【51 】「坂東」9

1/1
前へ
/146ページ
次へ

【51 】「坂東」9

「気が重いですね」  小原さんが言う。俺に気を遣ったのかなんなのか、K病院を見上げる彼の表情は確かに暗い。  正脇茜、そして有紀優。立て続けに人が死に、うち一人は警察関係者だ。しかも謎の怪死と自殺である。いくら人死にが珍しくない病院と言えども、漂う空気は沈鬱を通り越して鬱屈としていた。  人の口に戸は建てられない。有紀についても色々と嫌な噂が流れるだろうが、死んだ奴のためにも、全てを聞き漏らさない覚悟で現場に向き合うほかなかった。 「行きましょう」 「はい」  だが、小原さんの言葉を受けて病院に一歩足を踏み入れた瞬間、 「おや」  その小原さんが声を漏らして踏みとどまった。 「なんです?」 「……感じませんか。これはおそらく……」  入口の、内と外の境界線に立ちながら、まるで病院全体を見渡すような視線を巡らせ、 「異界です」  小原さんはそう言った。 「イカイ?」 「現世(うつしよ)幽世(かくりよ)の狭間です」 「……はあ?」 「チョウジではどんな風に呼んでいるのでしょうか。事象の頻発する現場において霊障の残滓が広範囲に広がった場合、この世ともあの世とも言い難い違和感だらけの空間に様変わりすることがあります。天正堂ではそういった場を『異界』と称しています」 「ああ」  言わんとすることは分かる。だがいちいちそんなものに俺達は名前を付けてこなかった。どこをどう切り取ったって、現実は現実だ。 「この病院全体がそうだとでも?」 「坂東くんほどの人が感じないはずはありません」 「買い被りじゃないですか。俺は何も」  小原さんは意外さプラス怯えの混じった顔で俺を見返し、本当に?と聞いた。 「……はあ。特に」  一連の事件における関係者が二人死んだ病院だ。そういった意味では感じ入るものはある。だがそれは現場の違和感だとか霊障といった話じゃない。俺一個人が当然持っている彼らへの哀悼と、そして痛烈な自分への怒りだ。何も出来ない自分への腹立たしさなら嫌というほど感じる。今はただ、それだけである。  電話が鳴る。 「坂東」  相手は、俺の部下からだった。俺は小原さんに片手で断りを入れて入口から脇にそれ、部下の話に耳を傾けた。だが思ってもみなかったその内容に俺は激しく動揺し、ほとんど何も言い返せないまま、最後にたった一言「探せ」と叫んで電話を切った。無能上司にありがちな、典型的な八つ当たりである。 「どうしました?」  尋ねる小原さんを見やり、俺は答えることをわずかに躊躇した。今はこうして肩を並べて同じ事件を追っているが、本来天正堂とチョウジは仲が良いわけではない。個人間での付き合いはあっても、普段から組織としての交流があるわけではないし、お互いに情報を共有しあう関係でもないのだ。新開という特例がいるだけで、中には互いを煙たく思っている奴らだっている。昔は俺も、そうだった。 「……なんです?」  躊躇う俺の表情を真っすぐに見つめて、小原さんは尚も聞いて来た。俺は観念し、 「部下からです」  と答えた。「俺と新開の前に現れた傀儡はこちらで身柄を抑えていたんですが……逃げられたそうです」 「なんと。逃げた。警察署からですか?」 「俺のミスです」 「生身の人間を用いた呪法だったと、坂東くんはそう言っていたね。実を言えばずっとそこが気にはなっていたんです。君たちが図書館で襲われた話を聞いたのは、秋月さんとともに彼女の妹さんをR医大に運んで来た後だった。時系列的にはどちらが先に襲われたのか微妙な差ではあると思いますが、秋月姉妹の話に引っ張られて、犯人が傀儡であると判断したわけではありませんか?」 「……どういう意味です?」 「警察署から逃げたという事実が『消失』ではなく『逃走』だとするなら、相手は生きた人間だ。君も知っているだろうが、人間を傀儡として使役するには相当大掛かりな仕掛けが必要です。ある種の催眠術とみなす向きもありますが、全然別ものなんです。三神さんの娘、そして秋月姉妹、この二か所へ現れた木の人型でさえも本来なら相当高い技術を必要とする呪法です。一体ならまだしにも二体同時、そこへ加えて生きた人間を使役するなど……」 「仰りたいことはわかります」  と俺は反論する。「だがこれは俺だけの判断じゃない。あんたらの所で、三神のオッサンの下で十年修行した新開も俺と同じ意見だった」 「傀儡である、と?」 「そいつを使役している奴が九坊を打った相手でもある。相当な手練れです」 「問題はそこです。……歩きながら話しましょう」  入口付近で立ったまま意見を戦わせる俺達のそばを、幾人もの患者が怪訝な顔をしながら通り過ぎて行った。小原さんは人目を気にして俺を誘い、病院の奥へと向かいながら話の先を続けた。 「うちの方でも色々と当たってみてはいるんです。相手に目ぼしを付けて探りを入れてみたり、だとか」 「該当する奴がいますか?」  尋ねる俺に、小原さんは首を横に振った。 「でしょうね。もし、今回の事件を俺たちが単独で追いかけていたら、真っ先に疑うべきはあなたたち天正堂です」  皮肉を言ったつもりはなかったが、小原さんは「ふふ」と鼻で笑って頷いた。 「まあ、私がそちらにいても同じ意見ですよ。ただね、こちら側にいる私だからこそ言えることがある」 「なんです?」 「」  俺は頷き、確かに、と答えた。  例えば犯人が闇に潜んだまま俺たちに敵意と殺意を抱いたとする。その結果がこの有様だとするなら、確かな効果を上げている反面、実にまどろっこしいとも言える。単純な話、夜道で背後から包丁で刺し殺した方がよっぽど手っ取り早いからだ。 「ただね」  と小原さんは言う。「この回りくどさに理由があるのだとすれば、なんとなく薄ぼんやりと見えて来るものがある」 「……今朝、新開の嫁に聞かれた時、小原さんは明言を避けられましたよね?」 「うん」 「その事ですか?」 「そうです」  秋月六花の参入によって話がうやむやになってしまったが、その直前、新開希璃は小原さんに対してこう尋ねている。  ――― 『小原さんが今回の霊障を九坊だと判断出来たのは、何故か。そこに確かな根拠があるのなら、相手の動機も理解出来ているのではないか』。 「あくまでも、薄ぼんやりと、です」  と小原さんは断りを入れた。確信がない様子だったが、ゼロでもないようだった。 「私と坂東くんが仲違いしていた、としましょう」 「はい」 「私が君を倒したいと思ったら、自分が警察の手に落ちないよう、それなりの方法をとります」  立件できないやり方で俺を殺す、という意味だ。天正堂としての方法、ということである。 「そして同時に、君が私を倒したいと考えた時も、同じことを考えるはずなんです」 「そうですね」  異論はない。 「そしてそこへ、全く別の第三者が割って入ったとします。これが今回の犯人です。この犯人も同じく決して捕まらない方法で、そして何故だか私と君を両方同時に相手しようと考えた」 「はい」 「ここに、一つの問題が見え隠れしています。それは、傀儡と九坊の共通点です」 「共通点?」  俺は思わず立ち止まり、隣を歩く小原さんの背中を見送る形になった。すると小原さんも立ち止まり、僅かに俺を振り向かせてこう告げた。 「おそらく相手は……霊能者ではありません」
/146ページ

最初のコメントを投稿しよう!

785人が本棚に入れています
本棚に追加