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【94】「幻子」12
霊視というものは、一般的に認知されている力ほど万能ではない。
以前までは父の手首にあった大切な数珠が、千切れた状態で自宅の封筒の中に納まっていたのを発見した私は、そこから『U』に関するヒントを得て美晴台を目指した。しかし、正確に言えば美晴台だと知った上で目指したわけではなかった。ここ最近まともに眠れていないせいもあって、『U』の所在を正確に割り出せていたわけではないのだ。数珠に残されていた『U』と思しき人物の残留思念を辿るうち、気が付いたらそこにいた、まさにその様な状況だったのである。
私が柳家の側まで行った時、その場では誰の姿を見ることもなく、六花さんからの連絡を受けてそのままR医大へととんぼ返りした。だがツァイくんが抱え込んだ傀儡どもを奪還するべく病院へ現れた柳菊絵は、いかにも私の事を知っているような口振りだった。「どこかで会ったか」「自宅の前まで行った姿を見られていたか」とも思ったが、そうではないのだ。最初からこちら側の動向が把握されている、と考えるべきなのだろう。
不可思議な点はほかにもある。何故ここへ来て柳菊絵が自ら出向いて来たのか、ということだ。これまでは美晴台、そして柳の家に疑惑の目を向けこそすれ、一連の事件の真犯人であるという確信にまでは至っていなかった。私たちが各々どう思っていたにせよ、証拠と呼べるものはまだ誰も押さえてはいなかったのだ。柳菊絵は自ら犯人であることを曝け出しに来たようなものである。
「腑に落ちない」
と独り言ちた私に、ツァイくんは、
「僕もだよ」
と答えた。
R医大病院の地下にあるボイラー室で、ツァイくんは強固な結界を張り終えた所だった。私は彼に、この病院を離れ美晴台へと向かう事を告げた。
「一緒に行くよ、と言いたい所だけど」
とツァイくんは笑う。「さすがに爆弾を抱えたまま敵陣に乗り込むのは得策じゃないね。移動するよ。一時、姿を眩ませることにする。ここはもう、バレちゃってるしね」
「うん。その方がいい」
「あのご婦人は、何者なんだい? とても強い力を秘めているね」
「柳菊絵という人物で、今回の黒幕、あるいはそれに近い存在、に……なるのかな」
「君らしくない、煮え切らない返事だね」
私は溜息をつき、弱音を吐いた。
「正直、上手く夢を見れないの」
「疲れてるんだよ」
「まあ、それは私だけじゃないから」
「『九坊』を打ったのは彼女なのかな?」
「そう、思う」
「……」
「私の直感も、彼女が犯人だと告げてる。柳菊絵が事件とは無関係な真っ白い人間だなんてありえないし、中心人物であることは間違いないと思う。だけど、やっぱり腑に落ちない」
「ううーん、例えば」
片膝を立てて立ち上がりながらツァイ君は言う。「素性がバレても犯行目的に支障はない。そう考えているなら、ここへ現れた理由にはなるね」
「それはそうかもしれない。だけど、全く別の所で、とても大きな不安を感じるの」
「柳菊絵が『九坊』を打った理由はなんだと思う?」
「それは、まだ」
「まぼの考えを知りたいんだ。正しいかどうかは、また別にして」
私はツァイ君から目をそらし、コンクリートの汚れた床を見つめながら、こう尋ねた。
「見当違いかもしれないけど……?」
「それでも、是非聞いてみたいね」
「……実験」
私がポツリと呟いたひと言に、ツァイ君の顔から微笑みが消えた。
新開さんへと連絡を取った。
彼と坂東さんは、すでに美晴台へ到着しているという。これから柳菊絵の自宅へ向かうと聞いて、R医大から立ち去った彼女の帰宅時間とかちあう可能性がある、と指摘した。
「別に構わないよ」
と新開さんは言った。「聞きたいことは山ほどあるからね」
普段から気が弱く、決して自信家ではない彼の口から発せられた「構わない」という響きに覚悟を感じ、私は思わずゾッとする。
「柳菊絵の家に、『U』と記された人物がいるかもしれません」
そう告げると、電話の向こうで新開さんが静かに息を呑む音が聞こえた。
やがて、
「ありがとう」
と彼は答えた。「見えて来た気がするよ。色々とね」
「……」
頭の良い新開さんの事だから、少ない情報を繋ぎ合わせて全体像を描くことも可能だろう。だが私の胸から消えない不安は、事件の真相とはまた違った部分に潜んでいる気がしてならなかった。一歩、また一歩と真実に近付いていく度、私の不安は高まり続けるのだ。
チョウジの斑鳩さんの体内から呪詛を押し出した時、私はそこに『御曲りさん』の残留思念を見た。だが今や私の中で、『御曲りさん』天原秀策の存在は脅威ではなくなっている。いつしか、どこかの段階で、私の本能がそう判断するに値する何かを見聞きしているはずなのだ。だが、何故だかそれが思い出せない。『九坊』と『御曲りさん』の関係が、この事件の謎を解く鍵になると分かっているはずなのに、どうしても両者の距離が縮まってはくれないのだ。
「『九坊』と、似ているんです」
と、思わず私はそう声に出していた。それはほとんど独り言で、
「……なんだって? 幻子、なんと言ったんだい?」
と新開さんは慌てたように聞き返した。
「姿形がはっきりと見えていても、何が起きているのか分かっていても、どうにも抗うことの出来ない呪い。今回の事件は、まるで『九坊』そのものに思えてきます」
新開さんは黙った。考えているのだ。
「新開さ」
「肝に銘じるよ」
新開さんはそう答えて電話を切ろうとした。
「新開さん!」
「……うん?」
「希璃さんは、成留ちゃんのもとへ戻られました。成留ちゃんを絶対に守り通すんだと、そう仰っていました」
「……そう。先輩がそう言うんなら、僕は彼女を信じるよ。教えてくれてありがとう」
「新開さん!」
「……うん」
「私も、すぐに行きますから」
――― 待ってるよ。
確かに新開さんはそう言った。言ったはずだ。だが気が付くと、私の耳元では通話の途絶えた電話の音が、繰り返し流れていた。
父の病室を訪れた。
部屋の前に立ち、ノックする。
「はい」
と用心深い声が聞こえ、私は身を固くした。
「幻子と……申します」
私は門前払いを食らう事を恐れ、父の顔を見ないまま美晴台へ向かう気でいた。だが、声を聞いて挨拶だけはしておこうと思い直し、病室を訪れたのだ。すると意外な事に、父は返事を寄越す前に自ら扉を開けて、私の前に立ったのである。私は目を見開き、記憶がないだけで、普段とほとんど変わらない父の顔を見つめた。
髭が、伸び放題だった。
「……あの娘がなあ」
と、父は言った。「もう、こんなにも大きく」
何を言っているのか分からなかった。
だが、スイッチが入ったように私の両目から涙があふれた。
父は取り乱し、自分が使っていたベッドの掛布団を持ってきて私の顔を拭こうとした。私は身を捩ってそれをかわし、笑い、そして、
「……行ってまいります」
とだけ告げた。
「ああ……やあー……行ってらっしゃい」
父は困惑しながらもそう優しく答え、最後に苦笑して小首を傾げた。
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