【91】「坂東」20

1/1
前へ
/146ページ
次へ

【91】「坂東」20

 賭けだった。  秋月六花からの電話が単なる業務連絡でないことは馬鹿でも分かる。そうと言葉にはしなかっただけで、姉さんから俺へのSOSだったはずだ。俺だって今すぐあの人のもとへ駆けつけたい。ひょっとしたら、例え最悪の結果が待ち受けていようとも、必死になって駆け付けたという事実さえあればお互いが納得できたのかもしれない。だが、俺はもう二度と間違えるわけにはいかないのだ。俺の判断が左右する命は、一人や二人では済まないのだから。 「どうだ?」  あまりにも真剣な目で資料に没頭する新開に痺れをきらし、ついには俺の方からそう尋ねていた。声をかけねば、いつまでも読み耽っていそうな気配を奴は漂わせていた。それはおそらく資料に重要な価値があることを意味しているが、今はとにかく時間を無駄に出来ない。警察署から美晴台へとぶっ飛ばす車の中でも、まだやれることはあるはずだった。 「この資料が……」  言葉を選びつつ、新開は答える。「どういった目的で作成されたのかも気になる所ですが、とにかく『大謁教』に対する作者の猜疑心は本物ですね。ただのやっかみや想像力だけでここまでの事は書けないと思います」 「立件出来そうな証拠でも押さえてあるのか?」 「いえ、この資料のどこにも『大謁教』の名前は記されていません。美晴台という地名も同様です。そもそもこれは告発のための資料じゃないんでしょう。ただ、三島さんが仰っていた、『裏神』については名前があります」 「そこから連想せよ、ってことか」 「おそらく。それに……」 「それに?」 「呪いに関する考察は本物です。正直、なぜここまで調べ上げたのか、どうやって調べ上げたのか不思議なくらいです。ただ、時代なのか、僕にも分からない記述がいくつか出てきます」 「例えば?」 「項目ごとにページが割り振られていてるんです。これによると、『傀儡教団の起こりと外法完成までの道程』という項目に、大謁教の前身団体の記述が出て来ます」 「……裏神か?」 「いえ、それはどちらかと言えば天正堂の方じゃなかったですか? この場合はおそらく大謁教のことだと思います」 「ほお、『大謁教』にもあったのか、そういうものが実際」 「ご存知ありませんか?」  知らなかった。地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教などに代表される、いわゆる新興宗教の一派とは一線を画す、それなりに歴史のある宗教という認識だった。もちろん、今や当たり前に日本の文化に浸透している仏教系宗教や神道とは次元が違うだろう。ただ、俺が思っていたよりも大謁教の歴史は古いらしかった。 「正しくはなんて読むのかも、ちょっとよく分からないんですが」  新開は目をしょぼつかせながら資料に目を近づけた。「……北桑田、キ・タ・ク・ワ・ダ、であってるんでしょうかね」 「あ? なんだ?」 「いえ、あの、『大謁教』の登場とその変遷を追いかけているくだりにですね、創始者らしい男の名前が出ているんです。だけど字が意図的に潰されてしまっていて……。もともとその男がどういう人物なのかを知る手がかりとして、今言った前身団体の名が出て来るんですが、それも……」 「いや」  俺は新開の話を遮り、左手を上げて奴の気を引いた。「『大謁教』の創始者なんて有名人じゃないか。普通に歴史に名前の出てる人間だ。天童権一(てんどうけんいち)だろう?」 「え? いえ、全然違いますよ。天で始まる名前じゃないです」 「……」  おかしい。『大謁教』が俺の知る宗教で間違いないなら、元信者を両親に持つこの俺が間違えるはずはない。それに、『大謁教』の教祖は代々ほぼ同じ名前を名乗っていた。権一から始まり、二代目は権二、三代目は権三といった具合に続き、七代目教祖・権七という男の代で教団は潰えたのである。これは思い違いや勘違いではなく、れっきとした史実である。 「でもなにか、因縁めいてますよね。二神七権さんと、天童権七ですか。はっきりとした年の開きは分かりませんが、同じ時代を生きた世代ですよね」 「ああ」  因縁めいている、と新開がそう感じるのも無理はない。この世の中で、今を生きる人間のほとんどが二神七権の存在を知らない。だが俺たちのように良く知っている者にとってすれば、このちょっとしたズレと妙な共通点が気持ち悪く思えるのだ。経験がない分直感を大切にする新開ならば、尚のことそう感じるだろう。  現に、俺がこの仕事について間もない頃、天正堂階位・第二、二神七権と出会った時、直接問いただしたことがある。自分の親が信仰していたために『大謁教』を知っているが、名前が似通っている事に意味はあるのか、『大謁教』と関係性があるのか、と。しかし爺様は心底嫌そうな表情を浮かべて、 「喋れなくしてやろうか」  と言い放ったのだ。当時まだ若かった俺は、その答えを「ノー」と受け取った。 「実際にはウラガミなんたらとして、過去に『大謁教』との接点があったのかもしれんな。こればかりは本人に聞くのが手っ取り早いが……だが新開、やはりどう考えても大謁教の教祖は天童のはずだ」 「いえ、だから、創始者ですよ?」 「だからなんだよ。別だって言いたいのか」 「だって、こう書いてありますよ。……キタクワダロクモンセンに籍を置いていた、ミナ……セ、……ハチロウ、こそがその人物だとい」   思い切りブレーキを踏んだ。  車のフロントが沈み込み、新開が悲鳴を上げた。  奴の声が聞こえなかったのだ。  いや、正確には聞こえていた。  だがもう一度、はっきりと聞き取る必要があったのだ。 「お前今なんつった」  けたたましいクラクションが後方から鳴らされた。見ればすぐ後ろには、警察署から追い付いてきた穂村兄弟の乗ったおんぼろのバンが停車していた。運転席に座る弟の光政が両手を振り上げて怒鳴っている。もちろん、聞こえはしないが。 「どうしたんですか坂東さん、殺す気ですか」  新開からそう言われ、俺はブレーキから足を離して車を再発進させるも、正直に言って、かなり動揺していた。今となっては新開に隠す必要もない為この場で打ち明けたが、俺はこれまでにもさんざん『九坊』について調査を行ってきた。 「し……知ってますよそれは」  と新開も頷いた。 「いや」  と俺は答える。知っているはずはない。俺がどれほど執念深くあの事件を追い続けてきたのかなど、きっと誰にも理解されるはずがないのだ。 「教えてやる」  俺がそう言うと、新開は資料を下げて俺の顔をまじまじと見つめた。 「そいつぁおそらく、『九坊』という呪いの術式を作り上げた男の名前だ」 「え!?」 「北桑田というのは俺も今初めて聞いたが、おそらく地名だろう。六文銭(ろくもんせん)ってのはかつて奈良時代に存在した、呪禁師たちの一派としてその名前が伝わっている」 「呪禁、師って、あの呪禁師ですか? 陰陽師の源流だと言われている?」 「そうだ」 「だけど、それ、今で言う医療系の技術者ですよ? 陰陽寮だって元は天文に関する科学分野を担ってた官職です。六文銭という名前は知りませんでしたが、どうしてそんな技術屋が呪いの術式を構築するんですか。それに……そもそも、坂東さんは最初から『九坊』の正体を知っていたんですか!?」 「いや、そうじゃないんだ」  図書館での二人会議が傀儡の襲来によって中断してしまったことが、やはりここへ来て悔やまれる。あの時きちんと最後まで話が出来ていれば、三島要次から受け取った資料をもっとスムーズに読み解くことが出来たもしれなかった。 「俺は言ったはずだ、新開。『九坊』のシステムは分かっている。だが」 「その、メカニズムが分からない……?」 「そうだ」 「じゃあ、坂東さんは一体、誰からこの、えーっと、その六文銭出身の男の名を?」  俺は一瞬答えて良いものかを渋った。  だが、考えている暇が惜しかった。 「三神のオッサンだ……」  俺がそう言った時、新開は思考が停止したような顔で硬直した。 「もともと俺はあのオッサンから教えてもらったんだ、『九坊』についての手掛かりを」 「み、三神さんが……?」 「新開、よく聞いてくれ。お前がさっきまともに読むことすら出来なかった男が実は『大謁教』の創始者だったなんて話は、今初めて俺も知ったことなんだ。いいか、新開。なぜその男が六文銭を名乗っていたのか知らないが、もし俺の知ってる男で間違いないなら、『九坊』を作り上げた人間が大謁教の創始者だという話になるんだ!その資料はとんでもないぞ!男の名前は、皆瀬(みながせ)伝八郎(でんぱちろう)だ!美晴台はやはり真っ黒だ!柳菊絵も真っ黒だ!行くぞ新開!」  ……この時新開が何を考えていたのか、俺はもう少し真剣に考えておくべきだった。やはり新開水留という男は、俺が思っている以上に……馬鹿で、不器用で、そして悲しいくらいに優しい男だったのだ。
/146ページ

最初のコメントを投稿しよう!

780人が本棚に入れています
本棚に追加