今度は逃がさない、そう言っている気がする。  そして、女は再び刃を俺に向けた。ここから逃げ出す為のドアが近くにあるというのに、間に合いそうもない。  母様を失った事に対する悲しさと、母様を殺した異種族に対する怒りと、俺を殺そうとする事に対しての恐怖の感情が入り混ざって、何が何だか分からなくなった時だった。 「サラ様、ルイス様!」  俺の家に住む家臣が俺と母様の寝室に入り、女を取り囲む。次いで入って来た家事用人が俺の前に立ち塞がり、女から俺を守ろうとした。  続々と沢山の人達が部屋に入って来て、遂に女は取り押さえられた。母様が殺された事を知った手伝いの者達はその場に立ちすくんだり、泣いたりしていた。  徐々に平然を取り戻したけど、母様を亡くした悲しさとハーフファイリーへの怒りは込み上げるばかりだ。  時間が経つにつれ増えていっている。それは、七年の月日を得ても消える事はなかった。  俺は自分に構ってくれる事のない父親や、母様が亡くなってすぐに父親に嫁いだ継母も、俺には向けられる事のない愛情を得ている弟も皆大嫌いだ。  だけど一番嫌いなのは、俺の母様を殺したハーフファイリーだ。ハーフファイリーなんか、いなくなってしまえば良いのに。
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