ある日、突然シロに

2/5
前へ
/5ページ
次へ
「ただいまッ」  玄関から美里の声。後を追うように矢吹ケイの声。ほら、二人が帰ってきた。矢吹ケイ本人である俺がシロとしてここにいるということは、矢吹ケイの存在が消えてしまったのでは、と心配していた。しかし、自信なさげで貧弱な男、矢吹ケイはしっかりとそこに存在した。 「ケイ君、お腹すいてるでしょ? すぐにごはん用意するねッ」 「あっ、うん」  相変わらず煮え切らない性格だな。自分で自分が嫌になる。矢吹ケイの身体から飛び出し、客観的に自分を見てみると改めて思う。男という生き物は、豊かな包容力で恋人を包み込んであげるべきだ。 「何か手伝おっか?」 「いいよ。ケイ君はシロと遊んであげてて」  美里はほんとに優しいな。ヨダレを垂らしながらウットリと美里を眺めていると、矢吹ケイがそばにやってきて、俺の腹を撫でた。  二人のことを客観視していたけれど、冷静になって考えてみよう。俺は犬になってしまっていて、今や美里と矢吹ケイの飼うペット。どう受け止めればいいんだ? いつか俺は、矢吹ケイに戻れるのか? 「シロ。シーロ。シロー。シロッ」  俺が俺の名を連呼する。もっとマシな遊びはできないものか。情けない。  ただ、シロである俺はヤツを貶してばかりいるが、矢吹ケイを誰よりも知る俺は──そりゃ本人なんだから──ヤツの気持ちを代弁したくもなる。  人生で初めて付き合えた彼女が美里だし、美里は周囲が羨むほどにキレイだった。何の取り柄もない俺みたいな男と、なぜ付き合ってくれたのか不思議に思ったし、同時に劣等感も芽生えはじめた。そして、その劣等感はやがて、あらゆる自信を奪っていった。余計なことをして捨てられるくらいなら、何もせず、ただ美里の優しさに甘えていよう。そう考えたのも、必死に悩んだ末の答えだったから。  二人は食事を終えた後、俺を連れて散歩に出かけた。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加