半分死んでる 白い恋人

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身体が冷える。 匠は、ぼんやりとした意識の中で考えていた。 そういえば、頬に雨粒が当って、皮膚の上を流れている気がする。 服がじっとりと重い。 「え、どうなってるの?」 急に、目が覚めて起き上がった。 そして、ようやく匠は、駅の近くの公園のベンチに寝ていたことに気が付いた。 そういえば、さっきまで居酒屋で学生時代の友人と飲んでいたなと、少しずつ記憶が戻ってくる。 「飲み過ぎたな。」 匠は、そう呟いたが、同時に、自分が雨に濡れて、身体が冷え切っていることが心配になってくる。 くしゃみをしそうになるが、どうも、くしゃみが出ない。 ただ、鼻水だけが流れてくる。 さあ、自宅に帰って、とりあえずは、服を脱いで、温かい布団で眠りたい。 匠は、また駅の方に向かって歩き出した。 足取りもフラフラと歩いていると、匠は、あることに気が付いて、ぎょっとした。 そして、体中を、パタパタと叩いたかと思うと、あっちを向いたり、こっちを向いたりして、ダンサーのように身体をくねらせて、匠自身を、びっくりしながら、確認した。 「どうなってるんだ。確かに、さっきまで黒いセーターにGパンで、飲んでたよな。うん、黒いセーターだった。それにGパン。」 自分自身を確認するように、呟きながら、また、自分の身体を点検するように、パタパタと叩きだした。 そう、確かに、匠は、さっきまで黒いセーターにGパンで、友人と飲んでいたのだ。 しかし、今の匠は、白いセーターに、白いGパンをはいている。 雨で色が落ちたのだろうか。 そんなことはない。 何度も、口に出しては、今の状況を理解しようとしている。 しかし、そんなことをしても、匠が、白いセーターで、白いGパンであることは、間違いない事実だったのである。 しかし、そんな現実離れした状況なのだけれど、兎に角、匠は身体が冷え切っていて、自宅に帰って、眠りたかった。 やっとのことでJRの駅まで着いたら、やっぱり服にしみ込んだ雨が、どうにも重く感じられて、セーターを脱いで、水を絞ろうと思った。 駅のホームの端に行って、セーターを脱ごうとしたら、背中に誰かが抱きついてきた。 「ダメー。それを脱いじゃダメ。」 声で、若い女の子だと解る。 セーターを脱ぐ手を止めて、後を振り返ると、20歳ぐらいの髪の長い女の子が立っていた。 「え、あなた、誰ですか。」 匠は、不審そうに聞いた。 見覚えのない女の子だし、セーターを脱いじゃダメという理由も分からない。 それに、知らない人に抱きつくなんて、しかも、若い女の子がさ、どうにかしてるよ。 すると、女の子は、勢いでやってしまったことに、ちょっと後悔したような表情になったが、すぐに、勇気を取り戻したのか、開き直った感じで、匠に言った。 「あのう。気が付いたら、白い服だったんじゃないですか。」 そう聞いた。 匠は、それを聞いて、びっくりした。 さっきまで黒いセーターに、黒いGパンだった人が、急に白いセーターに、白いGパンになってたなんて話、作り話でも思いつかないよ。 それを、女の子は聞いてきた。 「どうして、それを知ってるの。」と聞くと、女の子は、「やっぱり。」と言った。 もう、匠は、その理由が知りたくてたまらない。 「あのさ、僕が白いセーターに変わってた理由、知ってるの?」 「ええ、うん、まあ。たぶん、知ってると思う。」 「たぶん知ってるって、どういう意味?」 「うん、まだハッキリとしたことは分からないんだけれど、たぶんというか、仮説というか。あたしには、うまく説明できないの。」 「でも、僕が、白いセーターじゃなかったって、知ってたよね。じゃ、その理由も知ってるんでしょ。」 「だから、知ってるというか、あくまでも仮説なのよ。そうだ、あたしじゃ説明できないから、先生のところに、一緒に相談にいかない?」 「先生って?」 「あ、それは、いいの。とりあえず、先生と言われている人なの。きっと、相談に乗ってくれるわ。」 「でも、別に行く理由もないし。あんまり興味ないなあ。」 匠は、女の子の少し垂れた目尻を可愛いなと思いつつも、女の子の話には興味が無いふりをしていた。 「じゃ、それでも、いいけど。忠告だけど、ぜったいに、そのセーターは脱いじゃダメ。」 真剣に女の子が言った。 「脱いじゃダメって、濡れてるもん。脱ぐでしょ。」 「だから、それを脱いだら大変なことになるの。死んじゃうよ。」 匠は、その死んじゃうよという言葉に、吹き出してしまった。 「死んじゃうよって、着てる方が、身体が冷えて死んじゃうよ。」 笑いながら、答えた。 「だから、死んじゃうって。あなた、何も知らないのよ。」 「知らないって、じゃ、その理由を教えてよ。でなきゃ、普通は脱ぐでしょ。」 女の子は、ちょっと考えて話し出した。 「じゃ、言うけど、、、びっくりしないでね。あなた、半分死んでるよ。生きてもいないし、死んでもいないの。半分死んでる状態なの。その証拠が、その白いセーターに、白いGパンなの。何故か、その理由は知らないけど、半分死んじゃうと、その時着てた服が、真っ白になっちゃうのよ。だから、あなた、セーターもGパンも、真っ白でしょ。」 表情は、真面目だ。 匠は、そんな話を聞いて、どう答えてよいものか、迷っていた。 「半分死んでるって、初めて聞く話だよ。」と、何とか言葉を繋げる。 「誰だって、始めは信じられないわ。そうだ、今日は、あたしの家に来て。だって、お兄さん、絶対に、家に帰ったら服脱いじゃうと思うから。すぐそこなの家。」 匠は、ドキリとした。 泊まっていけという家は、20歳ぐらいの女の子の家である。 変な誘いでないことは分かるが、どうしてよいか分からないじゃないか。 迷っていると、女の子は、匠の腕をとって、さっき入った改札を出た。 家は、駅前の1LDKのマンションだ。 窓際には、消臭スプレーが、何本も並んでいる。 「あれ。」と言って、匠が消臭スプレーを指さすと、「その内、解るわ。」と笑った。 女の子は、匠の事を全く恐れることも無く、あっけらかんとしている。 「はい、タオルで拭いて。それから、今、ドライヤー持ってくるね。」 そう言って、風呂場に行くときに振り返って「絶対に、脱いじゃダメよ。」と、エクボを見せて、悪戯っぽく笑った。 それから、匠は、服を乾かしている間、女の子から、いろいろ話を聞いた。 女の子は、怜子という。 今は、女子大の文学部に通っているそうだ。 でも、どうして、僕なんかに、こんなに親切にしてくれるのだろう。 匠は、その理由を、話ながら探っていた。 「あのさあ。半分死んでるってさ、そんな話、どこから聞いたの。そんな現象というか、そんな半分死んでる人なんて、聞いたことが無いよ。」 「だって、ホントの事をいうとね。あたしも、半分死んでるの。だから、分かったのよ。」 そういって、怜子は、着ている赤いセーターを脱いだ。 下には、白いブラウスを着ている。 「それが、どうしたの。普通じゃん。」匠は、不思議そうに言った。 「あれ、気が付かない。あたしのブラウス白いでしょ。でも、このブラウスね、本当は、ブルーのブラウスだったのよ。でね、あたし、車に、はねられたみたいなの。それで、気を失って、気が付いたら白いブラウスになってたの。そこを先生に助けてもらったのよ。」 そう言って、スカートを脱いだ。 匠は、急にスカートを脱ぎだしたものだから、「あーっ。」と叫んでしまったが、怜子のスカートの下には、白いスカートが重ねて着てあった。 「このスカートはね、もともと、タータンチェックの柄だったのよ。で、半分死んで、白になっちゃった。でも、不思議で、車にはねられたのに、キズ1つ無かったの。」 「それで、お兄さんは、どうして半分死んじゃったの。」 「いや、だから、まだ、半分死んだって納得していないし。」 「あまいね。お兄さんは。あのね、疑って、白い服を脱いで死んじゃった人、あたし3人見てるのよ。知らずに、脱いで、その場で、消えて無くなっちゃったの。」 「消えて無くなっちゃったって。煙になっちゃったの?」 「うん、そうなの。」 「へえー。」匠は、煙になったところを想像したが、どうもアニメかなにかでしか、脳内で再生できなかった。 それを見た怜子は、「その、へえーってのは、まだ信じてないよね。」そういって、諦めたように笑った。 「だから、あたし、半分死んでから、ずっとお風呂は、このブラウスとスカートを着たまま入ってるのよ。それで、タオルとドライヤーで乾かすの。でも、半分死んでるからかな、そんなことをしても風邪ひかないのよ。」 「じゃ、お風呂に入らない時は、あれか。」と匠は、窓際を指さした。 窓際には、消臭スプレーが、何本も並べてあった。 「でも、お兄さんは、大変。はは、だって、セーター着てるんだもん。あたしは、夏に半分死んだからさ、ブラウスでお風呂入れるけど、お兄さんは、セーターだから、お風呂大変だ。」 その事を発見した怜子は、どうも嬉しくて仕方がないようで、匠をからかっては、笑い転げていた。 そろそろ、セーターが乾いてきたかなというころ、匠は、眠りに落ちてしまった。 次の日の朝。 怜子は、匠の為に、パンとコーヒーを用意していた。 「半分死んでるのに、朝ごはんが美味しいな。」 どうも、匠は、半分死んでるというフレーズが気に入ったようで、何か喋るごとに、「半分死んでるから」を付けるのが癖になっていた。 或いは、怜子と、一緒にいることが楽しくなって来ていたのかもしれない。 朝食を済ませたら、渋谷にある先生と言う人の事務所に、怜子と出かけた。 ドアを開けると、先生は、「半分死んではるな。」と怜子に言った。 それに対して、怜子は、大きく頷いた。 「あんたは、怜子ちゃんから、半分死んでる話を聞いたんかいな。」 「ええ、聞きました。でも、本当は、信じられなくて。」 「そやろ。わしも始めは信じられへんかったんや。でもな、この世の中にな、半分死んでるやつが、そやな、1000人に1人ぐらい毎年発生してるということを見つけたんや。その内、それに気が付かずに、聞いたやろ、白い服を脱いだら死ぬって、そやから、服脱いで死ぬやつが、8割ぐらいおる。それでも、相当な数字やで。」 匠は、先生と呼ばれる人の、大阪弁が気になって仕方がない。 「で、僕は、どうしたら良いんですか。」匠は、それが知りたかった。 先生は、下唇を突き出して、「うーん。」と唸る。 「そうやな。取り敢えずは、その白い服は、絶対に脱いだらアカン。死ぬで。」 「はあ、それは聞きました。でも、どうして白い服なんですか。」 「それは、まだ分からんのや。」 「じゃ、服を脱がないこと以外に、何かあるんですか。」そこが、やっぱり知りたいのだ。 先生は、またもや下唇を突き出して。「うーん。」と唸る。 「いや、何もない。服を脱いだらアカン以外は、何もないんや。」 「じゃ、他は、何やっても自由なんですか。」 「ああ、何やっても自由や。」 「じゃ、半分死んでるっていっても、そんな大変なことは起こらないんですね。どこかがメチャ痛いとか、病気になりやすいとか、普通に生活できるんですね。なんか、中途半端ですね。それなら、死ぬとか、生きるとか、どっちかにしてくれたら良いのに。大体、その半分死んでるって状態ですけど、どういう状態なんですか。神様とか、誰かが、半分死んでる状態にしてる訳なんですか。」 匠は、理由もなく、やや苛立ってくるのを感じた。 「まあな、人間と言うのは、もともと中途半端な存在なんかもしれへんで。周り見てみい。誰もみんな、死んだような顔して、毎朝会社に出勤してるやないか。あんなんより、半分死んでる方が、よっぽど生きている実感があるで。なあ。」 「先生の言い方を聞いたら、生きてる人が死んでるようで、半分死んでる人がイキイキしてるってことなんでおますんやな。」 「いや、そんなことより、今は、大阪でも『おますんやな。』とかいう言葉使わへんで。あんた、大阪弁使いたいんか。教えたろか。」 匠は、ついつい先生の言葉遣いに影響されて、変な大阪弁を使ってしまったことが、なにか悔しかった。 怜子を見ると、手のひらで口を押えて、必死で笑うのを堪えているじゃないか。 やっぱり、「おますんやな。」は、恥ずかしかったか。 先生は、続けた。 「それにな、わしらは、半分死んでるやろ。そやから、病気にもならへんのや。風邪もひいたことないわ。半分死んでるから、会社の上司のパワハラでも、ストレス感じへんしな。結構、便利やで。」 「それにしても、中途半端ですよね。生きているのか、死んでいるのか、、、、。」 匠は、途中で、腕を組んで黙ってしまった。 先生は、それを見て、諭すように言った。 「あのな。物事は、白と黒と、両極端に決めつける必要のない世界もあるんやで。大体、人間が、生きてるか、死んでるか、決める必要があるか。人間はな、死んでるとか、生きてるとか、そんなこと考えずに、まあ生きとったらええねん。まあ、死んでる人は、生きてないんやけどな。そやから、半分死んでるのが貴重な訳や。」 「はあ。じゃ、先生の話を聞いてると、別に半分死んでても、服を脱がなかったら、生きてるのと同じということですね。もう一回確認すると。」 「そや。」 「じゃ、半分死んでる人が、この白い服を着たままじゃないと死んじゃうってのは、どういう意味があるんですか。」 「はあ、そこやな。詰まるところは。わしが考えるにはやな。半分死んでることの目印ちゃうか。人間はな、魂と肉体から出来てるやろ。魂に肉体が引っ付いたものが人間ともいえる。んで、その上に服を着飾ってるわけや。んでな。死んだら、その肉体が無くなってしまう訳や。骨だけになる。骨だけやで。んでな。半分死んでる人間はな、本当は、もう肉体も死んでるんちゃうかなと思うんやな。もう死んでる。半分死んでるんやさかいにな。でも、骸骨だけが生きとったら気持ち悪いやろ。あんた、骨だけが歩いとったら気持ちわるいやろ。骨だけやで。骨。」 そう言って、両手をブラブラさせて、腰をクネクネさせた。 本人は、骸骨踊りをしているつもりだろうけれど、ただの変なオッサンにしかみえない。 怜子は、今度はこらえきれずに、声を出して笑った。 「ほんでや。魂だけやったら見えへんし。そやから、本当は、魂だけなんやけど、一応肉体もつけてくれてるんちゃうかな。でも、肉体だけやったら、街歩かれへんやろ。あんた、スッポンポンで街歩けるか。恥ずかしいやろ、そやから、白い服を着せてくれてるんや。だから、半分死んだ人は、本当は、魂だけの存在やけど、便宜上、肉体も服も、神様が付けてくれてるんや。そうわしは思ってるんや。神様も、白い服着せとったら、半分死んでる人を見つけるの簡単やしな。」 それを聞いて呆れたが、それを否定する気持ちもなかった。 「で、その神様って、どの神様なんですか。日本の神様ですか、それともキリストさんですか。」 「いや、そこまでは、分からん。兎に角、エライ神様やろな。」 先生は、手を合わせて、「エライ神様やろな。」と繰り返した。 そんな先生との出会いがあって、でも、セーターとGパンを脱いではダメというルール以外は、何をやっても構わないので、今まで通りに生活をしていた。 ただ、違っていたのは、匠と怜子が付き合い始めたことだ。 付き合い始めてすぐに同棲に変わった。 同じ、半分死んでるという状況が、お互いに共鳴するところがあったに違いない。 そうこうするうちに、愛が高まっていった。 でも、少しずつ変化が生まれてくる。 お互いに愛する気持ちが高まってくればくるほど、相手に触れたいと思う気持ちが湧いてくるのだ。 いや、もっと、正確に言うなら、匠は、怜子の身体を抱きたいと願うようになってきたのである。 「怜子ちゃん。僕、怜子ちゃんを抱きたい。」 「ばか、服を脱いだら、死んじゃうんだよ。」 「うん、わかってる。でも、死んでも良いから、怜子ちゃんを抱きたい。怜子ちゃんの肌に触れたいんだ。」そう匠は、切々と訴えた。 しかし、服を脱ぐわけにはいかない。 それは、2人とも解っているのだ。 しかし、ある夜。 匠は、決心をした。 たとえ、自分が死んでも、怜子を抱きたいと言う事を。 中途半端に生きるより、愛を選んだのだ。 いや、この場合、愛と言うより、欲であるのかもしれない。 でも、匠は、それを望んだ。 匠は、怜子にキスをした。 その気配を察して怜子が、「ダメ。」と言った。 すると、匠は、自分の服の前を破り割いた。 そして言った。 「まだ、服を割いただけで、脱いではいない。これなら、怜子ちゃんを抱ける。」 怜子は、その匠の引き裂かれた服から見える肉体を見て、怜子自身の気持ちも抑えきれなくなって、同じように服の前を引き裂いた。 そして、言った。 「私も、まだ服を脱いでいないわ。」 そして、、、、、、「合体。」 ただ、2人で求め合ううちに、匠は、怜子の服を全部脱がしてしまったようだ。 気が付くと、そこに怜子は煙と消えて、ただ、ブルーのブラウスと、タータンチェックのスカートが落ちていた。 匠は、自分の身体を触ってみたら、まだ生きている。 そして、裂けたセーターとGパンを見たら、黒いセーターとGパンに変わっていた。 2つの半分死んでいる人間が、合体して、1つの生きている人間に変わったのだ。 匠は、そう理解した。 怜子ちゃんには悪いが、これでまた、生きていられる。 そう思ったら、晴れ晴れした気持ちになっていた。 怜子とのことは、何故か、ハッキリとは思いだせず、夢だったような気がするのである。 そんなことがあった日から、半年ぐらい経ったころ、渋谷のスクランブル交差点を歩く男がいた。 匠だ。 その目は、虚ろに、仕事のストレスを抱えて、今にも倒れそうに歩いている。 すれ違うカップルの声が匠に聞こえた。 「あの人、死んでるみたいね。」 振り返ると、そこに白いスーツを着た男性と、白いワンピースを着た女の子が、活き活きと、楽しそうに、話ながら、足早に歩いていく後姿が見えた。
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