【55】「新開」16

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【55】「新開」16

「すみません、もう一度お願いします」  ――― だからッ。  電話の向こうで、なぜか坂東さんは物凄い剣幕で怒っていた。また誰かの身に危険が迫ったのかと彼の言葉に意識を集中させるも、しかし、話の内容が今一つ理解出来なかった。坂東さんは言う。 「今美晴台にいるよな。お前、今誰かと一緒にいるか。そいつから、霊力を感じるか?」  意味が、分からない。文面に必要な何か重要な部分が抜け落ちているような、そんな話し方に聞こえた。僕は困惑しながら先輩を見やり、そして不思議そうな目をして僕らの前に座っている三島さんに会釈を返した。 「坂東さん、落ち着いてください」 「新開、よく聞け。図書館で俺たち二人の前に現れた傀儡に逃げられた」 「に……」  逃げられた? 「あの時俺たちが相手をしたのは生身の人間、しかも高校生くらいの女だった。人間以上と言ってもいい秋月六花と三神幻子の二人を襲った傀儡が人型の木だったにも関わらず、俺たちを襲ったのはガキだった。これには絶対に意味がある」 「はい」 「その上で言う。六花姉さんとめいが訪れた美晴台の柳家には、高校生の孫がいるそうだ。名を、柳奈緒子という」  ――― 柳。 「奈緒子……? 初耳です」 「俺もだ。だが実際に六花姉さんから聞いた」 「だからと言ってその奈緒子という女の子がとは限らないじゃないですか」  僕の言葉に、電話の向こうで坂東さんが息をのんだ。 「そこにお前ら以外の誰かがいるな?」 「はい。あの……小原さんはなんと仰ってるんです?」 「やられた」 「へ」  こめかみにガツンと一撃を受けたような衝撃だった。  小原さんが……なんだって? 「すでにどこかで呪いを受けていたらしい。K病院に入った所で呪いの効力が発現した。だが小原さんの意志を尊重して病院に置いて来た。今俺は正脇汐莉(まさわきしおり)の家に向かってるが、すぐにそちらへも向かうつもりだ」 「な、あ、おば」 「聞け!新開!小原さんはこう言っていた。九坊を打ち、傀儡を使役している人間は霊力者じゃない可能性があるそうだ。理屈は分からんが、九坊が霊能者を狙い打ちする呪いであるならその推測は確かに成立する。もう一度言うぞ。今、お前の側にいる人間に、霊力はあるのか!?」  僕はただ黙って三島さんを見つめた。三島さんは静かに僕を見返し、冷めてしまったであろうお茶をゆっくりと口元に運んだ。  僕はぎゅっと目を閉じ、奥歯を噛んだ。小原さんまでもが倒された。叫び出したい衝動に体を揺さぶられるも、僕は誰にもこの事態を悟らせるわけにはいかないと思った。三島さんにも、そして先輩にもだ。 「僕たちなら大丈夫です。冷静に行きましょう、坂東さん。一つ、おかしな点があります」 「何だ」 「そのは実際に六花さんたちと会っているんですよね。なら同日、図書館にいた僕ら二人の前に現れることは不可能です。美晴台からは国道〇号を使って車で移動するしかない。仮に道がガラガラに空いていたとしても都内まで一時間弱、しかしそこから現場までの時間を考慮すると、18時半から19時までの間に現着することは出来ません」  坂東さんは唸った。僕の指摘を否定できないからだ。女子高生が一人車に乗って夕暮れの道をぶっ飛ばし、わざわざ僕と坂東さんの前に異形を晒しに来た、なんて話はどうやったってうまく想像出来ない。ところがだ。 「……行けますよ」  つぶやくようにそう言ったのは、僕と先輩の目の前に座る三島要次さんだった。 「行け……る?」  話の読めない先輩だけが、僕と三島さんの間で結ばれた視線を不安気な顔で見つめていた。 「事情はよく分からんが」  と三島さんは言う。「美晴台から都内へは麓の〇号以外にも道があります」 「本当ですか!」  思わず声を上げる僕に驚き、電話の向こうで坂東さんがたじろいだ。 「坂東さん、一旦電話を切らせてください。それから、僕と先輩は間もなく村を出ます。こちらへは来ない方が良い。追って連絡します」  僕の一方的な言葉に坂東さんは納得できない様子だったが、僕はそのまま電話を切って目の前の老人に向きあった。 「道が、あるんですか?」 「はい」  三島さんは何食わぬ顔でお茶をすすりながら言う。「丁度この裏手です。山ん中に、今はほとんど使われなくなった旧国道が走ってる。村の表側にデカい道路が出来たもんでね、わざわざ暗い山道を使うもんなんかいない。だけど都内へ抜けるって話で言えば、どちらが早いかなんて比べるまでもない……この裏手ですよ」 「村の人間であれば、誰でも知っている……?」  尋ねる僕に、 「もちろん」  三島さんは微笑んで頷いた。「今はもう封鎖されて入れないが、麓の国道から入って来ると、民家脇の長い直線道路に突き当たるT字路がありますな。昔はその突き当りからそのまま山へ入って行けたんです」 「封鎖というと、じゃあ今はもう?」 「そこからは入れません。ただ、柳さん家は以前林業を営んでおられましてね。その為、山ん中に私道を通していた。そこからであれば……」 「行けるんですね!?」  僕が中腰になって気色ばむと、三島さんはやや困った顔をされて、だけども、と仰った。 「ちらっと聞いてしまったんで言いますがね。柳さん家の奈緒子ちゃんは、ありゃあ、いい子ですよ。何があって何の話をされておるのか分かりませんが、それだけはお伝えしておきます。あの子は村から外れたこんな場所までたまにやって来ては、妻に先立たれて一人住まいの私を気に掛けてくれています」  三島さんは、元刑事だ。  僕と坂東さんの電話での会話から、片方の言葉しか聞き取れない状況にも関わらず、僕たちが柳奈緒子を疑っている事を見抜いたのだろう。 「……では、なぜ?」  と僕は正直に問うた。日頃良くしてくれている村の少女を庇うのであれば、旧国道の存在を僕に知らせる必要はない。もちろん、三島さんは僕たちがなんの捜査でこの村を訪れたのかをご存知ないはずだから、思わずポロっと零しただけなのかもしれない。しかし、思慮深さを感じさせる三島さんの目には何らかの意思が感じられた。だが、 「勘です」  と三島さんは仰った。 「……勘」  使い勝手のいい理由だと思いながらも、人それぞれの個人的な事情を考慮すれば、これ以上適当な言葉は他に見当たらない。例え動機がはっきりしていても、言えない事だってあるはずだから。 「そうですか」  目の前でシャッターが下りた気がして、僕はお暇するタイミングをここに見出した。……が、 「君に会った時」  三島さんが当然、そう切り出した。「運命だと思いました」 「え?」  何故このタイミングでそんなに重たい言葉が出るのか。僕は背中を伝う冷や汗に震えながら、三島さんを見つめ返した。しかし三島さんは照れたように頭を垂れ、 「すみません」  と小さく謝るだけだった。僕と先輩はしばし顔を見合わせ、そして溜息を鼻から逃がし、深々と頭を下げた。
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