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【49】「六花」9
今、自分に出来ることはなんなのか。
無理やりにでも、前向きな思考で自分の尻を叩こうとした。だが、目を覚まさないめいの頬に触れ、その手に触れ、その髪に触れる度、どうしようもない後悔に立ち上がる気力さえ失いそうになる。両手の親指を立て、控え目な微笑みを浮かべて「お寿司」と言っためいの顔が忘れられない。
「何やってんだ私は……」
一対一なら、天正堂開祖・大神鹿目にも引けを乗らなかった過去の上に胡坐をかいて、自分の力を過信し、慢心しきっていたとしか思えない。絶対に守って見せるだなんてどの口が言えたのか。
今、こうしてめいが病室のベッド上で安定した状態を保っていられるのだって、私自身の力ではない。新開が譲ってくれた呪具、『いちご大福』による結界のおかげだろうと思う。新開が力を封じ込めて作成したというこの着せ替え人形が、果たしてどこまでもつのか分からない。しかし、呪いを受けた事に因る衰弱の進行は今の所止まってくれている。めいの病室から離れた別の場所にいる三神さんは、魂を浸食せんと二十四時間襲い来る呪いの効果に吐血が止まらないと聞いている。それでも死なずに踏み止まれている理由は、たった一つしかない。それは彼が、三神三歳だからだ。天正堂階位・第三として生きてきた、彼の呪い師としての蓄積がなければ半日ともつはずがないのだ。
だがめいは、霊能力者ではあるものの、ただの一般市民だ。例え呪いに対抗できる潜在能力を所持していても、めいはその方法を知らない。そして私も、十分に知っているとは言い難い。
「こんなことなら……抜けるんじゃなかった」
私は心底悔やんでいた。己の短気さを、己の身勝手さを、己の浅はかさを呪いたいほどに悔やんだ。こんなことならば、せっかく入った天正堂を辞めるべきではなかったのだ。かつて私は二神七権に見込まれ、十代で階位・第六を授かった。嬉しかったが、どこか斜に構えている自分もいた。「良かったね」ともし声をかけられていたら、「いらないよ」と答えたかもしれない。そもそも拝み屋衆の看板を叩いた理由も、生まれ故郷に受け継がれてきた忌わしい因習の謎を探りたいという、きわめて個人的な理由からだった。だが、ただ拝み屋の仕事をしているだけでは私の目的を成し遂げる事が出来ないと判断し、せっかく自分を認めてくれた天正堂を抜けた。もちろん自分なりの理由はあったし、その時はそれが最善だと思った。しかし今にして思うのだ。上層部と意見を戦わせ、弱き者の為に、師である二神七権と袂を分かった三神三歳はそれでも、人々に寄りそう呪い師であり続けたではないか。その強さ、その愛、その生き様を近くで見ていながら、私は何も感じてこなかったのか? 私はこれまで、一体何を考えて生きてきたんだ?
「めい、死ぬんじゃないよ。お願いだから生きて……」
ベッドにすがりついて声をかけた、その時だった。
なんの音もたてずにめいが身体を起こした。腹筋に力を入れた様子もないのに、めいの上半身がすーっと起き上がったのだ。しかし両の瞼は閉じたままだった。
「……め?」
ド、という音が聞こえた。肉と肉がぶつかるような鈍い音ともに、めいの後頭部が勢いよく後ろへ倒れ、真白い喉元が露わになった。
「駄目だッ! めいッ!!」
私が咄嗟に治癒の力を放出しながら両手でめいの肩に掴み掛かった、まさしくその瞬間、めいの胸から腹へとごろりと転がった『いちご大福』が、恐ろしい速度で横回転しながら空中へ浮かび上がった!
「おーーーーん」
透き通るような人間の声が聞こえ、室内の空気がたちどころに清浄化されていった。めいはユラユラと円を描くように揺れながら、ゆっくりと頭を起こし、そしてカクンと顔を俯かせた。それはまるで、夢を見ながら寝ぼけているような光景だった。正脇茜、そして斑鳩千尋の首から血花を咲かせたという呪いの効果から、間一髪で免れたのである……!
「その声は……まぼか? めいを助けてくれたのか?」
めいの頭上に浮かび上がった『いちご大福』は、ガクガクと震えながら結界を張り続けている。その人形から聞こえて来たのは、紛う事無き三神幻子の声だった。
「そこにいるのか? まぼ」
私の呼びかけに反応こそなかったが、新開の譲ってくれた呪具からは、確実に新開と幻子の霊力を感じ取る事が出来た。そう言えば、初代大福である『豆大福』は、三神三歳と共同で制作したと聞いたことがある。この二代目もそういうことだったのか!
――― ドドドン。
突如病室の扉が激しくノックされ、大丈夫ですか!と語気を荒げて尋ねる声が聞こえた。若い女の声だった。すると、その声をきっかけにして『いちご大福』がポトリとめいの胸に落下し、めいは再び仰向けに横たわった。
「……誰」
私がそう聞くと、すぐに、
「井垣哉子と申します」
と返事があった。
「井垣……」
聞いた事のない名前だった。
「チョウジから来ました」
「チョウジ?」
バンビの部下か? だが公安職員にしては随分と声が若い。
「……」
ここへ来て、バンビが更に自分の家族を危険にさらすような真似などするだろうか? それに、小原さんからは助っ人が来ると聞いていたが、バンビからは聞いていない。あれほどとっちめたのだ、よもや隠し事をして自分の首を絞めたりなぞしないだろう。
「誰の指示なの?」
尚もそう聞く私の声に、井垣という名の女は黙った。
私はベッドの周りを回ってめいの前に立ち、
「言えないなら帰って。許可なくドアを開けたら敵だと判断するからね」
と語気を強めた。
ややあって、突然どこからともなく声が聞こえた。
――― 下がりなさい。
私は身構え、病室の四方に視線を走らせた。
どこにも声を発するような存在はないし、そもそも声の出所が掴めない。
突然空から降って沸いたような声だったが、あいにくここは室内だ。
「初めまして、秋月六花さん」
落ち着いて聞けば、男性の声であった。そして男の声と入れ替わりに、病室の扉前に立っていた井垣哉子の気配が消えた。
「誰?」
尋ねる私に、声が答えた。
「土井、零落です」
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