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1.男たち
二人の男がいた。
一人の名は、川辺竜高。26歳の若者だ。
イケメン芸能人みたいだと、よく評される。
長身で細身。モデルのような体つきに、整った顔立ちの美男子。
クールな外見は、ともすれば近づきがたい雰囲気を醸し出すものだが、彼はとても人当たりの良い性格だった。そんなこともあって、誰からも慕われていた。
誰もが知る有名大学を出ており、学歴も確か。豊富な知識と共に頭も切れ、思慮深くて異なる意見も適切に受け入れるという、柔軟性も兼ね備えていた。
高学歴な者にありがちな、他者を見下すようなプライドの高さもなく、誰にでも分け隔て無く接することのできる、人格者だった。
しかも彼は、日本でも有数の巨大企業群である、川辺グループの御曹司でもあった。
完璧だ。何もかもができすぎている。まさに、文句のつけようがない男だと、誰もが彼の事を評する。
もう一人の男の名は、金本浩治。竜高と同じく、26歳の青年だ。
彼は竜高とは異なり、典型的な平々凡々を絵に描いたような人物だった。
外見から既に、のんびりした性格であることがわかるような雰囲気を醸し出している。ちょっとふくよかな体格と、ニキビ面。まとまりの良くない髪型は、お世辞にもイケメンとは言いがたい。
経済面……生い立ちも、竜高とはまるで違った。
彼は、高校を卒業すると同時に地元の小さな町工場に就職し、日々、汗を流しながら働いている。
彼が小学生の頃。ギャンブル依存症だった父親が突然蒸発した。そして、母親が女手一つで育てたという。苦労人でもあるのだった。
決して相容れないような二人はしかし、かけがえのない親友同士だった。
◇ ◇ ◇ ◇
――夜。
竜高は、街の夜景がよく見える、高級ホテルの最上階にいた。
明日は出張の最終日で、ようやくのことで家に帰れそうだ。このところ、やたら忙しかったが、やっとの事で一日が終わる。緊張を解き、今はスマホ片手にリラックスタイムのようだ。
『おーすたっつん。久しぶり』
「よぉコージ。久しぶりだな」
竜高は、若くして巨大企業群のトップという立場になり、日々忙しく働いている。
昼頃に、私用のスマホに浩治からの着信があったことを思い出していた。
時間がなくて、折り返し電話をすることができなかったので、仕事が終わった夜中にこうしてようやく、プライベートの会話を楽しむ事ができていた。
「調子はどうだ?」
街の光を眺めながら、竜高は親友にそう問うた。
『いや、それがさー。このところ何か、ずっと体が重たくってさ。明日休みとって病院に行こうかなって思っているんだ』
「そっか。大事にしてな」
『お前もなー。激務だからって、体壊しちゃだめだぜ? シャッチョさんよ』
「はン。壊しかけてるお前に言われたかねーよ」
利害のない関係。
軽口を交わし、時に笑いあいながら、自然とジョークが飛び交う気やすさ。立場の違いはあれど、二人の良好な関係は今も昔も変わらない。
――小学生の頃に、彼らは出会った。
親の方針で、竜高はあえて公立の小学校に通わされていた。
竜高の両親が言うには、庶民感覚……つまるところ『一般の人達の、当たり前の感覚を、お前には身に付けて欲しい』という思いがあったようだ。
竜高がとてもいいところのお坊っちゃんだということは、周りには知られていた。
とてもではないが、家の格が違いすぎる。話しかけにくい。接しにくい。何かトラブルでも起こした日には、恐ろしくてたまらない。
誰もが腫れ物に触れるかのように竜高を扱う中で、浩治だけが最初からまるで物怖じしなかった。
「忘れちゃったの? 教科書貸すよ」
「あ、ありがとう」
その頃は、登校するのも、学校に持っていく物の準備も、竜高が全て一人でやっていた。両親も執事も、それをいちいちチェックしたりはしない。ミスを犯したのならば、それはそれでいい。恥をかき、反省し、自分で挽回しろとのことだった。
あるとき、竜高はうっかりして算数の教科書を忘れてしまったことがあった。
そういう日に限って教師に問題の回答を指名され、まごまごしていると、隣の席に座っていた浩治が教科書を貸してくれたのだ。
何の見返りも求めていないのがわかる。浩治はごく自然に、にこにこ笑いながら、教科書を差し出してくれた。
ほんの些細なきっかけだったが、それから二人は友達になった。
「竜高くん、いらっしゃい」
「こ、こんにちは」
竜高は浩治の家に、何度となく遊びに行った。
失礼だと思ったし口にも出さなかったけれど、竜高は子供心にも、浩治が住んでいるところが、ボロいアパートだなと思った。
築年数が間違いなく数十年は経過しているのだろう。建物はだいぶ老朽化しており、外壁が一部崩れていたりするのだから無理もない。
しかし、一歩中に入ってみるとその印象は一変する。みすぼらしい家の外観はさておき、部屋の中は整理整頓されていて小綺麗になっており、工夫を重ね、狭いスペースを可能な限り有効に活用しているのだとわかる。
「おやつ。よかったら食べて」
浩治のお母さんは、近所のパン屋にパートとして勤めていた。それ故にか、菓子パンをよく食べさせてもらったものだ。
見た目からして安っぽそうな総菜パンだったけれど、その印象は今と昔では根本的に変わっていた。竜高は今でも、暖かいカレーパンを一口食べた時のことを思い出す。
(あ……)
庶民的な、素朴な見た目だった。けれど……。
一口食べたら、カリッとしていて、中のカレーが程よく辛くてたまらない。今まで食べてきた何よりもおいしいと、冗談抜きでそう思った。
(すげえ……。ウマイ!)
この時。食べ物のうまさとは、決して値段だけで決まるものではないのだと、竜高は悟った。
それは食べ物だけではない。あらゆるものに言えることなのだ。必ずしも金をかけたものが高品質であるとは限らない。
それから、多くの時が流れた。竜高は、浩治とそのお母さんには本当にいろんなことを教えてもらったと思い、心の底から感謝していた。
浩治という男は竜高にとって数少ない、腹を割って話すことのできる親友なのだった。
けれど、悲しいかな。
悲劇というものは道端の小石のごとく、当たり前に転がっているものだ。
余りにも早すぎる、永遠の別れが迫っていることに気づく者は、一人としていなかった。
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