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【52】「坂東」10
霊能者ではない……?
俺は馬鹿みたいにオウム返ししたくなる衝動をぐっと堪えて考えた。なんとなく、小原さんの言葉の意味が理解出来るようが気がしたのだ。呪いそれ自体は、霊能力があろうがなかろうが、やり方さえマスターしてしまえば誰にも打てる。だが俺がこれまで調査を重ねて来た感触で言えば、『九坊』は誰にでも打てるシロモノじゃないはずだ。しかも今回の件で言えば、相手は傀儡をも使役している。だがそのことこそが、犯人を絞り込む共通点だと小原さんは言う……。
「推測の域を出ません」
として小原さんは続けた。「天正堂にも、『九坊』について克明な文書が残されているわけではありません。ただ、かつて御大・二神七権が私にこう仰られた」
「爺様が?」
――― 『力なき者の刃たらんと思いこそすれ、正道へ戻すことかなわん地獄の血道であろうが』
「私は当時、御大は我々天正堂について仰られたのだと思いました。それは坂東くん、君の命を救った直後の言葉だったからです」
「俺……すか」
「力なき者の刃。正しき道へ戻す。この二つを聞いた時に、おそらく冷静とは言えなった当時の私が聞き間違えたのです。御大は我々について仰ったのではない。我々にとって力なき者とは、被害者のことではない。霊能を持たぬ者。それらが扱う刃こそが、伝染する呪いとして語り継がれ、あの方が唯一調伏せしめること叶わなかった『九坊』なのではないでしょうか」
思わずうめき声が出た。
筋は……通っているかもしれない。しかしそれは小原さん個人の思い付きであり、あくまでも推測でしかない。二神七権がはっきり「そうだ」と言ったわけでもないし、力なき者=霊能を持たぬ者という考え方が果たして正しいかどうかも分からない。ただ、全ては仮定の話だとしても……辻褄だけは合っているように思えた。
「いやいや、待って下さい」
雰囲気に呑まれて納得しかけた俺は、頭を振って先を行く小原さんへと追い付いた。「思い込みは禁物ってもんすよ、小原さん」
「聞きなさい」
そう言って振り返った小原さんの左側の口端から、
「……え?」
何の前触れもなく、赤く細い糸のような一本の筋が垂れた。
「今すぐに、答えが出ずとも良いのです」
小原さんは奥歯を噛み締めながら話し続けた。「私が言った言葉を、坂東くんなりに解釈し、そして、裏を取ってくれれば、それで良い。もし、違ったら違ったで」
「お、小原さん。あんた一体どこで呪いを……!」
「聞きたまえッ」
ゴクンと喉を鳴らし、「時間がない」と小原さんは言った。
今小原さんは、臓腑から上がってくる大量の血液を全部飲み下しながら話している。それはここが一般患者の多く行き交う病院の廊下だからであり、彼はパニックを避けるために必死の形相で耐えているのだ。全身に込めた力のせいで首筋が強張り、肩が震え、顔は土気色になって目は充血している。それでも、小原さんは立って話を続けた。
「これはあくまで、私の意見です。ですがどこかに、いるはずです。この一連の事件において、呪いを受けて移動させた人間ではなく、『九坊』そのものを発動させた、霊能を持たない人間が、どこかにいるはずです」
「霊能を持たない人間……」
今この時点でそれと分かる人間は、そう何人もいない。
まずは三神三歳が日記で記した通り、『U』がそうだろう。その他には、美晴台で秋月六花が話を聞いたという柳菊絵には、微量ながら霊力を感じたそうである。後は既にこの世を去った正脇茜と、妹の汐莉も関係者として見るべきだろう……。
「行きなさい」
と小原さんは言った。
「なんだって?」
「恐らく私のせいで、この病院にさらなる混乱が訪れます。ここで成すべきことがあったにも関わらず、敵の狙いが最初からこれだったのであれば、心底口惜しいが……私の負けです」
「何言ってんだあんた。あんた天正堂のナンバー4だろう!」
「出来損ないですよ。ただのお飾りです。……さあ、行ってください。君の高そうなスーツを私の血で汚す前に」
小原さんの目は真剣だった。
もちろんこの場に留まる選択肢もあった。だが、この場で俺に出来ることが何か一つでもあるだろうか。秋月六花のような治癒能力を備えているわけでもなく、ましてやここは病院だ。倒れた小原さんの横について手を握ってやることが俺のすべきことか? ……違うよな。違うんだろ? 小原さん。
「早く行きなさい!」
「すまない」
俺は踵を返し、携帯電話を取り出しながらその場を後にした。やがて遠くの方から聞こえてくる女の悲鳴を振り切るように、俺は全力で走った。
「バンビか!?」
電話に出た秋月六花の声には動揺と喜びがあった。つまり、向こうでも異変が起きているということだ。
「姉さん聞いてくれ、至急確認したいことがある」
「こっちもだよ。そっちが先に言って」
「小原さんが言うには、今回『九坊』を打った人間には霊能力がない可能性がある。もう一度聞きます。姉さんたちが美晴台で会ったと言う柳家の婆さんには、霊力があったんですね!?」
電話の向こうで息を呑む音が聞こえた。しかし賢い姉さんは無駄に質問を聞き返したりしない。思ってもみない展開に、心の整理が追い付かなかったとしてもだ。
「……あったよ。自分でもそれを認めてる」
「そうすか。分かりました」
思わず電話を切りかけた俺の空気を察し、
「でも」
と秋月六花は言う。「柳さんの家には、菊絵さんの孫、奈緒子ちゃんがいる。彼女にはおそらく霊感がないと思う」
「……誰だよそれ」
初耳だった。
色々な事がいっぺんに起こり過ぎたのだ。騒動の渦中で心身をすり減らした秋月六花に対して「何故報告しなかった」と責める気はない。俺の方でも、自分たちの前に現れた傀儡がどんな見た目をしていたか、という話は出来ていない。だがそれでも、俺の受けた衝撃は強かった。
「幾つぐらいなんですか、その奈緒子ってのは」
「高校生だよ」
「そ」
……そいつだ。
いや、思い込みはよくない。だがおそらく、俺と新開の前に現れた生身の傀儡は、その奈緒子で間違いないだろう。根拠はない。だが俺の直感がそう告げている。だがもしあの傀儡が奈緒子であるならば、俺たちは一度その身を拘束出来たことになる。となれば、管轄署に奈緒子の顔写真や所有物から保管されているはずだ。逃げられたのは痛いが、素性くらいは追えるはずだ。
「分かりました。で、そっちの用件は?」
尋ねる俺に、秋月六花はこう告げた。
「井垣哉子って知ってるかい?」
「はい。俺の部下です」
「R医大へ来るように手配した?」
「してません。現れたんですか?」
「それどころじゃない」
秋月六花が声を震わせ、俺の部下から手に入れたという驚愕の事実を話して聞かせた。
「……今、なんて言いました?」
「ボイスレコーダーに会話が残されていたんだ。いいかバンビ、斑鳩はあの日、有紀くんと合流し、その後二神邸でまぼに出会う前に……美晴台を訪れてるんだよ」
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