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前夜、大きな木の上にて1
長いこと待ったのだ。
もう我慢できない。
◆
目的地に辿り着き、名無しは足をとめた。
夜も更けたころにひとりで屋敷を抜け出し、篠笛と琴の音から逃げるように歩きつづけて、ようやく柱木のざらざらした幹に手をついたときには、草を踏み分けた靴が湿って指先は冷たくなっていた。
名無しの背丈の何倍もある柱木は、ずっとずっと下の、人が住む地上から生えていて、名無しの暮らす神の御領をささえている。
御領にはほかにも赤や黄の柱木があるけれど、名無しは目の前にある白の木が一番好きだった。
いい匂いのする、爪の先ほどの小さな白い花をつけて、満開をすぎたころに風がふくと、まわりが見えなくなるほどに舞い踊る。名無しは春になると、きまって白の木のかたわらに座りこみ、乳母が迎えにくるまで一日中でも花の散るさまを眺めていた。
けれどいま、枝には緑の葉がしげるばかり。その葉も夜の暗がりに溶けてしまい、名無しのしずんだ気持ちをなぐさめてくれない。
名無しは鼻をすすりあげて、ぼうと橙に光る鬼灯をかかげた。
太い幹をまわりこみ、枝を何本か数えた先に、ぽっかりと空いた洞が見える。そう大きい洞ではないが、あそこなら夜風も急な雨も防いでくれるだろう。
あれを今日のねぐらと決めて、名無しは鬼灯を地面に立ててから一番近い枝に手をのばした。
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