【90】「新開」26

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【90】「新開」26

 かつての美晴台は山間にある自然豊かな村というだけでなく、「大謁教」を名乗る宗教団体の本拠地でもあった。昭和の四十年代に入って教団が消滅するまでの間、日本全国における信者の数は増加の一途を辿り続けていたそうだ。  その一方で、仏教でいう所の布施にあたる献金、寄付などを一切求めないことでも有名だった当該教団が、爆発的にその勢力を拡大した背景に不透明性を感じた一部の識者から、 「大謁教は布教活動と称して信者を洗脳し、人体実験を行っている」  などと怪しまれる側面もあったという。当時を知らない人間からすれば、一見それは突拍子もない難癖に思える。ところが、切って捨てるわけにはいかない理由があったのだ。  古くから日本人の生活に根付いている仏教系宗教の観点に立てば、戦前から存在するとはいっても『大謁教』とて新興宗教の一つに過ぎない。金銭を求めぬとは言いながらも、どんどんと巨大化していく教団に対して、 「何か別の策を用いて良からぬこと企む営利団体なのではあるまいか」  と怪しむ人たちも当然出て来る。だが坂東さん曰く、これまで大謁教が悪事に加担していた証拠というのは表向き存在しない。だが、その一部の識者たちは単なる妬みや僻みから根も葉もない噂をたてたのか、と言えばそうでもないらしいのだ。僕に大切な資料を手渡して下さった三島要次さんは、別れ際にこんな言葉を口にした。 「……付け加えておきますが、この資料を読むなら覚悟した方がいいです。私にこれらの資料を握らせた、オサムラというこの村の駐在は、なんとも惨たらしい死に方をしました。長年私の手元にこの資料はあったが、私が今も生き続けていられるのは、この資料に関する裏を取ろうとしなかったからだと思っています。私は調査を諦めたわけではなかったが、例え裏取りをせずとも、ここに書かれている考察が真実なのだろうと、オサムラの死が教えてくれているのです」  ――― 何かが、あったのだ。  それが大謁教に関することなのか、美晴台という土地自体についてなのか、それはまだ分からない。だが真実に迫られては困る何かが、あの村に存在していたことだけは間違いない。  その資料が単なる事件調査の報告書でないことはすぐにわかった。例えばそれが、大謁教ならびに裏神天正堂なる、拝み屋衆の前身団体についての捜査資料であったなら、僕が読むよりも坂東さんに手渡した方が理解度は格段に深まるだろう。だが、ある種の歴史的価値さえ漂うそれは明らかに、『呪い』についての考察であると読み取ることが出来るものだった。  最初の内は、この資料を編纂した作者による呪術体系の総まとめ、といった内容だった。おそらく、この資料を編んだ人物はそもそもからして呪いというものに明るいわけではなく、自分なりに調べた結果を順序立てて編集していった様子がうかがえる。呪い師を生業とする僕の目から見ても、基礎的はであるがよくまとめられていると感じた。だが傾向として、作者の興味が呪術においてもとりわけ物騒な『呪殺』に向いているのが気になった。見る者が違えば、ひょっとするとこれから呪殺を行う予定のある人間が、下調べしたものを覚書にした、とも読めなくはないのだ。  例えば、次のような一文がそれにあたる。 『……古来より広く親しまれて来た呪術、呪いというものはやはりシステマチックに体系化されており、およそ一般人にはおいそれと扱えるシロモノではない。ただし、呪いをかける側に関してだけ言えば、思いの強さこそが鍵となるゆえに、容易であると言えなくもない』  分かりやすく言えば、呪いを打つだけならば簡単だ、と言っているのだ。  呪術とは、基本的に呪いを解く方法、打ち返す方法に特化して研鑽されてきたという歴史がある。この現代においても脈々と生き続ける流派、高知県物部村の『いざなぎ流』がそうであるように、自ら進んで人を呪おうとすることはほぼない。決まって他者からの依頼によって祭儀を執り行うか、あるいはその逆で、呪いを受けた人間からの依頼を受けて解呪を試みる事がほとんどである。僕の所属する『天正堂』も同じである。  『いさなぎ流』が他と違うのは、解呪が単なる病息の治療的役割ではなく、呪った相手にその効力を打ち返すことを得意としていた点にある。『いざなぎ流』では、有名な『不動明王生霊返し』『天道血花式』などの法文を用いてそれを行うとされている。だがこの辺りまで来ると、土着のオカルティズムや地域性なども深く関連するため、どこかでそれを見聞きした全くの素人が、手法の一つとして上手く呪いを操れるかと言えば、全くもってこれは不可能なのである。  ただし、三島さんから受け取った資料に書かれている通り、ただ単に呪いを打つだけなら素人でも打てる。ここが呪いの怖さであり、奥の深い部分でもある。そして資料を読み進めていくうち、作者の思惑と探求心がその辺りに終始していることが分かりかけて来た。つまり、呪いを打つ、ということに対する考察がより深まっていくのである。例えば、次のような箇所だ。 『……洗脳という法には、いくつかの利点といくつかの欠点が共存している。手軽である反面、堅実さに欠ける。利点としては大きいが、結果が伴わないこともある。いわゆる宗教活動の一環としてカリスマ的な教主を置き、信者たちの目を一方向に向けさせることだけに着眼点をおけば、洗脳に勝る手段はないのかもしれない。ただし、当団体の怖さはその布教理由ではないのだ。あくまでも彼らは洗脳よりも支配に重きを置いている節があった。そしてその支配を得るためには、古来より受け継がれて来た呪術体系を覆す、壮大な呪詛システムが必要であると考えられた。そこで登場するのが……』  ――― 支配、と書かれていた。  宗教団体が使っていい言葉ではないし、この一文だけで、資料の作者が外部の人間であることが明らかとなる。つまり内部告発から出た情報ではないのだ。脱退した元信者という線もなくはないが、資料から立ち上る執念に怒りは感じられない。どういった人間が書いたにせよ、冷静で鋭い観察眼を持っていると言えよう。 『……当団体における布教は、あくまでも勢力の拡大に目的の主を置いていると思えてならないのだ。要するに、信者の救済や信仰の深遠さなどは二の次にしてでも、とにかく当団体の名を日本全国へ知らしめること、あるいは信者をすべからく各地に配置させることが最終目的であるように見える。では次に、当団体が行っていたと目される、布教活動の内容に触れていきたい。  1:教育と称した実践部隊への人体実験とその事例  2:癒着に見る裏社会との接点と利害関係  3:傀儡教団の起こりと外法完成までの道程』  ――― 外法、とはっきり記されていた項目に該当するページまで資料をめくった時、僕はこの資料の本当の意味での凄まじさを思い知らされることとなった。
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