【92】「六花」14

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【92】「六花」14

 私は自分の出自が黒井一族であると知った時、自分の持つ奇想天外な治癒能力に由来があった事を喜んだ。どれだけ人から有難がられようと、なんのことはない、人外さながらの霊能力を誇る黒井一族の血であったのだ。自分が一族の血を受け継いでいるのなら、治癒力を持つ自分が凄いのではない、黒井の血が凄いだけなのだ、と納得することが出来た。それは私の寄る辺なき懊悩を受け止めてくれる、安堵にも似た感情だった。  私は、物事全てに納得のいく理由を求める人間だ。そんな私だからこそ、物心ついた時からこの手にあった得体の知れない力を、私自身が一番忌避していたかもしれない。人は、他者を癒せる私の力を尊敬を持って見つめると同時に、羨み、そして欲した。私はおそらく、他人にこの力を譲渡出来たなら、もっと早くにそうしていたんじゃないかと思う。もちろん、これまでに多くの命を救い、傷を癒し、そのことによって私自身も素晴らしい経験をしてきた。だが、当然その逆もあった。救えない命だってあったし、過度な期待による重圧や、私を見ずに私の力だけを重宝がる人々にも辟易していた。  物事には必ず裏と表があり、良い面も悪い面もあって当然だということぐらい、長く生きてきた分理解はしている。だけど、、という部分だけはいつまでも納得がいかなかったし、本当の意味では運命を受け入れることが出来なかったのだ。  十年前、私のこの力が黒井一族に起源を持ち、出会って間もない新開水留と親戚筋にあたる事を知った。そして初めて、私は自分に治癒の力があって良かったと思った。だが同時に、能力の上に胡坐をかいて、人間的な成長を放棄していた己の未熟さを呪いもした。自分よりはるかに年下の新開水留や三神幻子などを見ていると、誰かを思い、常に前を向いて足掻くように生きる彼らの尊い姿勢に、自分が恥ずかしくて仕方がなかったのだ。  そして、めいがやっとのことで目を覚ました今、私は自分がなんのために生きて来たのかをもう一度思い出した。 「か、帰る?」   尋ね返すと、希璃は慈愛に満ちた笑顔で頷いた。「……今から?」 「そうです。私は、やっぱり母親ですから。いつまでも成留の側を離れているわけにはいきません」  めいが目を覚まし、R医大に現れた柳菊絵を退けた幻子が戻ってきた、そのタイミングで希璃は家に帰ると言い出したのである。唐突ではあったが、突拍子もない話というわけでもなかった。 「今一つ理解出来てるとは言い難いけど、私の中にある呪いが『九坊』でないのなら、私は誰かにか守ってもらおうとは思わない。それよりも、私は成留を守りたい」 「いや、うん、そうなんだけど、さ」  私はしどろもどろになりながら、まぼを見た。希璃に入り込んでいた呪いについて、その正体が『九坊』ではなく『御曲りさん』であると断言したのは、ここにいる三神幻子である。私も、まぼの言葉を疑う気にはならない。だが問題は事の正否ではない気がした。 「新開くんも、本当はそれを望んでいると思います。ああ見えて子煩悩な人だし、そもそも母親がいつまでも幼い子を置いて家に帰らないなんて、間違ってますよ」 「事情は色々あると思います」  とまぼが言う。「ですがもし、私の発言が希璃さんの行動に影響を与えてしまったなら謝ります。すみませんでした」 「謝られるようなことじゃないよ」 「いえ、謝らせてください。成留ちゃんのことは、お伝えするべきじゃありませんでした」 「逆だよ。逆に黙っていられた方が困るよ。だって、もし本当に『九坊』の呪いが成留にも向かう恐れがあるんなら、私はあの子を命に代えてでも守ってあげなくちゃ。だから、私は私のことよりも、今は成留を優先します」 「ですが、希璃さんの中にある呪いの効果がいつどのような形で発動するのか、それは私にも分からないんです」 「それでもだよ」  もはや誰が何を言おうと揺るがない、鉄の意志を思わせる笑顔で希璃は言った。「私は死ぬことよりも、成留の側にいられない事の方が怖いの」  まぼはそれでも、希璃を引き留める言葉を探しているようだった。だが側で二人の話を聞いていた私とめいは、自然とお互いを見やり、頷いてた。希璃の気持ちが、痛い程理解出来たのだ。 「なら」  言いかけたまぼの口元に右手を添え、 「付いてこなくていいよ?」  と希璃が先手を打った。「まぼちゃんは、新開くんや坂東さんの所へ行って欲しい。きっと二人とも、君の力を必要としてるはずだから。それに、新開くんに伝えて欲しいんだよ。私が成留の側にいて、絶対に守り通してみせるからって」 「……一人になる、ということですよ?」  と、まぼは言った。  希璃が私とめいを見やり、心なしか寂し気な目をして頷いた。 「分かってる。めいちゃんの側には六花さんがいるべきだし、ここにはまだ本調子じゃない三神さんもいる。だから二人はこの病院にいる方が良い。だけど私はほら、怪我だってないし、病気もしてないし、それは病院にだって悪いしね。いつまでも健康な人間が病室占拠してるのは、間違ってるよ」 「そういう問題では」 「まぼちゃん」  いつまでも引き下がらないまぼに、「私は大丈夫だから」希璃はそう言って聞かせた。  めいの病室から希璃とまぼが出て行こうとした時、 「希璃さん」  とめいが呼んだ。まだベッドから起き上がれないめいの側に、希璃は戻って来て顔を寄せた。 「どうしたの、めいちゃん」 「希璃さん。私、希璃さんを尊敬しています」 「……え?」  目覚めたばかりと言っても過言ではないめいにはまだ、大きな声を出す力は戻っていなかった。だが希璃は、めいの声が聞こえなかったわけではないと思う。めいの言葉の意味が、すぐには理解できなかったのだ。 「私、ずっと新開さんに憧れていました」  と、めいは続けた。 「う、うん」 「大学で、文芸サークルだった新開さんに、たくさん面白い本を教えていただいて、私が、出版社に勤めるOLさんになりたいと思ったのも、その経験を生かせると思ったからです」 「うん」 「文乃さんがいなくなって、皆、すごく悲しい思いをしました」 「……うん」 「やがて、新開さんと希璃さんが結ばれて、成留ちゃんが生まれた時、ようやく私は、私だって、幸せになってやろうって、そう思う事が出来るようになったんです」  希璃の目からぼたぼたと涙が落ち、めいの横たわるベッドのシーツを濡らした。私は私で、自分の両膝が濡れそぼるのを感じながらも、二人から目を逸らすことができかった。 「前向きな力を、お二人からいただきました」  めいの言葉に、希璃はぶんぶんと頭を振った。 「深い悲しみに落ちていた新開さんの側で、いつも明るく振舞おうとしていらした希璃さんの姿を、私はちゃんと見ていました。私は希璃さんを尊敬します」 「なんでそんな事今言うのよ」  拗ねるような口調で希璃は言い、右手で荒々しく涙をこすった。「私だってめいちゃんのこと凄いって思ってるよ。自分一人の力で未来をちゃんと切り開いてる。私だって見てたよ。出会った時まだ中学生だっためいちゃんが、パリッとしたスーツ着てさ、一番はじめに携わった企画が書籍化した時、私と新開くんに一冊ずつ手渡してくれたよね。『今美味しいパンの店!365日!』。私たちあの本に掲載されたお店全部回ったんだから!全部食べて、全部のお店でこの本見て来たんですって言って回ったんだよ!新開くん、嬉しそうに言ってたよ。この本は僕の友達か作りました。お店の紹介文にセンスを感じますよね。良い本なんですよ。そんな本に掲載されてるお店だから、絶対美味しいに決まってるって思ってましたって、新開くん全部のお店でそう言ってたよ!」  めいの身体が、喜びの涙で打ち震えていた。足元のシーツを握って傍らに座る私もまた、同じく震えが止まらなかった。あの野郎、と思った。だが私は分かっていた。新開水留と新開希璃がそういう人間だってことを、ずっと前から知っていた。 「めいちゃん。私たちはこんな所で終わったらダメなんだよ。もっともっと、良い本たくさん作ってね。私、それを愉しみにしてるから。成留と、新開くんと三人で!」
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