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【57】「坂東」12
結論から言えば、正脇姉妹の妹・汐莉には会えなかった。
事前に調べておいた住所へ向かうとそこは賃貸マンションの一室で、何度呼び鈴を鳴らしても反応はなかった。
正脇汐莉はK病院で死んだ茜の妹であり、某出版社に勤務する秋月めいの先輩でもある。電話一本で身元の裏が取れる人間であったことで、それ以上の下調べは行わずにここまで来た。普通に考えれば、一般的にはあり得ない非業の死を遂げた姉を悼み、嘆き、塞ぎ込んで家に閉じこもっているものと思いこんでいた。
見れば、表札が出ていない。珍しいことではないが、俺はその場で電話をかけてこのマンションの管理人から不動産会社を聞き出し、担当者にこの部屋の住人について尋ねた。
「警察の方ですか。後ほどこちらで確認させていただいても問題ないですね?」
と、担当者は幾分煩わしそうに言う。内心どうでもいいと思っているのだろうが、後々責任を問われるのが嫌で念押ししたにすぎない、といった雰囲気がダイレクトに伝わって来た。こちらは全く構わないと告げると、その担当者はしばらく沈黙した後、
「えー……いや、その部屋の名義は、マサワキシオリ? さんではないですよ」
と、想定される最悪の答えを口にした。
引っ越ししたのか、と尋ねると、
「いや、ここ数年名義の変更はないです」
という。つまり、この部屋に正脇汐莉は住んでいないのだ。今現在この部屋を借りている人間の名前を尋ねると、「そこまでは、ちょっと」と担当者は声を潜めた。
「正脇ですらないのか?」
「ええ、まあ、違いますね」
「今俺は部屋の前に立って電話をかけている。お前が契約者の名前を教えないならそれでも構わないが、無理やり突入かけて鍵だの扉だのぶっ壊した所で責任取らないからな」
脅しをかけると、なんでそうなるんですか、と担当者はキレた。
「名前をひと言呟いてくれりゃあ、あとはこっちで上手くやるさ。お前から聞いたなんて誰にも言わんよ」
そう言うと、担当者は椅子を鳴らして立ち上がり、移動した様子だった。
「一度しか言いませんよ、聞き返さないでくださいね」
「ああ」
「……ヤナギ、キクエ、という人です」
正直、なんとなくそうなんじゃないかとは思った。思ってはいたが、やはり全身を這い上がる鳥肌を止める手立てはなかった。秋月六花の言葉が甦る。
――― これ以上美晴台に踏み込むのはまずいんじゃないか。
もちろんそれは害のない一般市民をも捜査対象に変えてしまうことを危惧しての言葉だったが、俺には今、全く逆の意味に取れた。美晴台は、本気でやばいかもしれない。
電話を切り、部屋の扉を睨みつけたままその場で考えた。
可能性は多くない。
正脇汐莉が引っ越した直後に、偶然柳がこの部屋を借りた。しかし不動産会社は何年も名義変更されていないと言うから、この線はほぼない。あるいはその逆で、もともと両者の間には何らかの繋がりがあり、柳菊絵が名義を変えずに正脇汐莉を住まわせていた。この線が濃厚だろう。ただそうなった場合、今や美晴台における最重要人物ともいえる柳家の関係者の中から、『九坊』による犠牲者が出たことになる。これは、普通に考えて辻褄が合わない。
――― 全てが創作か? いや、俺自身は実際に正脇茜が死んだ現場に居合わせてはいないものの、複数の病院関係者が目撃している。それに。
「確か……」
そうだ。病院関係者以外にも、正脇茜に関する情報をもたらした人間がいたはずだ。加藤塾で情報交換をした際、めいの口からその話を聞いた。確か、正脇茜の入院していたK病院で、点滴スタンドを押して歩く中学生くらいの少女に声をかけられたと言っていた。上下ピンク色のパジャマを着ていたことから入院患者と思ったらしいが、その見知らぬ少女とすれ違うタイミングで向こうから話しかけて来たそうだ。
「406号の正脇さん。急いだほうが良いと思います」
少女はそう言ったという。「この病院にいたって治らないと思う。一刻も早く転院した方がいいです。毎晩、毎晩、発作を繰り返しています。夜になるといつも怯えて、部屋の隅に蹲って泣いています」
めいが、正脇茜と同じ病室なのかと尋ねると、少女はこう答えた。
「あの部屋には今正脇さんしかいません。皆怖がって、病院側に部屋を変えてくれと訴えていましたから」
発作を見たのかとめいが尋ねると、少女は頷き、さらに、
「怖い、怖い、怖い、怖い。何度も何度も、一晩中泣きながらそう呟いています。とても危険な状態だと思います」
そう証言したと言う。少女に名前を尋ねたが、答えなかったそうだ。点滴スタンドを押して歩くくらいだから、今でも入院している可能性が高い。俺は一瞬、今からでもK病院へと戻ろうかと考えた。血を吹いて倒れた小原さんのおかげで今病院はパニックだろうが、その少女から話を聞きたい衝動に駆られたのと、もちろん小原さんの容体も心配だった。天正堂階位・第四の男だ。そう簡単にくたばるはずがないと思いたいが、すでにチョウジの調査員が二人死んだ。楽観視は出来ない。
俺は再び携帯電話を取り出し、通話ボダンを押した。
「椎名だ」
かけた相手は公安部の部長、椎名公彦である。
「坂東です」
「どうした、俺も丁度かけようと思ってたところなんだ」
「そうなんすか。なんです?」
「かけて来たお前から先に話せ」
「うす。もしかしたら既に連絡行ってるかもしれませんが、『天四』が倒れました」
「ああ、聞いた。何がどうなってるんだ。『天四』って言えば小原さんだろう? 小原さんでも無理なのか」
「相手のレールに乗せられちまえば、例え『天二』でもどうにもならんでしょうね」
「『天二』ってお前……あの二神七権か? おいおいおい」
「ちょっと、そちらでも調べて欲しいことがありましてね」
「なんだ」
「先日お話した美晴台って土地の件プラス、そこのボス、柳菊絵についてです。何十年も前ですけど、『天』と連絡を取り合ってたみたいなんで、なんかしら記録があるはずなんです。それに、叩けば面白い名前が出てくるかもしれませんよ」
「誰だ」
「K病院で死んだ……」
「正脇茜か!? 繋がりそうなのか!」
「あるいは妹の方かも。お願いします」
「分かった、調べてみよう」
「椎名さんは、なんです? 用件って」
「ああ、うちの娘なんだがね」
「……娘?」
「友人から相談を受けたそうなんだ」
「どんな?」
「その友人が言うには、なんとなく誰かの気配を感じるんだそうだ。すぐ、自分の側に」
「はあ。霊感とかそういう話ですか。お嬢さんにもありましたっけ?」
「いや、うちの娘は感じないらしいが、なにせまあ跳ねっ返りなもんで、正直に全部を話してくれてるとも限らん。そもそも最近はあまり話せてなかったんだが、突然携帯に連絡が来るようになってね。なんとかしてやりたい」
「お嬢さんのためにも、っすね? だけど正直、今は身動き取れないっすよ」
「すぐにとは言わんよ、大変な時だからな」
「連絡先とかは分かるんですか? メールなりなんなり入れといてもらえれば」
「その、友人のか? いや、まだそこまでは聞いていないが、名前は分かる。変わった苗字なんだ」
「へえ」
「確か……ザンマ、ケイ」
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