気弱な僕と祖父の話

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大阪に初雪が降った。 雪を見る度に、僕は祖父の事を思い出す。 祖父が亡くなったのはもう数年前になるが、 多分、あの日の出来事がそうさせるのだろう。 実際には祖父なんて呼んだ事は無くて、じいちゃんと呼んでいたし、正直な所、僕はじいちゃんが苦手だった。 元来、気の弱い僕は、じいちゃんに事あるごとに、「男らしくせんか!」「うじうじしよって恥ずかしくないんか!」「はっきり喋らんか!」等々、よく怒られていた気がする。 でも、そんなじいちゃんは、言い過ぎたかと思うと、庭でしょんぼりしている僕に部屋から背中を向けて「言い過ぎやったな」とか、部屋で拗ねていると、廊下から聞こえるように「まぁ、人は人で色々おるからな」と言って去って行ったりした。 今思えば、おじいちゃんなりの優しさだったんだと思う。 自分の筋として言った言葉は否定はできないけれども、相手の事を考えてフォローは忘れない。 それに僕が店先でほしいものがあっても口に出して言えない時は決まって「欲しいんやな?ハッキリ言わんか」と悪態をつきながら、買ってくれた。 うれしくて僕が笑うと、おじいちゃんも笑う。 厳しい面もあったけど、優しい人だった。 じぃちゃんが亡くなる数日前、僕は久しぶりに見舞いに行く事になる。 この頃の僕は、友人と遊ぶのも楽しかったし、中学生の頃からは、じいちゃんがしきりに口にする男らしくと言う言葉にはウンザリして家に行くのも敬遠していた。 今なら、おじいちゃんの性分だったんだなと理解できるが、当時は何度も言ってくるしつこい所が嫌だったのだ。 ただ、入院していたのは知っていたし、長くも無い事はわかっていたし、親からも何度も行けと言われた為、渋々、行行ったというのが本音である。 「薄情もんがきたか」 「うん」 まさにそうだ。 以前とは別人のように痩せ細ったじいちゃんを見て、僕は何故今まで来なかったのか、どうしてもっとじいちゃんとの時間を大切にしなかったのかと悔いた。 「そんな顔すんな」 じいちゃんは笑った、いや、笑おうとしたのだが、以前とは違い過ぎて悲しかった。 「わかった」 見ているのも辛かったから顔を背けようとした時、じいちゃんはゆっくりと病室の窓を見た。 何を見ているのだろうと暫く僕も眺めているとじいちゃんが呟く。 「積もるかの」 「何が」 「雪」 僕はじいちゃんの言葉に何も返せなかった。大阪に雪が積もる訳などない。 20年も住んでいた僕だからわかる。 振る事はあっても積もる事等ないと。 「また明日来るよ」 「わかった」 僕は逃げるようにじいちゃんの家に行った。 その日、ばあちゃんには小言を沢山言われた。「あんだけじいちゃんに世話になっとって」と言う言葉を皮切りに、僕は黙ってばあちゃんの話を聞いた。 でもひとしきり愚痴を言い終わった後、ばあちゃんは「大人になると他に大事なものが出来るからしかたない」と僕を励まし「最後に来てくれてありがとう」と頭を下げた。 でも、ばあちゃんが敷いてくれた布団の中で、僕は本当に大事なものができたからだったのか、じいちゃんよりも大事な物だったのかとか考えるとなかなか寝つけなかった。 そして夜はいつにもまして冷え込んだ。 翌朝、ばあちゃんの驚いた声で僕は目覚めた僕は、寝起きの寒さに震えながらばあちゃんの所にいくと「外、外」と窓の向こうを指さしているので、窓の向こうを見ると、世界は白かった。 一面が白。 「こんなに積もるなんて、何年、何十年ぶりかな」 後ろでそんな事を婆ちゃんが言うのは放っておいて、僕ば着替えてじいちゃんの入院している病院に向かう。 ばあちゃんの自転車を借りて行ったのが間違いだった。 僕は雪を知らなさ過ぎたのだ。 車通りのある所は轍が出来ているので問題がないが、途中、車通りのない所で立ち往生した。 ペダルが重くて進まない。 おまけに踏み込む力が必要なので、自転車がぶれて、バランスを崩して倒れそうになる。 結局、同じ事を繰り返すだけで一向に前に進まない。 僕は、自転車をその場に放置し、走って病院に向かう。 これも地獄だった。 足が雪にめり込んで、抜く時に引っかかっていつも以上に疲労する。 おまけに靴もズボンもビショビショになる。 勢いで数メートルは走れたものの、僕は疲れから休憩を入れなくては動けなくなり、休憩後、人通りが多く、ある程度踏み慣らされた道は走り、そうじゃない人通りのない所は歩き方にも気を使い昨日の帰りの倍以上の時間を使って病室に辿り着いた。 汗だくで、服もビショビショで、とても声を出す余裕なんてない。 「積もったな」 僕の顔を見てじいちゃんは笑って言った。 昨日よりいい笑顔で、それでも昔ほどの朗らかさは無かったけど、僕も笑った。 二人で笑った。 その後、じいちゃんが雪を見たいと言ったので車椅子に乗せて外に出た。 外に出てじいちゃんは、敷地にある木を指さし、僕は、足跡も無い雪の中に木を目指して車椅子を押す。 「男らしくなったな」 じいちゃんは呟いた。 「うん」 ややあって僕は返事をした。 「じいちゃんが軽くなったから」と言う言葉を飲み込んで。 飲み込まなければ、色々な思いが僕を押し潰してしまいそうで怖かったから。 車椅子を押して敷地の木のふもとに辿り着いて、僕は茫然とした。 街並みが、白いベールに包まれてキラキラしていた。 空が晴れあがっていたせいもあるだろう。 純白のドレスをまとっているかのようだった。 「風情ってもんがねえよな。こう、ビルが建ち並んじまうと」 「そうかな、僕にとっては」 「昔はさ、本当に一面がよ」 じいちゃんは黙った。 「見たかったな、一面の銀世界」 今とは違う景色を想像し、少し寂しさがこみ上げた時。 「冷えてきやがった。戻るか」 そう言ってじいちゃんはまた笑った。 その後、戻る時に雪の中で方向転換するのが大変で病院の人や他の患者さんに手伝ってもらって何とか戻る事が出来が、本当に積もった雪は恐ろしい。 また、当然じいちゃんには「まだまだだな」と笑われたが、じいちゃんが昔に戻った気がしてうれしかった。 病室に戻った後は、じいちゃんの昔話で友達と雪合戦した事や、雪ダルマを作った話等を聞かされ「また来るよ」と伝えて僕は実家に帰った。 その頃には、病院につくまであれだけ苦戦した雪も道路側は殆ど解けて水に変わり流れていた。 じいちゃんが亡くなったのは、それから数日後だ。 死に目には会えなかったけど、ばあちゃん曰く安らかに逝ったらしい。 僕も見せてもらったが、何だかすっきりした感じだったのを覚えている。 あれから数年、雪が降るたびにじいちゃんを思い出す。 僕はこれはじいちゃんの呪いかもしれないと今は思っている。 本当は、呪いではなく悪だくみや、仕組まれたとか、策略と言う方が正しいとは思っている。 けど、呪いの方がしっくりくる。 じいちゃんはあの晩、雪が降る事はわかってたんだと思う。 だからあんな言葉を呟いた。 そして雪は降り積もり、思い出として残った。じいちゃんのとの記憶も。 僕は、これからも雪が降るたびに思い出すのだろう。 もしかすると、子供が出来たら話をするかもしれないし、孫にだってするかもしれない。 そうして、じいちゃんの思い出は語り継がれていく。 人の命は、帰り道に解けた雪のようにはかないけれども、思いは受け継がれる限り生きている。 それに、雪が降るたびに色々思い出し、考えや、思いが積もっていく。 だから呪いなのだ。 僕は雪が降るたび思い出す。 じいちゃんの事を、あの日、町が白くベールに包まれた日を、僕は忘れない。 きっとこの思い出こそ大事な物なのだから。
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