3.望み

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3.望み

「何とかできないのか?」  仕事が終わってからのこと。竜高は所在なく自室をうろつきながら、ぶつぶつと呟いていた。  浩治はまだ、生きているのだ。諦められない。  何とかしてあげたい。どうにかして、力になりたい。竜高は心の底からそう思い、様々なツテを頼りに、何人もの優秀な医療関係者に掛け合ったりしたものだ。彼らの苦労に見合う、高額な報酬を提示しながら。  だけど、浩治の病状はいかんともしがたいようで、成果は皆無だった。 『残念ですが、手の施しようがありません』  ことごとくそう言われてしまい、竜高は絶望感に苛まれる。 「畜生……」  浩治は言っていた。ずっと仕事が忙しくて、必死にやってきていて、痛みを感じる余裕すらなかったのだそうだ。  にわかには信じがたいところだけれど、あいつは一度集中すると夢中になるところがあるから、きっとそれは正しいのだろうと竜高は思った。零細にありがちな、ロクでもない労働環境でひたすらこき使われた挙げ句の末路というわけだ。  竜高は、幼少期に浩治達と接してきたことで、一般の人々がどのような状況に置かれているのかを熟知していた。  それ故に、彼は自分の力が及ぶ限り、責務を果たした。  川辺グループに所属する企業には、法令遵守(コンプライアンス)の徹底を求めた。パワハラや過剰労働などもっての外だと、口が酸っぱくなるくらい部下に言い聞かせた。  適切な報酬と、まともな労働環境を整備した。きっとそれが、多くの人の幸福に繋がるのだろうと信じて。 『まあ、俺の人生はこんなものかな。ちょっとばかり、ツキがなかったな』  ベッドに横たわり、力なく笑う親友……。 『でもな。悪い人生じゃなかったよ。本当に、悪くなかった。お前に会うことができたしな』  強がりか、本音か。竜高にはわからない。ただ、浩治はどこか自分に言い聞かせているかのように、竜高には感じられた。 「ふざけんなよ畜生が」  それは、彼に向けた言葉ではない。悪意を持った運命を罵っている。若くして逝かなければならない彼に報いるには、どうすればいいのだろうか。 ◇ ◇ ◇ ◇  竜高は思い出す。 「大変だね」  確か、小学生の頃だっただろうか。ある時、浩治は竜高にしみじみと言ったものだ。  竜高は、大企業経営者の御曹司として生まれ、重圧にまみれた人生を否応なしに送らされている。浩治も子供心に、そのしんどさがわかっていた。 「僕には、絶対できないよ」  確かに、その通りだと竜高は浩治に言った。 「そうだね。でも、中にはいいこともあるんだよ? 少しくらいはね」  例えば、いろんな所に連れていってもらえること。その上で、様々な体験をさせてもらえる。それはそれで楽しかった。新幹線に乗せてもらったり、飛行機でいろんな所に連れて行ってもらったり。 「それは羨ましいな」 「でしょ?」  けれど、そんなことはどれもささやかなものだ。  確かに、浩治が言う通り、自分には自由がないのだなと、竜高は思った。正直に、逃げ出したくなることもあるよと、弱音を吐いた。  浩治は言った。 「じゃあさ。誰もいないところに、逃げちゃえばいいんじゃない?」 「そんなとこ。どこにもないよ」  この現代では、世界のどこにいても、見つけられてしまいそう。竜高はそう思ったから、諦めたように言った。 「そうかな? あるんじゃない?」  どこに? と、竜高が問う。浩治は例えばと、空を指差して言った。 「火星とか?」  竜高は笑った。ああ確かに、それはそうだ。あそこはまだ、誰も行った事の無い場所だね。 「いいね。行ってみたいよね」  浩治も頷いた。  二人はその日に受けた授業で、火星という惑星の風景写真を見たばかりだった。かつて、無人探査機が撮影した、地表の様子。それは赤茶けて、地球とそんなに変わらないように感じた。 「月には、もう行った人がいるからね」 「そうだね」  今はまだ、誰もいない場所に秘密基地を作ったりして、引きこもってみたい。そんな子供じみた、実現を度外視した夢の話をしたものだ。 「行ってみたいなあ」  浩治が確かにそう言ったことを、竜高は思い出していた。 「行ってみたいね」  今はまだ、実現性に乏しい夢。  自分達が歳をとり、世代を重ねて、ようやく叶うかどうかといったところ。  果たしてそうだろうか? と、竜高は思った。
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