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【82】「坂東」19
――― これだッ!
新開が叫ぶ。
俺も奴も、そしてその場にいる全員が立っていられないほどの振動に足元を揺さぶられて態勢を崩した。ある者は壁に手をついて体を支え、ある者はしゃがみ込んで廊下に伏せた。
揺れはすぐに治まったが、誰一人言葉を発することが出来ずにいた。だが本当の意味で事態の異常さを感じ取れたのは、俺と新開、そしておそらく穂村兄弟だけだったろう。
「今のは……」
とビスケが誰ともなしに言う。「揺れた、よな……地震か?」
そう言いながら周囲を見渡し、はたと気付くのだ。ここは警察署内だ。体感的に震度4か5はありそうな揺れに対し、署内の警察官は誰一人として反応していなかったのだ。まるで誰も地震に気付かなかったように。
「なんで……」
「今の揺れは、僕たちしか感じていないんだと思います」
ビスケの問いに新開が答えた。
皆の視線が集まる。
「僕がK病院を訪れた時。……有紀さんを発見する直前、今と同じ振動を感じました。病院だったにもかかわらず、やはり誰一人振動には気が付いていなかった。おそらく、『九坊』に関連する事象なのだと思います」
「有紀って、お前が言ってた死んだチョウジの人間か?」
と直政が聞いた。
「そうだ」
新開は頷き、話を続ける。「さらには、美晴台にて呪いを受けためいちゃんと秋月六花さんも、同じ振動を感じたそうだよ」
――― 見晴台……呪い……?
狼狽えるビスケの声を遮るように、
「だ、誰かが呪われるって言いたいのかよ!?」
と光政が情けない声を出した。
この場に事件とは直接関係のない人間がいることなど、誰もがお構いなしだった。そしてその時は、その事を咎める余裕が俺にもなかった。
「可能性は高いと思う」
と新開は言いながら、廊下にしゃがみ込む光政を見下ろした。「他にももう一つ、可能性は残されているんだけどね」
なんだ、と俺が聞くと、奴は神妙な面持ちでこう答えた。
「傀儡です」
「傀儡……」
「そうです。『九坊』の呪いが発動する時、そこにはいつも傀儡がいました。美晴台で傀儡に襲われためいちゃんがそうです。もしも有紀さんが自殺ではなく誰かに吊られたと考えるなら、犯人は別にいる。そして三神さんの側には大量の傀儡がいた。幻子を襲った傀儡には二段構えの呪いが仕掛けられ、事件を追う僕と坂東さんの前にも、人体を依り代とした傀儡が現れました。まだ僕は『九坊』がなんなのか、全体像を掴めたわけではありませんが、すくなくとも『九坊』と『傀儡』は切り離して考えるべきではないと、そう考えています。これまではずっと、『九坊』を打った人間が同じく傀儡を使役していると考えていました。それは間違いではないかもしれませんが、正確には違うのだと思います。『九坊』と『傀儡』は、ワンセットなんじゃないでしょうか」
「だが」
と俺は反論する。「俺たちの前にあの女が現れた時、今みたいな振動はなかったぞ。幻子も、振動は感じていないと言ってなかったか?」
「そうなんです。そこだけが引っかかる。だから、可能性の一つでしかないわけなんですが」
「なにをぐちゃぐちゃ言ってやがんだ!」
直政がそう叫ぶも、新開は冷静な顔でチンピラのような男を見つめ返した。
「君たちは、今みたいな振動を感じたのは初めてかい?」
「な」
すると意外なことに、直政と光政はお互いの顔を見合わせ、答えを渋ったのである。是か非かで言えば、非だ。初めてではないのだ。
「ビスケさん、まみかさん、お伺いします。今お二人が感じたような、まるで幻覚とも思える不思議な揺れを感じたことは、これまでにもありましたか?」
ビスケは正直者だ。記憶を辿ろうと眉間に皺を寄せ、真剣に思い悩んでいる。一方で、戸川まみかは、
「ありません」
と即答した。だがその顔は青く、額には汗が浮かんでいた。俺の視線が突き刺さっていることに気付いた光政が、まみかの前に立ちはだかった。しかしまみかの本心がどうであれ、この場でまみかとビスケが霊力持ちであることが証明されてしまったことには、間違いない。
「なんなんだ、まったく、なんなんだよ」
緊張感漂う俺たちの側を、ぶつくさと大きな独り言を吐きながら白衣の男が通り過ぎていった。見れば先程、検死のためにK病院から招集された医師だった。そしてその後を、噂の女性看護師H、堀口が付き従うように歩いて行く。だがその横顔には、目を見張るほどの強い感情が浮き彫りになっていた。
「……」
新開も気が付いた様子だった。堀口の顔に浮かんでいるのは明らかに、強烈な『怒り』だったのだ。
医師と掘口が去った後、数人の刑事たちが首を捻りながら足早に通り過ぎようとした。俺は刑事たちを呼び止め、何かあったのかと尋ねた。すると刑事たちは顔を見合わせ、不貞腐れたようにこう言った。
「あんたらか? 通報したのは」
「あ?」
「ちゃんと確認してから通報したのか?」
尚もそう尋ねる刑事の背後から、別の刑事が擁護の声を上げた。
「いやまあ、一般人にそういった判断をさせるわけにはいくまいよ。こういうこともまあ、たまにはあるんだろう。何よりよかったじゃないか……死んでなかったんだから」
「しん……?」
言葉を返すより先に、俺の全身に鳥肌が立った。
――― 死んでなかった、だって?
新開が俺を振り返り、ビスケが立ち上がってその刑事に詰め寄る。
「し、あ、ざ、ケイか!? 残間京は生きてるのか!?」
視界に入ってすらいなかった女に突然捲し立てられ、数人の刑事らはたじろぎながらも頷いた。
「ああ、生きてるよ。今別室で休んでもらってる。検死を行う寸前だったんだが、先生が横に立って布切れを外した瞬間瞼が開いたんだ。いやあ、度肝を抜かれるとはまさにあれだよ」
代表して答えた刑事の説明にビスケと戸川まみかは喜びの歓声を上げ、穂村兄弟もほっとした表情を見せた。だが俺も新開も解せない思いで一杯だった。
新開は目の前で残間京の絶命する瞬間を見ていたし、もちろん息があるかどうかを確認した。その場をすぐに離れたとは言え、俺も自分の目でそれを見ていたのだ。残間京が死んだことは、違えようのない事実だった。とすれば、答えは簡単だ。残間京は、生き返ったのだ。
「何が起こってるんだ」
そう呟く俺の側に寄り、新開がこう言った。
「僕にも何がなんだかさっぱりです。ですが坂東さん。ここまで来ればやはり、一度叩いてみる他ありませんね」
俺は努めて冷静を装いながら、新開の目を睨んだ。
新開は言う。
「叩きましょう……柳菊絵を」
突然、俺の携帯電話が鳴った。
相手はR医大病院にいるはずの、秋月六花からだった。
新開が息を呑んで俺を見つめる。
「坂東」
「バンビ!」
「どうしました?」
「来た」
と、六花姉さんは言った。
「来た? 何が来たんですか?」
「私は見てない。だけどまぼが言うんだよ」
「幻子が? なんて」
「……柳菊絵が来た、って」
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