命の蝋

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 改めて世界を見てみれば、案外陽の光が当たらない所が多かった。建物がほとんど崩れているせいか、道に大きな黒い影を落としていることが多い。鈍くさい私でも、なんとか日光を避けながら移動できそうだった。 「さて、どっちに行くんだ?」 「えーっと……どうしよう」 「どっちでもいい。由紀が気になった方に行けばいい。たぶんそれが正解だ」 「……随分と私を信用してるんだね」 「別にお前を信用しているわけじゃない。この世界の仕組みを信じているだけだ」  よく分かんないな、と少し口を尖らせながら私は右方向に歩き出した。折れたカーブミラーがガードレールに絡みつき、幾つもの段差を生み出した道路は所々水を吹いている。 「……本当に、世界の終わりみたい」 「あながち間違ってねぇな、それ」 「神様の怒りを買ったんだっけ?人が命を粗末にしたから……」  物陰から物陰へと移りながら、独り言のように呟く。すると、後ろを歩くヤシロが小さくため息を吐いた。 「人間はすぐに命を蔑ろにする。自分の命も、他人の命もだ。命の重さや価値に優劣などありはしないのに、人はみな、特に自分の命を簡単に捨てる」 「……」 「俺たちは死ぬために生きてるんじゃない。与えられた命を大切に抱えながら未来を創るために生きてるんだよ」  崩壊した家屋の影で、私は一度足を止める。その言葉が、まるで鋭利な刃物のように突き刺さったからだった。それから、あまりにもヤシロの声が悲痛に聞こえて、彼に同情してしまいそうになったからだ。 「蝋燭のように溶けてなくなるために、俺たちは過ごしているんじゃないんだよ。世界を照らして、次に繋げるためにこの世界に存在するはずなのにな……」  振り返れば、曖昧に微笑んだヤシロがいる。私と同い年くらいの、まだ少しあどけない顔に、切なげな色が宿る。 「……でもさ、誰もが前向きに生きられるわけじゃねぇんだよな。世界は平等じゃない。どうしようもない時だってある」  ヤシロがそう言いながら私の背を押す。進め、ということだろう。なぜだか親近感の湧く彼にかける言葉を探していたが、頭の悪い私には何を言っていいのか分からなかった。 「だから、死を選ぶ人も少なくないんだ。でも誰もそれを止めやしない。それはその人の意思だから、誰にも止めることはできねぇんだよ」  雪のような白い蝋が混じる水が流れている用水路沿いを歩けば、ヤシロの低い声がそこに落ちる。降り注ぐ凶器のような太陽光が、目に痛かった。 「……自殺する人を、止めるのは間違ってるってこと?」 「そういう意味じゃねぇーよ。止めるのも見て見ぬふりをするのも、自殺志願者を助けようとするのも自由だ。だけど、最終的な決定権は本人にある。自分の命をどう扱うかは、その人の自由だからな。……俺はただ、少しでも命を大事にする人が増えてほしいだけだ」  怖そうな見た目とは裏腹に優しい言葉を吐くヤシロに、私の中の何かが変わるような気がした。きっとその言葉が、私にとって重すぎるものだったからだと思う。  それをぐるぐると頭の中で反芻させ、ぼんやりしていたせいで影からはみ出た足先が、ジュッと音を立てた。薄汚れたローファーの先が、白く変色している。驚いてよろけそうになったところを、ヤシロに腕を引かれて抱き留められる。鼓動の音が聞こえることはなかったが、微かな温もりが流れ込んできて不意に泣きそうになった。 「……死んでから、あの時こうすればよかったって後悔してほしくねぇんだよな」  ヤシロは私を立たせ、壊れ物でも扱うかのように頬を撫でてくる。ひんやりとした手先が、少しだけ心地よかった。 「……生きるのって、難しいよな」  ヤシロは困ったように眉を下げた。どこかの公園の木の下で目と目がぶつかり合う。その目は、私と似た感情を宿しているように見えた。 「……わかる、気がする」  ヤシロの手に触れて、私は俯いた。
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