【77】「坂東」17

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【77】「坂東」17

   マイ、ファッキン、ミハルダイ。  俺がその落書きをみつけた事が偶然なのか、たまたま訪れたライブハウスの楽屋の壁に書かれていた事が偶然なのか、それを書いた張本人が俺達の力を必要とする人間だったことが偶然なのか、もう俺は何がなんだかわからなくなってしまった。しかし俺は、身体を芯から震わせるこの音を信じてみることにした。  鍵のかかっていた扉が、目の前で開いた音だ。 「単なる偶然なわけないよな」  そう言った俺を見返し、新開は頷いた。  なんだよ、とビスケが怪訝な顔で尋ねる。 「何が偶然なわけ? 壁の落書きなんて別に珍しがることじゃないよ。美晴台だよ、すぐそこじゃん。私もまみかも、そこの出だし」 「……ッ」  強烈な感覚だった。自分が今耳で聞いた言葉が信じられない。ビスケは今、なんと言ったのだ。そこの出、と言ったのか? 「美晴台出身だってのか、お前ら」 「ああ、悪いかよ」  はっきりと答えるビスケから、棒立ちのまま微動だにしない新開へと視線を移した。 「そういうことだったのか」  と新開は言う。「坂東さん、分かりましたよ」 「何がだ」 「僕、ずっと不思議だったんです。三神さんがR医大へ運ばれた日、まだ詳細を把握出来ていない状況の中で、突然穂村兄弟が現れましたよね」 「ああ」 「彼らは小原さんにこう言いました」  ――― 俺たち穂村兄弟がッ、三神三歳にかけられた呪いを打倒しに来てやったって、そう言ってんだよ! 「だけど彼らは、誰の指示で病院を訪れたのかを明かしませんでした。『本部』と言っていましたが、小原さんが把握していなかった以上、僕はその言葉をずっと疑っていました」 「だから?」 「……三島さんですよ」 「あ?」 「穂村兄弟のバックにいるのは三島さんです。図らずもビスケさんが教えてくださいました。ビスケさんだけでなくまみかさんも美晴台出身、ということは必然的にあの兄弟もそうです。そして彼らが生まれる前から美晴台に乗り込み、かつて巻き込まれた事件を執念深く追い続ける元刑事がいた」  そして新開は、十五年振りに三島老人と再会する直前、崖団地から出て来る穂村兄弟とすれ違っているとも言った。 「じ、じゃあお前、あの爺さんは俺たちより先に呪いの存在を知ってて、それを黙ってたってのか!?」 「三島さんが何を知っていてそれをどう認識していたのかは分かりません。だけど少なくとも……」  そこまで言った新開は、今更ながら自分が手ぶらである事を思い出し、 「僕、頂いた資料を取ってきます!」  と言って楽屋を出て行こうとした。三島老人からもらった資料の入った封筒は、このライブハウスを訪れる際車に置いて来たのだ。すると呆気に取られて俺たちを見つめていたビスケが慌てて、 「おい、ケイの話はどうすんだよ!」  と新開を呼び止めた。新開は立ち止まって振り返り、 「引き受けますよ、もちろん、当たり前じゃないですか」  と興奮気味に答えた。「連絡先を坂東さんに伝えておいて下さい。すぐ戻ります!」  おいって!ビスケが手を伸ばした時には、すでに新開は楽屋を飛び出したあとだった。  俺の目から見る限り、穂村兄弟の妹だという戸川まみかが隠された真実に気付いている様子はなかった。おそらく、俺と新開の会話の内容を全く把握出来ていないに違いない。今も、突然話の中に出た三島老人の名に混乱したような表情を浮かべている。間違いなくあの元刑事のことを知っているのだ。だが、なぜ俺たちの口から飛び出したのかが分からない。  俺にとっては好都合だった。これで俺は遠慮なく調査のへ戻ることが出来る。俺は幾分冷静さを取り戻しながら、戸川まみかにこう尋ねた。 「兄貴たちの連絡先は、分かるよな?」  ビスケたちと別れてすぐ、新開は「怖い」と俺に打ち明けた。  どこまでも絡みついて離れない、指の間に絡まる細い髪の毛のような、こすっても水で流してピタリと貼り付いて全然とれない何かが、体中を這いまわっているような感覚なのだと説明する。俺はそれを、「因果だ」と教えてやった。  小学一年生の頃、親の仕事で美晴台に移り済んだという辺見希璃。辺見はのちに夫となる新開水留と隣同士の建物に住んでいた。そして彼女が村を去った後、同じ部屋に引っ越して来たのが由宇忍(ゆうしのぶ)、通称『U』なのだという。中学二年生で東京へと移った新開は、とある陰惨な事件を介してその由宇忍とニアミスしていた。  新開が住んでいた崖団地の管理人は、三島要次という名のもと刑事だった。三島老人は個人的な執念から美晴台に入り込み、そこで『御曲がりさん』、天原秀策と出会う。天原は当時天正堂の呪い師として名を馳せ、そしてその天正堂へはかつての団地住人である新開水留が名を連ねることとなった。だが、図らずも小さな村の関係者の間で世代交代が行われるという小さな奇跡を待たずして、天原秀策はその美晴台でなにかの騒動に巻き込まれて死んだ。  時が流れ、今度はチョウジと天正堂を巻き込んだ『呪い』に端を発する事件が起きた。呪いを受けたのは全員霊能力を持つ人間で、チョウジ・天正堂を合わせて把握出来ているだけでも五人いる。素性の知れない被害者を合わせるとその数は七人にも上る。その時点では美晴台との接点ははっきりと確認出来ていなかった。  だがここへ来て、その昔天正堂と近しい関係にあった『大謁教』という宗教団体の名が急上してくる。何を隠そうその大謁教の本拠地こそが因縁の地・美晴台であり、三島老人を筆頭に、穂村三兄弟、ビスケ(椎名ルチア)などのかつての村関係者が、誘蛾灯に吸い寄せられる羽虫のごとく姿を現しはじめた……。  もちろん俺も新開も、調査のために訪れた先々で情報を入手したのだ。自発的な行動が呼び込んだこれは手柄なのだと信じたい。だが新開の言う通り、底知れぬ気持ち悪さがあることもまた否定はできなかった。  俺たちはあくまでも、『九坊』とう呪術を追う調査員だ。だが新開にしてみれば、まるで自分も事件の当事者の一人であるかのように思えてくるだろうし、それは俺から見ても同じだった。調査員でありながら、事件関係者でもある、このどちらにも傾いてしまう立場の危うさが、気色の悪さに一役買っているのだろう。  別の友人を通して新開との知遇を得たビスケが、今まさに調査中の村の出身であったなど、これを出来過ぎと言わずして何を言うのか。しかも彼女は、俺の上司である公安部部長の娘でもあるのだ。 「しかも、僕、知ってるんですよ」  新開は震える右手を顔の高さで握りしめ、そう俺に告げた。 「知ってるって何を」  尋ねる俺の目の前に立ち、新開は握った右手を開いた。手の平にはビスケが書いたメモが乗っており、しわくちゃの紙が独りでに開こうとゆっくりともがいた。 「ザンマケイさんという、ビスケさんのお友達が勤務しているという職場の住所です。『BOOKS アーミテージ』。そこ、僕が以前からよく訪れている書店なんです」 「……」 「こんな偶然ありますか」 「偶然……な」 「一体いつから、一体どこから、僕たちはこの絡みつくような気持ちの悪い因果に巻き込まれていたんでしょうか。事の起こりは、果たしていつなんでしょうか」  新開の抱いた疑問こそ、この事件のもっとも核心的な謎である気がした。事件を紐解いていくうち、今はもう存在しない宗教団体の名前まで出て来たのだ。もしも天正堂と大謁教の間にある過去の因縁が事件の背後関係にあるとしたなら、この事件の根は途方もなく深いと言わざるを得ないだろう。
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