第1話 一難去ってまた一難

1/1

6人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

第1話 一難去ってまた一難

 窓から夕日が見える。そろそろ、家事用人達が夕ご飯の準備を始める時間だろう。  石造の床に、グローヴァー家の象徴色である黄色の絨毯が敷かれている。グローヴァー家は、シュヴァルツ三大貴族に数えられる名家なのだ。  その名家であるグローヴァー家令息のルイスは、彼の父レナートに呼ばれていた。グローヴァー家の一室にあるソファーで、ルイスは腕組みをしながら待っていた。呼ばれていた張本人のルイスは、苛立ちを隠せなかった。  幾つかの時が経った頃だった。ソファーの向かい側にあるドアが開く。中からグローヴァー家領主であるルイスの父レナートと、ルイスの継・サリアが並んで部屋に入って来た。 「呼び出したくせに、当の本人様は遅いじゃん」  二人が入って来るや、ルイスはそう言い捨てる。そのような言葉を見る限り、かなりの時間を父達を待つ為に使ったようだ。 「まあ、そう言うな。折角、良い話を持って来たのだから」  そうレナートは言い、部屋の置くにある自分専用の椅子に座る。次いで、継母がレナートの側まで歩き、何枚かの書類をレナートに渡す。 「あんたが良い話って聞かせる話は、俺にとっては大抵、良い話じゃないはずだ」  ソファーに座り直しながら、ルイスは横目で父親を睨み付ける。険しい顔付きからして、相当嫌な目に合っているようだ。 「ルイス、父親に歯向かうのは辞めなさい。仮にも、この方はグローヴァー家の領主ですよ?」  継母はルイスにそう言うと、踵を返し薄笑いをする。その笑みには、親しみを一切感じられなかったし、ルイスも笑みを返そうとはしなかった。流石、血が通わない親子同士と言うべきだろうか。 「で、用件は何だよ?」  ルイスはツンとそっぽを向きながら、父親に尋ねる。窓から見える夕日を覗いている所を見ると、話を聞くようには見えないが。 「お前も話は聞いた事はあるだろう。今月末、お前とエイミー嬢が婚約を交わすが……」 「その話かよ」  ルイスはそう言うと、拳を作る。次第に眉間に皺を寄せ始めた。 「俺は嫌だって言ってるだろ!」 「そう言うな。王様直々の命令だ。避けることは出来ない」  レナートはそう言い書類に目を通す。そして、筆を取り何かを書き始める。 「それに、ソレイユ家と繋がりを持てば、グローヴァー家はもっと繁栄する」  ソレイユ家とは、シュヴァルツ三大貴族で一番の勢力を持つ大貴族である。つまり、グローヴァー家よりも地位は上という事になる。  そして、今回はそのソレイユ家の令嬢のエイミー嬢と、グローヴァー家の子息であるルイスが、王様の命により婚約させられるというのだ。  しかし、当人であるルイスはこの話を快く思っていなかった。 「親父はいつもそうだ。勝手に話を進めて、俺の同意の一つも聞いてくれない」  過去、レナートはルイスの実の母親が殺されてすぐに、今の母親と婚約をした。それは、まだルイスが幼いから当たり前の話だと考えられる。しかし、今回の婚約の件はどう見ても親同士、王が勝手に話を進めている。 「それに、親父は……」  再びルイスは父親の視線を捕らえ、訴えるように話の続きを話した。 「親父は、俺に全然構ってくれなかった。分かっているよ、理由は。忙しいからだろ。でも、弟――アロイスは、可愛がっているし……」  アロイスとは、ルイスの片方の血しか繋がらない弟だ。弟はまだ年端もいかない子供だが、ルイスが受けた事のない愛情を父と継母から沢山得ている。それが、ルイスにとって腹立たしい事なのだ。 「親父は、俺の事全然見てくれない。どうせ、俺はグローヴァー家の道具なんだろ!」  それだけを大きな声で言うと、ルイスは部屋を飛び出して行った。ルイスがいなくなると、残った二人は見合わした。 「レナート様、彼はああ言っていますが?」 「予定通り、明日は婚約の打ち合わせをする。ルイスは嫌と言っているが、王には逆らえないだろう」  レナートは書類を整えながら、そう話をした。それに了解を得たのか、継母の方は渡された書類を抱え、その部屋を出た。 「ルイス、貴様にも直ぐにわかるだろう。世の中は、そう上手くいかない、簡単には歩いていけないという事がな」  そう呟くと、レナートはやり残した書類を片付ける為に再び筆を取ったのだった。 「煩い煩い、あのポンコツ親父め!」  ルイスは自分の部屋に戻るや、一人にしては大き過ぎるベッドに飛び込む。飛び込むと枕の方へ進み枕の近くに着くと、拳を作り何度も枕を叩き付けた。それ程、先程の事に腹を立てたのだろう。  暫く力まかせに枕を叩いていると、それも虚しくなったのか俯き、ルイスは先程の父親の言葉を思い出す。  明日、自分の運命を揺るがす両親や王にとって大事な日が来る。婚約はまだ少しだけ先の話になるが、ルイスはそれさえも嫌だった。  時間が幾つか経つと、ルイスは天上を仰ぐ。真っ白な天井が目の前に映るや、ルイスは顔をしかめた。嫌な記憶を、思い出してしまった。  何故、あの日は目が覚めていたのだろう。母と一緒に寝ていれば、もしかすると、気まぐれで殺されていたかもしれない。気まぐれで、と曖昧な言葉を使うのは、あの暗殺者が母だけを狙っていたからだ。 「なあ、母様。俺、本当にあいつと結婚するのかな。俺、あいつらの言う通りに出来ないよ」  そう思うのは、ルイスの母がグローヴァー家にとって良い者ではないと、継母に言われ続けたからだ。  ルイスが最近知った事だが母は家事用人という立場だと言うのに、グローヴァー家の子供を身籠もった。その子供がルイスという訳だ。  だから、父親と予てから婚約を結んでいた継母にとって自分の母は邪魔者だったらしい。そして、その母の息子であるルイスも彼女にとっては邪魔者に過ぎないだろう。継母はアロイスを伯爵家の後継者にしたいからだ。  それに、邪魔者だと思ったのは継母だけではない。高貴な身分を誇るグローヴァー家は、家事用人――下級平民の身分である母親、そして片方の血が下級平民であるルイスを快く思っていない。  だから、母は周りから何かしら文句を言われていた。自分さえ身籠もらなければ、家事用人として働き続け、母は文句を言われなかったのかもしれない。  だが、ルイスは母親を嫌いにはなれなかった。むしろ、心を許せる数少ない人で、ルイスは母親が大好きだった。だから、母親を馬鹿にする奴の言う事を聞きたくなかった。  しかし、この婚約が王の命でもあると流石に断りにくいのが現実。いや、例え王が関わったとしても、婚約はお断りしたかった。 「あいつと、エイミーと結婚なんて死んでも嫌だ」  婚約が嫌な理由は両親の勝手な行動だけではない。婚約の相手であるエイミーが、ルイスは大嫌いなのである。  思えば、最初から最近まで彼女の印象がとてつもなく最悪だ。  確か、最初に会ったのは王様の婚約記念祝賀会だった。  運悪く彼女とぶつかってしまい、ルイスが詫びるが、彼女は一切詫びようとしなかった。心底印象が悪かったが、何とか穏便に事を進めたいので、側に落ちていた帽子を拾い渡すが『下級貴族が、私の帽子に触らないで』と、ルイスに言い放ったのだ。  もう一つある。確か、ルイスの母が亡くなった時だ。母の葬儀に参列していたエイミーは、いつまでも泣きじゃくるルイスに対し、『弱虫』と叱ったのだ。  今は何故かエイミーはルイスを『様』付きで呼び、何故か知らないが慕われている。が、ルイスにとってはこの上なく迷惑である。  以上の事と些細な出来事の思い出のせいか、ルイスは彼女を苦手としていて、更には毛嫌いとしているのだ。 「エイミーと結婚したら、俺の心と体は目茶苦茶にされるだろうなあ」  ルイスは溜め息を吐くと、何を思ったのか立ち上がる。そして、部屋の隅に置かれている戸棚の前に行くと引き出しを開け、中からセスタスとレガーズを取り出す。セスタスとレガーズ――これは、昔母から買って貰った思い出の品である。  小さい頃、母とフォッグ城下の郊外に行った時の思い出だ。その時に出会った『師匠』のお陰で、格闘技に興味を持ったのだが。  その日、城下に戻る時にたまたまそれを店頭で見つけ、母にせがんで買って貰った物で、数年経った今でも暇を見つけては使って大切にしているのだ。 「俺、こんな狭い屋敷にいるより、広場に行って体を動かす方が好きだな。グローヴァー家の領主になるより、俺は有名な格闘家になりたいな」  師匠から教えて貰った格闘技と、広い広い世界の話。その話と技術が、屋敷とその周りの世界しか知らなかったルイスにとって、憧れの的となった。  そのせいか、ルイスは格闘技で世界一を目指したくなったのだ。  だからこそ、いつかこの屋敷を抜け出さなければと、ルイスは考えていた。しかし、エイミーと婚約させられれば、貴族でいる事を望まれ、夢を二度と追いかける事が出来なくなってしまう。  夢を叶える為には、この屋敷を出なければいけない。しかし、王と自分の立場は一目瞭然で、この命が絶対という事は知っている。 「俺は、一体どうすれば良いんだよ……」 「ルイス様?」  自分の名前を呼ばれ、ルイスはふと我に返った。ドアの近くに、奇抜な色の髪を持つ少年がいたからだ。 「イオンじゃんか!」  ルイスの名を呼んだのは、イオンという名の少年だった。イオンは、ルイスと差程変わらない年齢でありながら、ルイスの護衛用人として働いている。  ルイスにとってイオンは、母と同等の数少ない信頼を置ける人物である。 「イオン、どうしたんだよ?」 「いえ、夕食が出来ましたので、ルイス様を呼ぼうと思いまして」  今日のご飯はハンバーグですよ、とイオンは付け足しながらルイスを食堂に誘う。しかし、ルイスは食堂には向かう事はしなかった。 「あ、俺は無理」 「ど、どうしてですか? ハンバーグ、お嫌いになったんですか?」  イオンは、心配そうにルイスに尋ねる。大好物だというのに、どうしてルイスは食べようとはしないのだろうか。 「お前も聞いてるだろ? 明日、俺とエイミーが婚約の為に話し合うの」 「知っていますよ。僕は会った事はありませんが、エイミー姫様は可愛いらしい方とお聞きしました」  確か、イオンとエイミーは面識がないはずだ。イオンが来たのは、母が殺される少しばかり前の事で、時間的には会う事は出来るが、身分の差がイオンとエイミーを会わなくさせているのだろう。  ルイスは、イオンとエイミーが会わない事は不幸中の幸いと思っている。イオンは数少ない味方だからだ。 「イオン、あいつに会ってみなよ。絶対、拒否反応起きるからさ」  エイミーを可愛らしいと戯言を言うイオンに、ルイスは言及し考えを改めさせようとする。自分が信頼を置ける人物には、徹底的に自分と近い立場になってもらいたかった。 「そ、そんなに嫌な方なんですか? それに、そのセスタスとレガーズ……」  イオンはルイスが持っている、セスタスとレガーズに目をやった。すると、ルイスは慌ててそのセスタスとレガーズを戸棚に入れ終い込んだ。 「ルイス様?」 「え、えっと何でも無いからな」  そう言い、ルイスは押し入れの引き出しをしまう。それを不思議に思ったイオンであったが、あまりにも隠そうとするルイスに、これ以上の追求は可哀相だと思い、イオンは言及しなかった。 「ルイス様、夕食は如何致しましょう?」 「食わないから。あいつと結婚というだけで、食う気が失せるよ」  そう言い、ルイスは今夜の夕食を食べない事を決めたのだった。大好物のハンバーグが喉に通らない程、婚約の事が気に食わないのだろう。 「分かりました。では、ルイス様のお膳は取下げておきますね」  イオンはそれだけ言うと、くるりと向きを変え、部屋を出ようとした。 「ああ、悪いな。イオン」 「ルイス様……」  イオンはルイスの名を呟いた後、静かにドアの戸を締め、食堂の方へ歩いて行った。  イオンがいなくなったのを見計らってか、ルイスは先程戸棚に戻したセスタスとレガーズを再び取り出す。 「ごめん、イオン。やっぱ、俺は諦める事が出来ないや」  そう呟くや、ルイスは先程まで寝転んでいたベッドを動かした。すると、ベッドの下から人間がかろうじて入れる程の隙間が現れる。  この隙間は、屋敷の外れへ出る抜け道で、以前屋敷を抜け出す時に家臣達にバレてしまった事があり、ルイスが秘密で作ったものだ。  ルイスは明日の未明、屋敷を抜け出す事にした。余程、エイミーとの婚約はしたくないのだろう。ついに、ルイスは婚約から逃げる為に家出をする事になった。  そして、翌日の明朝前。夜中と言った方が良いだろうか。起きるには早い時間まで仮眠を取っていたルイスは、手作りの出入口を使い、屋敷の外に出る事にした。  隙間に入ると、穴という穴に出会す。その穴を抜けると、屋敷の離れに辿り着く。茂みが目の前に現れれば、すぐそこだ。  屋敷の外に出るや、ルイスは辺りを見渡した。左右を確認したが、人一人いない。ルイスは安堵の溜め息を吐き、グローヴァー家の区内を抜けようとした時だった。  屋敷の角から、奇抜な色の髪を持つ少年――イオンが灯を持って現れたのだ。それはそれは、都合の良い時期を見計らった様に。 「ルイス様、何処へ行かれるのですか?」  何時もと違う低い声色で、イオンはルイスに話し掛けた。表情は、夕飯が出来たと呼び出した時とは一変、冷静な顔付きだった。 「えっと、あのその……」  ルイスは考えが浅はかだったと思った。よくよく考えれば、この抜け道の秘密はルイスだけの物では無かった。  確か、今と同じように抜け道から外へ出ようとした頃だった。丁度ベッドを動かした時、イオンが部屋に入って来たのだ。その時は、イオンと一緒に外へ出る事に成功し、何とかばれずに済んだ。 「なあ、イオン。今回も見逃してくれないか?」  と、ルイスはイオンに交渉を始める。今回もというより、今回だけは見ていながら知らない事にして貰わなければ困るのだ。何と言ったって、自分の運命と夢が懸かっているのだからだ。 「駄目です。ルイス様、お部屋にお戻り下さい」  しかし、イオンは前の様に見逃す事はしなかった。むしろ、絶対に見逃す事はしない様だった。彼の黄緑色の瞳がそれを許さない。 「何で見逃してくれないんだよ? 前は、見逃してくれたじゃんか!」 「前は昼だから、です。日のないフォッグ城下や外の町は、高い身分の貴方が出歩くには危険過ぎます」  フォッグ城下、そしてその郊外ではゴロツキ共がその辺を歩いているという。そんな町を、シュヴァルツ三大貴族に数えられるグローヴァー家の子息が出歩いてみよう。悪い時には、人質に取られてしまう。 「それに、今日は大事な日ですよ。一つ忠告しますが、今日は逃れる事が出来ても、その大事な日は何度も訪れるでしょう」  確かに、今日免れたとしてもあの両親の事だ。そして、この事は家同士の意思だけでなく、王の意思も重なっている。何度も、面談の話はやって来るだろう。 「イオン、それでも俺は屋敷には戻らない。戻ったら、俺じゃ無くなりそうなんだよ」  夢を追いかけず、貴族として暮らす方が現実的と言えるだろう。しかし、夢を失うという事は何もせず時を悠長に過ごすという事だ。そんな人生は、ルイスにとっては面白くないのだ。 「それに、イオン。お前は俺専属の護衛奉公人だろ? 俺の言う事を聞けよ!」 「残念ですが、ルイス様」  イオンは溜め息を吐き、ルイスを見据える。その見据える瞳が、ルイスにとっては冷たく見える。 「僕は貴方の専属の家来ですが、それ以前にグローヴァー家の家来でもあります。だから、僕は貴方だけのものではありません」  その言葉を聞いた瞬間、ルイスの脳内がガラガラと音を立てながら、ルイスが考えていたイオンの存在を壊していく。ルイスにとって、イオンは信頼する人物で、位の差が無ければ大切な友人だと考えている。  だが、イオンの先程の言葉を聞くと、イオンはルイスの事をただの主人と見ていたように聞こえる。それが、ルイスに寂しさを与える。  更に、ルイスに焦りを与える事が起きたのだ。屋敷に、家事用人らしき人物が自分の名を呼んでいる。ルイスが屋敷にいない事を、知ったのだろう。次第に、家来達の声も合わさっていく。 「ま、まずい……」 「ルイス様、さあお戻り下さい」  イオンの、静かだがどこか芯のある声色が、夜風によってルイスに辿り着く。やはり、イオンはルイスを見逃す事をしないようだ。  さて、どうしよう。このままでは、家臣達に見つかって屋敷送りになってしまう。それだけは、絶対に避けたい所だ。仕方ない、強引な方法をとろうとルイスは考えた。  ルイスはイオンの近くに寄ると、そのままイオンの手首を掴み、無言で茂みの方へ連れ出した。  ルイスが帰るかと思い油断をしていたイオンは、ルイスに連れられたまま、茂みの方――郊外へと足を運んだ。 「ル、ルイス様?」  ルイス達はあれからフォッグ城下の郊外を休み休み抜け、フォッグ城下とツツジ集落やスピナッチ町の間にある長い長い畔道を歩いていた。いつの間にか、時間も明け方になっていた。 「ごめん、イオン。でも、付いて来てもらうから」 「僕は貴方専属の家来です。貴方の命令ならば、従うまでです」  付いて来る間に、イオンはきっちりと意思を固めたらしい。本当は今でも連れ戻したいのだろう。しかし、ルイスの決意の重さ、そして自分が付いて行けば少しは安心だろう、とルイスと同じくイオンは腹を括った。 「それから、今から敬語なしな」 「敬語なし、ですか?」  突然の申し出に、イオンは戸惑ってしまう。一方、ルイスはイオンが戸惑うのを予測したかのように、冷静に頷く。 「これから、長い旅になるからさ」 「長い旅……」  長い旅――もう、屋敷には帰って来ないという意味だろう。ルイスの決心の深さは軽いものではない。 「だから、その旅の間だけでもと思ってさ」  旅の間に、堅苦しい言葉はいらない。ルイスはこの旅を楽しいものにしたいらしい。その志が伝わったのか、イオンは返事をした。 「わ、分かりました……じゃなくて、分かった、ルイス様」 「ルイスで良いよ」 「それじゃ、ルイス……」  彼に仕えてから、早七年。この七年間、ずっと敬語というか堅苦しい言葉遣いで、意思の伝達をしてきた。それが、今日を境に親しみの言葉遣いに変わってしまう。 「や、やっぱりまだ慣れません」 「ま、多分旅は長くなると思うし、ゆっくり慣れれば良いんじゃないかな」  ふと正面を見ると、スピナッチとツツジの集落を案内する看板が見える。イオンはついにここまで来てしまったのかと、再び溜め息を吐く。 「ルイス様、これからどうしますか? 旅をされるのですよね?」  旅をするのは分かった。だが、旅の目的などを知らされていないイオンは、少しだけ不安になった。 「えっと、俺さ前も言ったけど、世界一の格闘家になりたいんだ。だから、闘技場へ行って俺の力を試したい!」  ルイスは真剣な目差しで、イオンに自分の夢を伝える。すると、イオンは納得したのか微笑みを返した。 「なら、スピナッチに小さいですが闘技場があります。行ってみますか?」  イオンがそう尋ねるや、ルイスは真剣な顔付きで頷いた。ルイスとイオンは、スピナッチ町へ向かい、そこの闘技場で、力試しをする。これで、旅の目的が出来た。あとはそこに進むしかない。  ルイスとイオンは、スピナッチの町へ向かう事になった。  スピナッチの町は、潮風に包まれた小さな港町だ。  この町はシュヴァルツ地方最東端の町で、ビアンコ地方に近い事もあり、ビアンコとの交易の町としてもその名を轟かせている。  交易の町らしく、沢山の種類の市場が町を賑やかにさせている。中には、武具や防具を売っている店があり、イオンはそこに寄ろうと、ルイスに申し出た。  何でも、武具を購入したいらしい。畔道で、頻繁ではなかったが野獣に襲われた。ルイスは得意の格闘技で蹴散らす事が出来たが、イオンは魔術で応戦する事しか出来なかった。  それが、イオンにとって悔しい事だと言うのだ。グローヴァー家に仕える家臣としての名誉が、損なわれるとも言っていた。  店頭には、弓や斧などシュヴァルツ地方では少しばかり珍しい武具が置かれていた。弓と斧はビアンコで主に使われている武器で、シュヴァルツでは数えられる程しか使われていないだろう。  沢山ある武器の中で、イオンが手に取ったのは二本の片刃剣だった。同じ型の剣を見比べるイオンの瞳は、何処か輝いて見える。 「そっか。イオンは俺と一緒に屋敷を出た時、カイさんに剣術を教えて貰ってたんだっけ」  カイとは、ルイスがいつも師匠と呼んでいる人物で、格闘技は勿論の事だが、剣術でもかなりの腕を持つ青年である。  そのカイという青年は面倒見がよく、母やイオンに次いでルイスが信頼を置ける人物でもあるのだ。 「では、この剣にしましょう」  買う物を決めたのか、イオンは店主に銀貨を数枚渡す。お釣である数枚の銅貨を店主がイオンに渡すと、イオンは買ったばかりの剣達を、嬉しそうに持ち構える。 「あれ、何で同じの二本も買ったんだ?」  双剣をおまけで貰った鞘に入れるイオンに、ルイスは疑問を投げ掛ける。確かに、同じ型の剣を二本も買うのは不思議かつ疑問だ。 「ルイス様、僕が二刀流の剣術を習得しているのをお忘れですか?」 「あっ、確か、そうだったよな……」  二刀流の剣術は、数ある剣術の中でも習得が難しい。しかし、イオンは敢えてこの剣術を身に着ける事をした。  彼の意外な一面は、彼のこだわりをとことん極める事。そういう所が、イオンの性格の意外性があってルイスは好きだった。 「さあ、闘技場へ参りましょう。確か、あの白い建物です」  イオンが指を差す方を見れば、石造りの大きな白い建物が見える。ルイスとイオンは、意気揚々にその建物の方へ向かう事にした。  近くで見るスピナッチの闘技場は、市場から眺めるよりも格段と勇ましく見えた。それだけに、ルイスのやる気も増して行く。  人が行き来をしている所を見ると、そろそろ試合が始まるのだろうか。どの人々も、普段から鍛えているという雰囲気が漂っている。 「なんか俺、燃えてきたんだけど!」  ルイスはそう言うと、小さく拳を作り、やる気を出していた。そんな様子をイオンは和やかに見ていたが、ふと背後を見ると、何かに気付いたのか不思議そうにルイスに話かける。 「ルイス様、あの方とお知り合いですか?」  イオンにそう聞かれ、ルイスはイオンが差す方を向いた。そこまでは良かった。背後を見るや、ルイスは身震いをせざるを得なくなった。 「ルイス様、どうされましたか?」  急に顔色を変えたルイスを心配したイオンは、ルイスに尋ねる。しかし、ルイスは意外な言葉を発した。 「何で、エイミーがここに……」  その言葉を聞き、イオンは再び背後を見る。エイミーという少女は確か、ルイスが屋敷を抜け出す理由の一つだったではないか。その理由になった張本人が、まさかスピナッチで会う事になるとは。  ルイスとイオンがあたふたしていると、彼女は自分達に気付いたのかこちらへ向かって来た。それはそれは、物凄い勢いで。 「あら、ルイス様。奇遇ですわね」  エイミーはそう言い、微笑を交わす。深い青色の瞳が、ルイスを離さない。 「どうして、お前が此所にいるんだよ!」  絶望の淵からの、ルイスの言葉。まさに、これこそ一難去ってまた一難。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加