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【95】「新開」28
――― どういう意味だよ、兄さん。
そう尋ねた穂村光政の震えた瞳が、しばらくは僕の脳裏に焼き付いて離れなかった。
悪評ばかりが聞こえて来る兄弟だった。
何故あんな連中が『天正堂』の看板を背負っているんだと、まだ経歴の浅い二人に眉を顰める人間がいることも、僕は知っている。好きか嫌いかで言えば、僕も彼らの人間性を好きにはなれない。威圧的で、かと思えばおちゃらけていて、すぐ人を馬鹿にし、暴言を吐き、挙句手を出してくる。友達になれるタイプではない。それでも、彼らはやはり『天正堂』にいるべき人間なのだ。
数多ある祈祷師たちの組織においてはそのほとんどが、いわゆる『専門職』ではないという。普段は別で仕事を持ちながら、乞われて人々の吉凶を占い、霊障を祓うというケースが最も多いと聞く。だが専門職ではないからと言って責任がないわけではないし、歴史と、学びによる知識と経験が各流派に受け継がれていることは疑いようがない。そんな中で、僕たち『天正堂』こそがが紛うことなき異端者なのである。
それは、霊能力持ち、という特異点をフル活用しているからだ。本来ならば祈祷師も占い師も呪い師も、霊能者である必要はない。他者の助けとなれるなら、そうである必要などないのである。だからこそ、穂村兄弟は『天正堂』にいなくてはならないのだ。学びもせず、他者を助けるためでもなく、まるで自分の力を試すように霊障へ立ち向かっていくその姿に、祈祷師や呪い師が持つ本懐を見ることは出来ない。彼らが現場に赴き、事象に立ち向かい、そして成果を上げる度、どんどんと敵を増やしていったのもまた事実だ。しかし、僕からすれば羨ましいと思える側面もあった。彼らには、恐怖に立ち向かっていく勢いがあるのだ。無鉄砲と人は言うけれど、心霊現象に立ち向かうなんてことは普通の人間には真似ができない。そして彼らには兄弟愛があった。悪い噂ばかりが目立つ二人だったが、お互いを思う気持ちだけは確かだったし、そこに愛があるおかげで、僕は穂村兄弟もこちら側にいると思う事が出来た。こちら側、つまり霊障を起こす側ではなく、祓う側である。
「どういう意味だよ、兄さん。死ぬってなんだよ、俺、なんも聞いてねえけど?」
高確率で『嫌な予感』を察知し、未来を予知するという椎名ルチア・通称ビスケさんから、穂村直政は死を予感されたと語った。光政が声を上擦らせて尋ると、しかし直政はニカッと明るい笑みを浮かべて、
「冗談だよ冗談ー!」
と豪快に笑い飛ばした。
「……な、なんだよもー!」
光政はそう言い、情けない顔で苦笑した。
だが僕はどうしても、直政の言葉を冗談だとは思えなかった。
そこへ、柳菊絵の家まであと数分という所で、幻子から電話がかかって来た。僕が断りを入れて電話に出ると、坂東さんは僕の側で立ち止まり、穂村兄弟はそのまま歩き続けた。らしいと言えばらしいが、彼らの背中がいつもより小さく見えて、思わず引き留めそうになった。坂東さんは、兄弟の後ろ姿を目を細めながら見つめていた。
築年数の経過した、趣のある日本家屋と聞いていた。しかし最初に見えてきたのはごく一般的な家だった。どこにでも見られる戸建ての家は、まだ古さを感じない今風の外観である。この家がおそらく、奈緒子ちゃんという柳菊絵の孫家族が暮らす家なのだろう。
「うおっとー」
前を歩く穂村兄弟が急に立ち止まり、光政が鼻を押さえた。「もう駄目だ、ここでもう駄目だ俺」
直政が弟の前に立って家を見上げた。僕と坂東さんも同様に、直政の横に並んで立った。
「な、なんだよお前ら」
奇しくも直政を挟み込むような形で立つ僕と坂東さんを、直政は狼狽えながら見やった。
「どこ見てんだ、奥だ奥」
と坂東さんが言う。直政の視線が、目の前の家の、その更に奥を見つめた。 だがそこにあるのは闇だった。
暗闇の中に、ひときわ濃い影があった。目を凝らしても、そこに家があるとはなかなか気付くまい。藁葺の巨大な屋根を持つその日本家屋には、一切の灯りが灯っていなかった。手前の家には門扉や玄関脇に明かりがついているが、家人が不在なのか、それとも寝静まった後なのか、背後の家は完全なる闇夜に沈んでいた。
「そっちだ」
と光政が言った。右腕で顔を覆いながら、左手で奥の家を指さしている。「奥の家から強烈な奴が漂ってくる」
「柳菊絵がもう帰って来てるのかもしれませんね」
僕が小声で言うと、坂東さんは右肩に左手を置いて首をぐるぐると回した。
「視えますか?」
と問うと、坂東さんは「ああ」と答え、ぐうう、と目に力を込めて日本家屋を睨みつけた。坂東さんは日本で数人いるかいないかと言われた希少な霊能力、『完全透視術』の持ち主である。いわゆる物が透けて見える一般的な透視術に加え、己が目で見ずとも建物内や周辺のロケーションを立体構造で知覚出来るのだ。半径十メートル程の距離なら、人の気配を感覚で察知できる。相手が霊能者であれば、その精度は飛躍的に上がるという。
「奥に、四人いるな」
「よ」
……四人も、いるのか。
人数はこちらも四人である。だがなんとなく僕は柳菊絵一人を相手にするものと早合点しており、複数を相手にする心の準備ができていなかった。もちろん、家屋の中にいる人間が全員敵とは限らないのだが。
「手前の家には一人しかいない」
「ふうん」
直政が顎を摩りながら意味ありげな声を出し、「便意だな」と言った。
坂東さんはぼかんと口を開け、
「今、なんつった」
と聞いた。直政は真顔で押し黙り、
「王道手段だよ、先に人の少ない手前の家を叩く。な!?」
と話を逸らした。しかし、
「常套手段、な」
と結局は坂東さんに言葉の間違いを指摘されていた。兄さんが間違うわけねえだろうが、と光政が食って掛かるも、恥の上塗りと感じた直政に横っ腹を殴られていた。
「新開、中入れ」
と坂東さんが言った。
「……坂東さんは、行かないんですか?」
「俺とこいつは先に奥の家を調べる。お前は手前から行け」
坂東さんのご指名に直政は顔を顰め、仲間に入れてもらえなかった光政は、
「なんなんだよてめえは、勝手に決めんじゃなえって」
とゴネ始めた。坂東さんは僕から目を逸らさず、僕は彼の真意を読み取ろうとした。一瞬は、気をつかわれているのかと思った。だがこの期に及んで戦力を分けることに意味がないとも思えなかった。
「分かりました」
僕は四の五の言わずにそう答え、光政を引き連れて手前の家に入った。光政は抵抗したが、
「君、奥の家に入れないだろ」
と光政の鼻先に人差し指をもっていくと、流石の跳ねっ返りもしぶしぶ承諾せざるを得ない様子だった。
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