【78】「新開」21

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【78】「新開」21

「とりあえず、僕ひとりで会うことにします」  僕がそう言った時、坂東さんは表情を曇らせた。それは多分、お前ひとりで大丈夫か、という意味だ。しかしそこにあるのは出来の悪い部下を案ずる不安ではなく、優しさの方だったのだと思う。  三島さんから入手した、大謁教とかつての天正堂の関係を裏付ける資料ならびに、当時教団周辺で囁かれていた『実験』に関する考察には、この段階では僕も坂東さんもまだ目を通せていなかった。  坂東さんの上司である椎名部長のたっての希望により、彼の娘さんである椎名ルチアさんと会うことを優先したためだ。椎名ルチア、通称ビスケさんとは以前から友人関係にあった僕は、彼女が友達から相談されたという超事象案件を引き受けざるを得なかった。ひょっとしたら、内容によっては今僕たちが抱えている案件の重要度を考慮し、ビスケさんには頭を下げて辞退、あるいは別の人間を紹介していたかもしれなかった。  だがビスケさんとその友達、そして相談の場に同席していた穂村兄弟の妹、戸川まみかさんは、なんと揃いも揃って美晴台出身なのだという。こうなると最早逃げようがなかった。断る断らないの話では済まない。すでに僕も坂東さんも引き寄せられ、そして巻き込まれているのだ。  ビスケさんから預かったメモには、僕が今でも日常的に利用している書店の名前と住所が書かれていた。  『BOOKS アーミテージ』。隠れ家の意味を持つ個人経営の店である。大型チェーン店と比較して特別広い敷地面積を誇るわけではないが、専門書が充実しているため調べものには重宝していた。そして何より、店の前の車道を挟んだ向かい側には、これまた数年前よりお世話になっている人物が切り盛りする、『リッチモンド』という名の喫茶店があった。つまりこれから向かう先は、僕が何年も通い慣れた道、通い慣れた店、ということになるのだ。  優先順位の話となると正解は分からないが、少なくとも僕はこの場所に導かれていた。どうしても、来なくてはいけない場所だった。来るべき場所だったのだ。……最初から。 「事情をどう説明するんだ」  と坂東さんに問われ、僕は首を横に振った。 「無理ですね。それこそ偶然を装いますよ」 「どんな風に」 「もし、まみかさんへ相談した霊障がウソじゃないなら、ザンマケイという女性の背後には何かがいるはずです。相談に乗るくらいはしますよ、と声をかけてみます」 「怪しまれないか?」 「構いませんよ。霊障に悩む人間というのは、藁にもすがりたい気持ちでしょうから。力になれるんならなります」 「入れ込みすぎんなよ。ツレの頼み事ってのは分かるがな」 「そんなこと関係ありませんよ。困っている人の相談に乗る。これが本来の僕の仕事です。坂東さんだってそうじゃないですか」 「そうは言うが」 「ただ」 「……ただ?」 「見てみないことにはなんとも言えませんが、もし『九坊』と関係があるのなら、僕では手に負えないかもしれません」  そしてその可能性は大いにあると僕は考えていた。だからこそ洗いざらい正直に説明する気にならないのだ。死ぬ程怖かったが、だからといって断る選択肢がないことも分かっていた。 「どうやるんだ?」 「声をかけて、向かいの喫茶店へ誘います」 「リッチモンドか。なら、先回りして側で見ていよう」 「お願いします」  書店の側に停めた坂東さんの車から降りた僕は、その場で大きく深呼吸してから、隠れ家という名の書店を目指した。……これが、僕と『残間京(ざんまけい)』が初めて出会うまでに置きたことの、一部始終だ。  店の中に足を踏み入れた瞬間、「あ」と思わず僕は声に出しかけた。  ひとつ、思い出したことがあるのだ。何度も言うようだが、僕はこの店の常連である。『九坊』を追うようになる以前から何度となく通っており、体感としては数日前にも訪れていた気がする。その頃までは取り立てて何も考えていなかったのだが、今日改めて足を踏み入れ、実感した。首の後ろに、チリチリと痺れるような感覚があるのだ。記憶を辿れば、この店に来る度感じていたように思う。意識しないと気付かないが、この感覚はあまり好ましくないものだということも知っている。ただ、街を歩いているだけで、こうした極微量な首筋の痺れは日常的に経験するものなのだ。だから、改めて意識するまで気が付かないことの方が多い。  痺れの理由はおそらくだが、『母』が現れようとしているのだ。つまり、僕の身に危険が迫っていることの兆候である。  僕は首の後ろを揉みながら入店し、ビスケさんとまみかさんに聞いていたお友達の特徴を思い出しながら文庫本コーナーへと歩いた。黒縁眼鏡をかけた、ショートボブの女性であるという。痩せ型で、目の大きな人なのだそうだ。  なるべく不自然に思われないよう店内を見渡した瞬間、レジに立っていた若い女性と目があった。あった瞬間そうだと分かった。女性はすぐに目を逸らし、青ざめて見える顔を伏せた。僕はたまたま目についた文庫本を手にしてレジへと向かい、カウンターにそれを置いた。僕が直感で選んだ本のタイトルは、『精霊たちの家』上巻だった。  ――― くそ、もう持ってる。  だが選び直す余裕などなかった。  僕が文庫本をレジカウンターに置いた瞬間、突如異変が起きた。目の前の女性店員がいきなり呼び鈴を連打し始めたのだ。混雑時、他の従業員にヘルプを求める為の呼び鈴だと思う。ちょっと触っただけで甲高い音を響かせるその呼び鈴を、事もあろうに彼女は狂ったように連打し始めたのである。茫然と立ち尽くす僕の隣を別の従業員が駆け抜け、レジにいた女性店員は走って店の奥へと消えた。  本来なら、不遜な態度の店員に怒りをあらわにしながら退店するのが通常の客の反応だろう。だが僕は一目見た時から、その女性店員が「ザンマケイ」だと分かっていた。バックヤードから戻ってきた彼女に声を掛け、驚きのあまりひっくり返って失神する彼女が助け起こされるのを、(不審がられながら)僕は辛抱強く待った。  一度坂東さんからメールが入り、まだかと聞かれた。まだです、と返した。  やがてその女性店員は、バツの悪そうな顔をしながら名刺を差し出してきた。 「すみません、なんか、自分でもなにがなんだか、ほんと、馬鹿みたいで」 「いえいえ、謝っていただくようなことではないんですけど」  受け取った名刺には、確かに「残間京」の文字が印字されている。僕は当然分かった上で彼女に声をかけたわけだが、偶然を装う以上、ひと芝居うつ必要があった。 「えー。ザンマ、さん」 「はい残間です」 「えー。キョウ? さん。……ミヤコさん?」 「ケイです。残間京(ざんまけい)」 「……女優さんか何か?」」 「本名っす」 「あー……」 「……どうも、すみませんでした」 「いえ、こちらこそ。女性に背後から声を掛けるのはルール違反でしたね」 「いえいえ、私こそ、おっきい声出してすみませんでした。あの、先程の商品は……」 「ああ、ちゃんと買いましたよ」 「ありがとうございます。すみません、突然変なことしちゃって」 「え?」 「あの、レジで……連打……あの」 「ああ、生理現象なら仕方ありませんよ」  残間さんはレジから猛ダッシュで離れる際、「トイレ」と捨て台詞を残して消えたのだ。 「……え、ええ」 「生理現象ならね?」  僕の呟いた一言に、残間さんの怯え切った顔が僕を見上げた。 「残間さんはそのー、いわゆる見える人、なんですね?」  彼女は凍りついた表情のまま、 「いや、あー? なんのことでしょうか?」  と聞き返した。 「……ごめんなさい、確認したかっただけなんです。ところで残間さん、この後少し、時間をくれませんか。初めてお会いしたのにこんな事を言うと警戒されてしまうかもしれないけど、込み入った話がしたくて」 「え」 「残間さんの後ろにピッタリくっ付いてる奴のことを、詳しく聞かせてもらいたいんです」 「はうあっ!」  残間さんは漫画の吹き出しに書かれてあるような声を出し、またもや店内の注目を浴びた。一見どこにでもいる、少しドジで、いちいちリアクションの面白い、そして僕と同じく怖がりな女の人である。だが僕は愛想笑いを返しながらもその実、心の中では微塵にも笑ってなどいなかった。を見た上で、笑える人間などこの世にいるわけがないのだ。
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