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【4】「新開」4
「そんなもんやってみなきゃわかんねーだろうがー!」
「だろうがーはまずよ兄さん、分かんないでしょーがーって言わないと」
静まり返った病棟、その廊下に荒々しい棘だらけの声が響いた。
振り返った僕と小原さんの視線の先に、大柄な二人の男が立っていた。一人は短く刈り込んだ頭髪を逆立て、上下灰色のスウェットを着ている。厚手な生地の上からでも、鍛え上げた筋肉が盛り上がっているのが見て分かる。その右隣りでは、上背は同程度ながらほっそりとした体躯の男がニヤニヤと笑いながら我々を見ていた。こちらも上下黒色のスウェット姿だが、袖のないダウンジャケットを羽織っており、長い髪を後ろで縛っている。
小原さんが立ち上がり、その二人をじっと見据えた。
「何故、ここへ来たんです?」
尋ねる小原さんに、兄と呼ばれた短髪の男がわざとらしく頭を振った。
「教えなーい」
「違うよ兄さん、教えませーんって言わないと」
るせーな、と短髪の男は隣の弟へ向かって睨みを効かす。「そもそも、なんで俺たちが今着いたってのに、そこのボンクラの方が先にいんだよ」
短髪男の視線がそのまま僕へ注がれ、庇うように小原さんが一歩前へ出た。
「ボンクラとはなんですか、流派は違えど、同じ看板を背負う者同士ではないですか。口を慎みなさい」
穏やかだが凄みのある小原さんの声に、弟である長髪の男が「ほーらぁ」と発しながら首を後ろへ下げた。
「ほらー、怒らせたじゃないか兄さん。兄さんは黙ってなよ、ここは俺が話をつけるから」
そう言いながら長髪男は二、三歩前に出て、がばっと足を開いて腰を落とした。そして股の間で左手を上に向けながら、まるでいつか映画で見た『男はつらいよ』の寅さんさながら、しかし適当な口調で口上を述べ始めた。
「お疲れ様です代表代理。自分らは先程、本部の決定事項を受けやして、この病院へと馳せ参じた次第でぇー……ごぜぇやす」
――― 馬鹿にしてるのか。
さすがに僕も腹が立ったが、小原さんはあくまで冷静に受け止め、
「誰の命令ですか?」
と聞いた。本部の決定などとさもそれらしい事を言っているが、今彼らが目の前にしているのがその本部の代表である。肩書としては代理だが、二神さんが隠居している以上、実質は代表みたいなものだ。すると長髪男は背後の短髪男を振り返り、笑顔でこちらに向き直った。
「言えやせん」
「何しに来たんです?」
長髪男は姿勢を戻し、「いやだなー」と言いながら短髪男の隣に戻った。
「俺らがこうして現れたんだ。分かるでしょ、小原さん」
「分かりません」
あくまでしらを切る小原さんに業を煮やし、短髪男がぐいと前に出た。
「俺たち穂村兄弟がッ、三神三歳にかけられた呪いを打ち倒しに来てやったって、そう言ってんだよ!」
僕と小原さんは思わず息を呑み、顔を見合わせた。
天正堂に籍を置く人間なら、誰もが『穂村兄弟』の事は知っている。年は二十代とまだ若く、まるで街の不良共のような身なりと高圧的な態度でありながら、傲慢な物言いに比例して霊能者としての資質だけは異常に高い。もちろん、相談者の悩みに寄り添う姿勢としては間違いなく小原さんや三神さんのような人物が好まれる。だが一方で、この世ならざる者との対峙を余儀なくされる現場によっては、例え相手が二神七権であろうと物怖じしない穂村兄弟のような人材が重宝がられるのは事実としてある。適材適所というやつだろう。むろん僕はこの兄弟が好きではないが、ただの浮ついた跳ねっ返りでないことだけは認めている。
しかし今問題なのは、彼らの人間性ではなかった。
「どうして君たちがそのことを知ってるんです?」
小原さんの質問が、その理由だ。
三神さんからSOSを受け取った小原さんならいざ知らず、一番にこの病院へ駆け付けた僕や坂東さんですら、『呪い』の事までは知らなかったのだ。それなのに、何故……。
「話はあとあとー」
「あとでーす」
小原さんの問い掛けを無視して穂村兄弟が歩き始めた、その時だった。
「なんだお前ら」
騒ぎを聞きつけたのか、穂村兄弟がやって来た廊下の反対側からスーツ姿の人物が現れた。「ここはお前らみたいな連中が来る所じゃないぞ」
坂東さんである。
まずいな、と僕は顔をしかめ、横目で見ると、小原さんも苦々しい表情を浮かべていた。坂東さんと穂村兄弟はどこか似た性質を持ち合わせている。坂東さんは兄弟ほど礼儀知らずではないが、元来根が荒い。火に薪をくべるようなご対面だった。
「ほーう、チョウジかあ」
穂村兄弟、兄の直政が目を輝かせ、
「ますます怪しいねえ」
と、弟の光政が廊下の奥を指さした。廊下の奥は、三神さんのいる集中治療室だ。出血多量と異常な数の裂傷により運び込まれたまま、すでに一時間以上が経過していた。
「どんな呪いが飛び出てくるか、早速ご対面と行こうかぁ」
「……?」
光政の台詞に、僕は一瞬困惑した。
――― どんな呪い、とはどういう意味だ?
おそらくだが穂村兄弟はこの時、本部の誰かから三神さんが呪いを受けたと聞きつけたまではいいものの、その正体までは知らされていなかったのではないか。
廊下を歩き始めた穂村兄弟は意外にも、坂東さんを無視した。だが、自分の両脇をそのまま通過しようとする兄弟を、坂東さんの方が見過ごさなかった。
「まあ待て」
坂東さんは両手で兄弟の胸を押し返し、「誰の差し金だ?」と聞いた。
兄弟は流石にじれったそうに、
「もう終わったんだよその話は!」
と声を荒げて身を捩り、無理やり廊下の奥へと突き進もうとした。が、坂東さんの真横を通り過ぎた弟の光政が、ギョッとした顔で振り返った。
「兄さん、こいつぁ」
「ああ?」
穂村兄弟・弟の光政は異常に鼻が利く。『超聴力』を持つ秋月めいちゃんがこの世ならざる者の声を拾うように、光政の鼻は霊障の残滓を嗅ぎ取ると言われている。
「兄さん、こいつ、とんでもなくやばい匂いがする」
「なんだ?」
兄の直政が踵を返し、坂東さんの肩口に鼻を寄せる。「香水か?……いい匂いじゃねえか」
「やばいよ、こいつ、これ……うおッ!?
光政が上体を反らせながら突如背後を振り返った。震える目で廊下の奥を凝視し、集中治療室の中を睨み付けている。……勘弁してくれ、と小さく光政が独り言ちた。
「どうした、何を嗅いだ?」
事情を察している坂東さんが尋ねるも、直政が坂東さんの肩を突き飛ばして、
「何を嗅いだ!?」
と同じことを聞いた。光政は恐る恐るこちらを振り返り、小原さんと僕を交互に見やった。
「お前ら……まじか?」
光政がそう言うと、小原さんが無言で頷き返した。
それが『九坊』に通ずるものだと理解出来たかは分からない。だが光政はこの時、予想の範疇をはるかに上回る危険な匂いを嗅ぎ分けたのだ。集中治療室を見据えたまま光政は後退し、異常に怯える弟の行動に引き摺られるようにして、直政もその場を離れた。するとその様子を見ていた坂東さんが、ほとんど誰にも悟られない程度の僅かな角度で、口端を上げた。だが、僕は見逃さなかった。
坂東さんは……嗤ったのだ。
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