【61】「希璃」7

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【61】「希璃」7

 美晴台から戻る車の中で、新開くんは怖いほど静かだった。  途中あまりの静寂に、 「運転代ろうか」  と尋ねたところ、 「結構です」  という応えが返って来た。おそらくだが、私ではなく坂東さんや六花さんと話をしている時のような、仕事モードでの条件反射だったのだろう。普段から敬語を用いはするが、そこまで距離を置いた話し方をする人ではないからだ。だけど理由は聞かなくても分かったし、私は私で考えるべきことが多すぎた。  この頃には、私の中の御曲りさんの印象が、以前とは大分と違って見えるようになっていた。謎は謎のままであるにせよ、少なくとも御曲りさんが美晴台へ通い始めた頃までは、崖団地管理人の三島さんにとっては尊敬に値する人物だったのだ。いや、何ならそれは最初から分かっていた。天正堂内でも拝み屋としての実力を認められ、確たる地位を築ける筈の人だったと聞いている。問題は、美晴台で、そして崖団地で、一体何が起きたのかという一点に尽きるだろう。  私たち家族がかつて住んでいた、崖団地・左棟の四〇四号室には、私たちの転居後に『U』と思しき「由宇忍」なる人物の一家が移り住んだ。しかも、美晴台の村側から孤島に等しい団地へという、謎の短距離移動だ。ここにも何か、隠された意図のような気配を感じる。  崖団地で起きたという、女の子の幽霊騒動はもう少し以前からあったように三島さんのお話からは汲み取れたが、その件に関して天正堂から御曲りさんが派遣されたのであれば、なんとなく彼が私の夢に出て来た理由も察しが付く。  私が住んでいた部屋に、『U』が移り住んだ。そしてその『U』が引き起こした(と、新開くんは信じている)幽霊騒動を調査するために訪れたのが、御曲りさんである。  ――― 私と、『U』と、御曲りさんがここで繋がる。  『九坊』を介した此度の一連の事件に対して何か伝えるべきことがあって、幼い頃から霊感のあった私の夢に現れた、そう考えれば、怖いと思われた御曲りさんの夢も、若干はその恐怖が薄らぐというものだ。  しかし、それでも疑問は残る。  はっきりと断言されたわけではないが、私の中に呪いが埋め込まれたという、その理由が分からない。呪いを受けた、ではなく、呪いの効果が発動するかもしれない印を埋め込まれた、といった表現が用いられた。「呪われてしまった」という言葉を直接言わない優しさなのかとも思われたが、御曲りさんのことを知るにつけ、それも不可解だと思うようになった。  夢に出て来る理由はあっても、呪われる謂れはない。もちろん三神さんやめいちゃんだって呪いを受けるような人間ではないが、彼らとはまた違った立場で、私の中には危惧すべき地雷が埋まっているのではないかと薄々感じ始めていた。 「……なんだ?」  と、新開くんが声を潜めて呟いた。  駐車場に車を止め、R医大病院の正面玄関に辿り着いたのは午後五時半だった。美晴台を訪れる直前、「五時半までには村を出たい」と語っていた新開くんの思惑通りに三島さんと別れ、目標よりも大分と早い時間に戻って来れた。そこにはもちろん、坂東さんと電話で話した新開くんだけが知る重大な理由があったのだろう。しかし本来なら安堵すべき状況にも関わらず、実際に到着して玄関前に立った時、新開くんは心底怯えた様子で呻くような声を漏らしたのだ。  異変は、私にも分かった。  異常なまでの静けさだった。午後の外来受付時間は五時までである。とはいえ三十分が過ぎただけのこの時間では、診察待ちの患者さんや、清算待ち、付添、暇を持て余した人々の談笑、そして忙しく立ち働く看護師さんたちで常に受付待合はごった返している……はずなのだ。 「何が、起きてるの」  と、私は尋ねた。煌々と明かりのついた無人の受付待合には、肉眼ではナニモノも見えなかった。人も、この世ならざる者の姿さえも見えなかった。今目の前に広がる世界は、どう足掻いても現実には思えなかった。 「……人が、いないねえ」  新開くんは上着の懐に手を突っ込んで、『小福』を握りしめた。 「これは、おそらくですが、『永遠の狭間』と呼ばれるものです」 「えい?」 「今僕らが見ているのは一瞬の世界です。本来なら何事もなく動いている筈の世界で、ある一瞬だけを切り取り永遠に時間がループし続けている」 「霊障、なの?」 「いいえ、わりとポピュラーな自然現象です。どこでにも起り得る一場面です。ですがここまで長時間停滞が続くと……」 「……続くと?」  ゆっくりと、ゆっくりと、院内へと足を踏み入れたその時、新開くんはこう言った。 「やがてループが途切れて現実が戻ってくる瞬間、」 「え?」  ――― ガガガガッ、キーーン  という凄まじい耳鳴りと共に、それまでどこにいたのかと思う程の人々の往来が、突如目の前に戻って来た。爆音のような騒めきと人いきれ、人体の発する温度、それらが一斉に現れたのである。  新開くんの言った通りだった!  こちらの世界では、これが地続きの現実なのだ。それを傍から見ていた私たちだけが、時の止まった永遠の広がりを感じていたのである。驚きのあまり身動きの取れない私の隣で、 「……あそこだ!」  そう叫んで新開くんが指を差した。  前方、廊下の奥だった。  そこに、二つの人影が立っていた。 「……有紀さん、斑鳩さん」  死んだはずの二人が、廊下の奥でこちらを向いて立っていた。私の目にも、二人の姿ははっきりと視認出来た。少しだけ輪郭がぼやけいるものの、私の知っている有紀さんと斑鳩さんの姿そのままだった。だが、やはりこれはおかしいのだ。確かにこれは、現実じゃない。斑鳩さんだけならまだしも、有紀さんが亡くなったのはK病院だ。これが、この世とあの世が繋がるという意味なのだろうか……?  ――― ガガガガガガガガガ!  鼓膜が削られるような激しいノイズにギュっと瞼を閉じ、そして両目を開いた次の瞬間、再び私の眼前に『永遠の狭間』が広がった。息苦しいほど溢れかえっていた患者さんや看護師さんたちの姿は消えてなくなり、立ち尽くす有紀さんと斑鳩さん、そして私と新開くんしかこの世界には存在していなかった。 「なにか、伝えたいことがあるんですね?」  と新開くんが聞いた。  固唾をのんで見守る私の目の前で、斑鳩さんは深々と頭を下げた。そして有紀さんは右手を挙げ、廊下の奥を指さした。理由は分からないが、私の目から大粒の涙がボロボロと流れた。 「行きましょう……先輩」 「うん、行こう、新開くん」
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