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「白くない」
女の子は目を開けると言いました。悪魔は予想外の反応に少し面食らいました。確かに悪魔の姿は黒ずくめですが、宙に浮いている見知らぬ者に「白くない」なんて普通言いません。女の子は悪魔の反応を余所に続けました。
「悪魔って案外イケメンなのね」
「俺が悪魔とわかるのか」
悪魔は出来るだけ怖い声で言いました。
「そりゃね。あたしの知り合いにこんな真っ黒な格好なひとはいないし、お医者さんや看護師さんのわけはないもの。だったらもう悪魔しかないでしょ? 天使って感じじゃ絶対ないし。イケメンはイケメンでも悪役側のイケメンだもん。でも、正直がっかり。もっとおどろおどろしいのかと思った」
「俺が怖くないのか」
悪魔は不満です。だって、この小さな女の子は自分が悪魔と気づいたのに、恐怖どころか驚きさえしてくれないんですから。その上、がっかりだなんてあまりにも失礼です。
「だったらお望み通りおどろおどろしい姿になってやろうか。今日から悪夢しか見られなくなるような」
「ほんと! やってやって! 色々悪口言いたいの」
「……」
これでよしやってやると張り切る悪魔がどこにいるでしょうか。
「もういい。お前の魂を食ってやる」
悪魔はもっと恐ろしい声で言いました。けれども女の子は真っ直ぐ悪魔を見て真面目な顔で言いました。
「あたしの方が偉いのにあんた、そんなことあたしに言っていいの?」
今度は悪魔が驚く番でした。
一体この子の何が偉いというのでしょう。病室にたった1人で寝ている女の子が!
「だって、悪魔が悪いことするのは当たり前でしょう? でも、あたしたち人間は違う。悪いことをしちゃダメなの。なのにそうしてる。あんたたちの世界では罪深いほうが偉いんでしょ?だったらあたしのほうがあんたより偉いわ」
なんだかめちゃくちゃな理屈なのに悪魔は妙に納得して黙ってしまいました。
「いいのよ。殺したって。でもそうしたらあんたは一生あたしに勝てずに終わるのよ」
女の子はそう言うと大あくびしてベッドに潜り込みました。
悪魔は黙って去ることにしました。そんなこと言われて食べる魂なんてどう考えても美味しくないからです。魂を美味しく食べられないならこんなところに用なんてありません。
しかし、その子の「罪深い魂」の味がどうにも気になって悪魔はまた女の子の病室に行きました。今度は魔界での姿にちょっとアレンジを加えてとてつもなく恐ろしい姿で行きました。
それなのに女の子は悪魔を見たとたん笑い転げました。ベッドで細い手足をばたばたさせて真っ赤になって笑います。悪魔は呆然として女の子を見ていました。
「はあ、苦しかった」
女の子はやっと笑い止みました。
「すごい趣味ね。それが魔界での姿?」
「違う! 前の姿が本当だ」
「よかった。だったら、前のにしたほうがいいわ。だってその格好だと笑ってお話にならないんだもの」
女の子はまだ笑っています。このくらいの年齢の子の笑いのツボは悪魔も人間も意味不明だと悪魔はがっかりしました。
「どこがおかしい」
「雰囲気?」
「なぜ俺に聞く」
「だって、どこがおかしいのか自分でもわからないんだもん。あのね、よっぽどじゃないと怖くないのよ。TVでもっと怖い悪魔いっぱい見てるし」
だから最近の人間は嫌いです。
「でも、あたしあんた好きよ。あんた、いつもあたしが寝ているときに来るでしょ。お陰で目が覚めると真っ先にあんたが目に入る」
「俺が目に入るとなんなんだ」
悪魔はいらいらしました。どうも女の子の言葉はよくわかりません。
「だって見て」
女の子はゆっくり起き上がりました。
「天井も布団もカーテンも真っ白。どんなに写真やお花や並べたって目が覚めて真っ先に見るのは白。いつだって目覚めれば白。でも、あんたが来たら白だけじゃなくなった。起きて白一色じゃないの久しぶり」
女の子が最初に言った「白くない」はそういう意味だったのです。
「下らん」
悪魔はさらにいらいらしました。利用もしていないのに人間に感謝されるなんて虫酸が走ります。
「ふふ」
女の子は悪魔がいらいらしようがしまいが平気のようでした。
「あたし、また悪い子になってる。誰にもそう仕向けられてないのにあんたが好きだなんて。あんたよりまた偉くなった。あんたもがんばりなさいよ」
悪魔はそれから毎日女の子のいる病院へ行きました。なんとかして女の子を怖がらせて自分の方が優位なんだと教えてやりたかったのですが、全部失敗に終わりました。だって女の子の方がずっと口が回るんですから。悪魔はそれでも毎日女の子のところに行きました。今日こそ今日こそと思いながら。
ある日、女の子は悪魔が来ても身を起こしませんでした。
「死ぬのか」
悪魔は遠慮なく言いました。悪魔はわかっていました。自分が女の子に会うのとは関係なく、女の子は段々、死に近づいているのだと。
そしてそれは今日で終わるだろうと。
「みたい」
女の子もわかっていたらしく切れ切れに言いました。
「そうだわ。あんたが絶対越せない悪いことしなきゃ」
少女は悪魔の手をとって頬に当てました。
「あんたが幸福でありますように。誰よりも―ー天使よりも」
「これがお前の『悪いこと』か」
「ええ。だって、悪魔の幸せを願うなんて最低でしょ?」
女の子は笑って言いました。悪魔は女の子へと手を伸ばしました。
「なに?」
「これでお前は次に目覚めても白だ。ざまあみろ」
朝、彼女の魂を取りに来た天使はその魂の汚れのなさに息を飲みました。こんな一片の汚れない魂は生まれたての赤ちゃんのそれしか見たことがありませんでした。
「さあ、目を開けて」
天使は優しく言うと女の子のまぶたが開かれました。女の子の目に白い光がいっぱいに映ります。
「悪い子ね」
女の子は小さく言って微笑みました。天使にその意味はわかりませんでした。
「王子。その黒いのなんです?美味しそうですね」
「汚れだ。魂の」
「へえ。魂の汚れがそんなに美味しそうなら本体はもっと美味しそうだったろうなー。魂はもう食べちゃったんですか?」
「いや」
悪魔の王子は首を振りました。
「魂の汚れだけ持って帰った」
「えー、もったいない! なんで魂を取らなかったんです? 天使が邪魔しに来たんですか?」
「別に」
悪魔の王子は最後のひとかけらを口に入れて言いました。
「悪いことがしたくなっただけだ」
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