『Joker』に想う

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『Joker』に想う

2019年の大ヒット映画『Joker』 は、 いま最も大きな政策課題である〝社会の持続可能性〟を描いた名画だと思います。 主人公や暴徒の犯罪を正当化するのはけしからんとか、 よくぞ我等の気持ちを代弁してくれたという意見も多いですが、 どちらもある意味で正しく、ある意味では間違っているのかもしれません。 この作品の主題は、『文明が発達するほど、人間が衰える場合も増える。  社会全体が衰えれば、悲劇に向かってしまう人々も増える。 これを見て、本人や周囲の人々の立場になってもらえたら分かります。  人間的なやり方で、一緒に悲劇を防ぎましょう!』ということだと感じました。 人類は、文明によって現在の繁栄を得ました。 文明の二本柱は、技術と政策です。 文明活動の本体は、全ての人々が営む経済・社会活動ですが、 自然から富を得て、それを豊かにするのが科学・技術、 人々の間で富を分け、それを健全に保つのが制度・政策です。 農耕から工業、情報社会というように、科学・技術が発達すると、 経済・社会活動は大規模化すると共に、複雑加速化します。 それに伴って制度・政策も高度化し、広域化し(国家の成立や国際化)、 分権化(政治的民主化、経済的自由化、地方分権など)します。 制度・政策はまた、文明が置かれた自然・社会環境の恩恵や制約のもとで、 新技術の開発を方向づけます。 7272d0a5-5d1a-40af-9627-84aa58a7c465 そのような文明発展の循環(サイクル)を重ねるうちに、 主力となる技術の性質は変わってきましたが、 政策においても重心が移ってきたと思います。 まず農業~工業時代には、灌漑や軍事のような、 富の生産(安全を含む)に関わる技術的(いわゆるハード的)政策。 次に工業~情報時代には、産業立国、福祉国家のように、 富の分配(再投資を含む)に関わる経済・社会政策。 そして情報~AI時代の今では、少子高齢化などを背景に、 富を作って分ける人間自身の維持・向上に関わる、 保健や教育といった人的資源政策も重要になっています。 a0016cda-bae5-49f2-95b3-8c16eb12353f 現代文明における世界的・総合的な政策課題として、 いくつかの〝持続可能性〟ということが言われていますが、 主として〝環境の持続可能性〟は技術的政策の課題、 〝経済の持続可能性〟は経済政策の課題、 〝社会の持続可能性〟は、社会政策と人的資源政策の課題であると考えます。 そしてこの『Joker』は、特に人的資源政策を通じた、 〝社会の持続可能性〟の大切さを描いた作品なのではないかと思います。 社会政策と人的資源政策は関係が深く、〝保健福祉〟などのように よく一体として扱われますが、特に後者が重要となりつつあります。 困っている人を助けるだけでなく、困らないよう力をつける。 就業困難なら職業訓練というだけでなく、保険制度も介護・疾病(しっぺい)予防を重視、 貧困対策も子どもに注目、幼保一元化も児童福祉プラス教育の面を含みます。 私達は現在、経年・経代的な健康(精神・社会的も含む)水準の低下に 直面しています。 歳をとれば、誰しも多かれ少なかれ、おツムや身体や心が弱る。 私のように、色々弱い子供でも生き残れる(大昔は子供でした[笑])。 社会的健康には腐敗や衆愚化、無関心、 様々な組織、階層や派閥のタコツボ化による社会の分断などがありましょう。 人々の能力が社会の分断により活かせなくなったら、 どんな人材であろうが、いないのと同じです。 また、経済・社会活動の大規模化や複雑加速化に、 教育が対応しきれなくなる恐れもあります。 どんなに富を増やしても、どんなにそれを分けたとしても、 我々自身が衰えていってしまったら、楽しめないし、(まかな)えない。 実はこの映画はそのような、 人間に焦点を合わせた〝社会の持続可能性〟に関わる課題を、 全て見事に描いていたのではないでしょうか。 誰にも起きうることなので、誰かを責めても意味がない。  皆が一緒に、我が事として考えなければ解決できない。 何が事実か分からない主人公の妄想設定と、いずれにしても凄惨な結末は、 娯楽性と啓発性を両立させながら、 そのことを上手く表現していたのではないかと思います。 昔だったら災害や疫病、戦争や犯罪、 あるいは間引きや姥(爺)捨てによる淘汰があったのかもしれません。 しかし今では、そんなことは許容できなくなりつつあります。 大人の半分近くを占めゆく高齢者を、捨てるのか? 若い人達だって明日はもう我が身、歳取ってみると早いぞ(笑)! ただでさえ少ない子供を、間引くのか? 生んだら死なすな、死なすなら生むな、となりましょう。 そして何よりも現在、人工知能(AI)を中心に、先進医療・教育、 新素材・エネルギー、知能ロボット、ビッグデータ処理による決定支援など、 悲劇を回避できる次世代技術が現れつつあります。 それは、人体のような自然物と機械のような人工物の垣根を取り払い、 ()いとこ取りで双方の持続可能性を高めることができる、 (体内環境を含む)自然環境と社会環境に優しい技術です。 1abc1e2f-2d05-4433-b322-9765a9218c67 技術がなければ最悪、昔の生活に戻るしかないが、それは今も発展し続けている。 より少ない犠牲、費用、危険でより多くの福利を求める人間性の本質からしても、 むしろ、そうした革新的技術をいかに健全に開発・普及できるかが、 次の時代をリードできるかどうかを決める、カギとなるのではないでしょうか。 ただし技術は両刃の剣なので、ただそれを開発・普及するだけでなく、 悪用・誤用や不調、副作用を防ぎ、活用する政策も重要になる。 そして、そのような政策の実現のためにも、 我々自身の向上が重要になってくる……。 〝社会の持続可能性〟を追求すべき、必要性と許容性は揃っている。 この映画は、そんなことまで考えさせてくれる名画でした。 新たな技術と政策による、 (このような文化的傑作も含めた)人類文明の発展に期待したいです。
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