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「Rolling snowballs」
雪の玉は丸く、当然ながら白い。
今朝、真夜中に続いていた降雪が止み、アスファルトで舗装した道路は雪で積もり、真っ白な新鮮さを私は覚える。
私は年甲斐もなく高揚した気持ちで自ずと外に出る。
すると部屋で眺めていたほど、道々は白色で平坦ではなく、所々に車の轍や人の足跡、純白の地には土が染みつき、決して単純な無垢たる象徴の雪とは言い難かった。
妙な現実感。
私は長靴で、いや、小洒落た言い方でレインブーツを履いてはよろしく、家の前の傾斜の緩い坂道で小さな雪玉を作ってみた。
そして、指がかじかんで作ったおにぎり大の雪玉をそっと転がしてみる。
すると雪玉は重力に導かれて、ゆっくりと下って行った。
雪玉はその名の通り雪だるま方式の如く、柔軟に転がりながら徐々に大きくなる。
だが、その雪玉に回転しながら付いてくるのは、清新な雪の結晶だけではない。
直の汚れた地面にへばり付いている埃やゴミや土や泥もかき混ざり、雪玉はのろのろと転がり続ける。
無辜にして純一無雑の白く光る雪玉は、一度、その雪の底に隠れた粉塵の坂道を転がると、かつての純潔さを、浄さを、眩(くら)みさえも失い、穢れ続ける。
坂道とは相反する清濁としての雪玉との共犯関係が、様々な矛盾と不条理に囲われ、その白色が混沌としていく。
清廉潔白な雪とはならない。
ピュアな白ではなくなる。
加速して黒く染まっていく。
たった一矢の過ちによって、自らの本来の白い心が、黒色の汚点が僅かに付き、順路からはずれ、ブレて、ズレて、止まる事を無視するかのように。
たった一枠の失敗や不正によって、自らが纏っていた全身全霊の善意を捨て、ヤケになる様のごとく。
昔、小さく輝いていた雪玉は、汚れ濁りながら大きな黒玉に変わっていく。
自暴自棄となった丸い玉は、ただただ転がり続け、膨れていくだけなのか?
遠い過去に澄み切っていた白の雪玉は、もう磨き直せないのだろうか?
悲しいかな、恐らく心と身体に染み込んだ汚泥は取れないだろう。
時に、悔恨と喪失の念ばかりが己を狂わすだろう。
投げやり、挫折、見切り。
様々な心の苦悶が待っているかも知れない。
だが、浄化という名の自らの破産は出来るのではないか。
堕ちていく黒い雪玉が、かつて自身が抱えた債務のように重いのなら、光の援用を受けて、中傷を受ける覚悟で止めることはできるのではないか。
贖罪とした太陽の日差しが、黒い雪玉を溶かし、自分が抱えた宿業を軽くするかの如く。
溶ける、融かす。
さらには転がるその雪玉が地面に落ちていた空き缶に当たり途中で止まる。
そんな僥倖に巡り合うことも含んで。
これは笑止だ。
どうやら私は大袈裟にも雪玉の転がりに、何某かの人生の過程を見てしまったらしい。
人生は一度の挫折や不義によって諦め、ドツボに嵌まっていくわけではなく、確固たる精神をもって転げ落ちる精神と行動を止まらせる勇気があることを、些細な残雪に見出してしまったようだ。
そう、願い、預け、信じてしまったらしい。
感傷的になるにも程がある。
ただ私は雪解けの時期に、電柱の周りで黒く薄汚れてまだ溶け残る、どうにもじっと天からの陽光で消えようと耐えて待つ、雪の塊を見ることは、決して嫌いな方じゃない。
了
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