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「……大丈夫か?」
「うん……、ありがとう」
入口が派手に破壊された駄菓子屋の中で、私たちは呼吸を整えながら座り込んでいた。青年の優しい声に妙な安心感を覚えながら、私は溶けかけて白に変色した右手をそっと撫でた。
「良かった。あのまま日向に居たら、お前死ぬとこだったぞ?」
脅しなどではないことは、青年の真剣な声音で分かっていた。右手がドロリと溶け始めた瞬間を思い出し、腹の奥から恐怖が湧き上がる。胃に氷でも詰められたみたいに、体はひやりと冷え切った。
初めて、死ぬことが怖いと思った。全身からドッと冷や汗が溢れて、体中の血が危機を告げて騒いでいた。
もしもこの青年が助けてくれなければ、私は今頃あの白い彫像と化していたに違いない。
「さっきは助けてくれてありがとう。……あの」
「ヤシロ。好きに呼んでいい」
言いたい事を察したのか、彼が無愛想に言って立ち上がった。
「じゃあ、ヤシロ。私は由紀。その……よろしくね」
返事はなかった。代わりに、切れ長の目がスッと細められる。
「ねぇ、この世界はどうなっちゃったの……?」
「見ての通りだ。神の怒りを買ったんだよ」
「神の怒り……?」
復唱すると、青い影を浴びながらヤシロが頷く。
「人間が命を粗末にしたからだ。だから、ああやって蝋にされたんだよ」
「あれ、蝋だったんだ……」
「あぁ。太陽の光を浴び続けると蝋になり、その後はただ光に焦がれて溶けるのを待つだけ。そして完全に溶けたら、やがて死を迎えるわけだ」
「じゃあ、私の右手も……」
「由紀も蝋になりかけってことだ。軽率に陽の光を浴びちゃならねぇ」
そんなの無理に決まっている。
そう反論したかったが、するだけ無駄だろうと口を噤む。無理でもそうしなければ、私はこのまま存在が消えてしまうのだから。
奇想天外な事象のせいで、まともな思考が停止しているんだ。人が蝋になるだなんてフィクションじゃあるまいし。本来ならそう言ってもっと慌てているはずなのに、私は案外冷静だった。
「……蝋にならないようにするために、何か方法はないの?日を浴びないために、ずっと日陰で暮らすしか方法はない……?」
「……いや、世界の果てに行けば全てが終わる」
「どういうこと?」
問えば、ヤシロは割れたガラスを踏みつけて、青空を背負いながら私を見据えた。
「世界の果てに辿り着けば、この訳の分からない世界から脱出はできる。蝋にならずに済むってわけだ」
「じゃあ、その世界の果てを探しに行けば……って、どこにあるの?」
「それは分からない。だが、お前が本気で生き残りたいなら、見つけられるかもしれないな」
「本気で生き残りたいなら……?」
「あぁ。どうする、行くか?」
ヤシロは茶色の瞳を細めて問う。
即答しようと思ったが、私はなぜか悩んでしまった。本当に、生きて脱出できるのか分からなかったからだ。そもそも、私に世界の果てなんて見つけられるのか。言動からして、ヤシロも世界の果ての場所を知らない。
それでも、私は……
「……行く」
自分でも驚くくらいか細い声だった。まだ、どこかで恐れて悩んでいるのかもしれない。
それでも、私はこのまま蝋になるのなんて嫌だった。
「そうか。じゃあ、陽の光に気を付けて行くぞ」
「う、うん……!」
「ちなみにお前が先導な。俺は後ろから着いていく」
「え、でも、この世界のことはヤシロの方が詳しいんじゃ……」
「お前が先に行かねぇとダメなんだよ。そうじゃねぇと辿り着けない」
ヤシロの言葉の意味は分からなかった。だが、適当を言っているわけではなさそうなので、大人しく私は彼の前を歩いた。
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