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憐れなほどに[ネズミ]の全身がガタガタと震えだした。ずぶ濡れのダウンコートはずしりと重く、フードからしたたる雨粒が首を伝い、服のなかを不快に湿らせる。
震えが止まらないのは寒さのせいだ、と[ネズミ]は己に言い聞かせた。決して目の前の男が怖いからじゃない。
「君には、たくさん、たくさん、貸しがあるよね」
男が小首を傾げてみせる。その辺のアイドルよりよほど整った顔立ちであることが、更に男を近寄り難い存在に仕立て上げていた。
「そろそろ、返してもらおうかなー」
「……なにを」
やっとの思いで絞り出した[ネズミ]の声は震え、掠れていた。
男の笑みがにやりと深まる。
「借りたものは、返さなきゃ。ねえ?」
「……」
ざあっと一瞬、雨足が強まった。まるで男の為に用意された演出のようだと[ネズミ]は思った。
「返してもらうよ」
男は笑顔のまま、その細い顎を僅かに引いた。
「君への、貸しを」
漆黒の海面に色とりどりの光が遊ぶ。
波に揺れ、ゆらゆら漂い、雨によってより細かな光へと粉砕される。
その様子はまるで、行き場を失った魂が、出口を求めて藻掻いているように見えた。
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