>身体剥奪<

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「あぁ、起きましたか」  目を開けている、と私は感じているのに、単一の色しか見えない、というのは本当に奇妙な感覚である。今日からそんな見え方を受け入れねばならないのだと思うと、途方もない憂いがこみ上げてきそうだ。途方もなさ過ぎて、その憂いさえどこにあるのやらわからない。わからないけれども、でもどこかで感じてはいるのだ。  私は目覚めている。  まぶたは確かに開いている。  閉じることができるのだから。  閉じると真っ黒になる。開けると、真っ赤だ。真っ赤……真っ赤……。 「赤いぞ! なぜ? どうして!」 「何を言ってるんですか」  女の声がする。でもどこにいるんだ?  辺りは原色の赤に塗りたくられて、どこにも塗り残しがない。ゆえにあの赤かった彼女も、どこにも見えやしない。目も口も鼻の穴も、私は見分けられていたはずだ。どういう風に?   ……確か、影がついていた。部分部分が淡くなったり濃くなったりして、起伏が表現されていたのだ。そう、さっきまで!   しかし今は、どこを見回しても彼女を捉えることができない。この一様に鮮烈な赤が、輪郭や奥行きを全て消し去ってしまった。白紙の紙面が何物をも描出していないように、この平らな赤色の世界も、内容が空無なのだ。 「どこにいるんだ!」 「ここですよ。安心してください」  私は自分の両手に温もりを感じた。固いものに触れられた感じがした。  彼女の手のようだ。  けれども、彼女に触れられるまで、私は自分の手を感じなかった。  試しに、鼻をつまもうとした。だが手が動いているという感覚が、もはやなかった。腋がこすれる感覚や、肘の曲がる感覚や、指を開けたり閉じたりする感覚がもはやなかった。思念だけが、或いは、意志だけがあった。行為に結びつかない、意志だけが、あるように感じた。でもその意志とは、なんと心もとないのだろうか。  私は手を振り回す。どこにも手は当たらない。だから、手があるのか、本当に振り回しているのか、そもそもわからない。  まぶたを閉じる。  真っ暗になる。  じゃあ目はあるのだ。でも目があることを、どう確かめればいいんだ? 手はもうないも同然なのだ。 「もう一回触ってくれ!」 「いいですよ」  手を感じる。肩を感じる。胸を感じる。触られているときだけ、自分の実在が浮かび上がる。……肉体とは、もっと直接的に感じられるものではなかったか。  対象を知覚することで知覚する私が浮かび上がるという命題を受け入れるなら、今の私は知覚対象が僅かすぎるがゆえに、知覚する私が貧しくなってしまったのだ。 「なんという恐怖だろうか……。私はほとんど消えてしまっているじゃないか」 「すみません。謝ったほうがいいですよね」 「はい? あなたが、何を謝るんです?」 「えーと、その、申し訳ないことをしているので」
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