5.一番を君に

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5.一番を君に

 竜高は、今でも親友の事を思い出す。  遠い、異国の地。地球ですらない場所に、ただ一人眠っている浩治のことを。  かつて浩治は、竜高が持ってきた、最高にバカげた提案を受け入れた。  竜高は、浩治に提案しておきながら、浩治のお母さんが猛反対するかもしれないと、大いに心配したものだ。馬鹿な事を言っているんじゃないよと、怒声を浴びせられる覚悟もした。ぶん殴られたって仕方がない内容だと、思っていた。  けれど、息子が……浩治が満足するならそれでも構わないわと、浩治のお母さんは完全に理解してくれた。 『ほ、本当にいいんですか?』  竜高は思わず聞き返してしまったものだ。すると、浩治は応えた。 『うちは貧乏だから、墓もないしさ。骨もいずれ、まとめられちまうんだよ。見ず知らずの他人と一緒にさ。そう考えたら、火星なんて未開の地に一番乗りして、お墓まで用意してくれるなんて最高じゃないか』  浩治は母親と共に、笑っていた。なるようになるさと、開き直っているかのようだ。  竜高も、なんだかおかしくなってしまって、一緒に笑った。子供の頃から変わらない、楽しいひとときがそこにはあった。  もはや、迷いはなかった。 『たっつん。冗談抜きにやっちゃってくれ。頼むよ』 『わかった。後で、やっぱやーめたとか、無しだからな?』 『言わねーよ!』  そして計画は着々と進み、いつしか出発の時が訪れた。  それまでの間、竜高は手段を選ばず金集めに走った。勿論、法に触れないように。お縄になるのは御免だ……。  人権がどうだの、外野にやかましく喚かれては堪らない。だから、税金なんかに頼ったりはしない。完全な、純民間資本でのプロジェクトだ。 『我ながら、これはとことん公私混同なプロジェクトだよ。浩治』 『全くだな。よく進めることできてるよな』 『だからな。資金の殆どを、俺個人が出すことにした。それなら、誰からも文句は言わせねえ』 『それ本当か? マジかよ?』 『マジだよ』 『すげえなたっつん。恐れ入ったぜ』 『本気だからな。川辺グループを舐めんなよ』  完全に狂ってるなと、浩治は言った。そんな狂った提案に飛びつくヤツもまた、頭のネジが外れているぞと、竜高は言い返した。  生前葬代わりに、病室でお別れのパーティーを開いた。浩治は痛み止めを打ち、少し辛そうにしながらも楽しそうに、気の済むまで竜高や友人達と話をした。これが、最後の別れになるかもしれないのだ。  やがて浩治は冷凍睡眠に入っていった。そうして探査機の付属物として、一体化させられた。  冷凍睡眠から覚めた後は、栄養の補充は点滴で行われ、飢えに苦しむこともない。酸素吸入も、合わせて行われる。浩治が痛みに耐えられなくなったその時がきたら、スイッチ一つでモルヒネが自動で投与されるようになっているという仕組みだ。  浩治が冷凍睡眠に入ってから数ヶ月が経過した頃。遂に、ロケットで打ち上げられた。火星が地球に接近するタイミングを見計らって……。  幸いなことに、打ち上げは無事成功した。浩治も、探査機本体も、特に異常は起きていなかった。  もし、宇宙飛行士が地球と火星を往復した場合、直ちに引退しなければならないほどの、安全基準を越した宇宙線を浴びてしまうとのこと。けれど、浩治にはもはや、そんな心配事はなかった。  なにせ、最初で最後なのだから。 ◇ ◇ ◇ ◇  打ち上げから更に数ヵ月の時が過ぎた。探査機は遂に、火星の重力圏へと入り込んでいたのだった。 『間もなく着陸体勢に入ります』  既に状況は、火星の大気圏突入へと至っていた。オペレータから報告を受けながら、竜高をはじめとした人々は、固唾を飲んで見守った。  地球に比べて大気の薄い火星では、着陸の際の減速が難しく、なかなかの高難度だった。  それでも、全てがうまくいった。  エアバッグに包まれた探査機は何度か地表をバウンドしながら、やがて止まっていった。着陸が成功した後にすぐさま、探査機の状態が確認される。今のところ、衝撃で自壊したりなどの異常はなさそうだ。 『被験者の冷凍睡眠を解除します』  着陸が成功してから数時間が過ぎた。浩治はちゃんと目覚めてくれるだろうか? 生きていてくれているだろうか。竜高にとっては、じりじりとするような時間だった。 『浩治さん、応答願います』  しばらく、無言の時が続く。 『ん……。あー……。はい。浩治、です。聞こえてます』  目が覚めた浩治が、ノイズ混じりの肉声を届けてくれた。いつも通りの、緊迫感の欠けらも無い声を。 『コージ。俺だ。聞こえるか? 聞こえていたら返事をしてくれ』  距離があるだけに、十数分程度のタイムラグがあるものの、会話はできている。 『ああ、聞こえている。生きているよ。大丈夫だたっつん。異常はないみたいだ。……どうやら俺は、人類で初めて火星に降り立ったことになったようだな』  一番乗りという栄光の立場を、親友がくれた。  無限軌道の探査車(ローバー)は、例えるなら車椅子か何かかなと、浩治は思った。随分と高性能なものだ、と。 『すげえよたっつん。辺り一面、赤茶けてる。最高だな』  もったいぶるようにゆっくりと、ドーム型をした探査機のハッチが開いた。浩治がコントロールスティックをゆっくりと倒すと、やがて探査車が移動を始めた。 『うし。いざ、行くぞぉー』  やがて浩治は、火星の表面に降り立っていた。 『いっちばーん!』  はしゃぎながら探査車から降り、立ち上がる。両腕を高く上げ、一番のりを誇る。  それから数時間後のこと。 『なんだか向こうの方に、バカでかい山が見えるな。ありゃ、オリンポス山ってやつか? ああ、たっつん。墓はこの辺でいいよ』    浩治の声を受けて、探査車には新たなコマンドが送られる。浩治が示したその場に、穴を堀り始めたのだ。人が丁度一人入れる穴を。 『おーし。これで、いつ死んでも大丈夫だな。準備は万端だな』  これが本当の、墓穴を掘るってことだ。浩治は笑った。死に場所は、親友が用意してくれた。まったく、優しいやつだなと思った。 『井戸とか出てこねえかな?』  火星にはかつて大量の水があったという。本格的に調べてみたいが、さて、どこにしようか。 『っと。ボーリング調査するんだっけか』  浩治の存在は、基本的には無人探査のおまけだ。無人探査機にて行われる様々なミッションに帯同するように、行動をしていた。  おまけだけれども、無駄にできない最高のおまけだった。 『それにしてもこの宇宙服、すげぇな』  浩治は驚いていた。ある程度の徒歩による散歩を終え、探査車で母機に戻ると、休息の時間が始まった。浩治が着ている宇宙服には、乾燥機能付きの自動シャワー機構が備え付けられていた。スペースもしっかりと確保されていて、圧迫感や不快感といった、居心地の悪さを覚える事は全くなかった。 『水が貴重だから、浄水機能を備えて再利用すると。シャワーもマイクロミストとは。工夫の賜物だね』  事前に説明は聞いていたけれど、驚きの連続だった。 『俺の生命をしっかり維持してくれているんだなー』  浩治の様態は、各種のセンサーを通じて、常時地球へと送り込まれていた。 『身体中、計測器だらけ。そりゃそうか』  火星の表面にいると、人体にどのような影響があるのかを徹底的に調べ尽くすのだ。だから浩治は、限られた時間で気の向くまま、動き回った。 『火星から見る太陽は、何だか頼りないなぁ。冬の日みたいだ』  薄い大気が覆う火星の空は、大地と同じように、赤茶けて見える。地球の青い空とはまるで違う雰囲気だった。 『お。風が吹いてら。からっからだから、埃が酷そうだ。土のグラウンドみてーだな』  そしてやがて、夜になる。浩治は探査機に戻り、入り込んだ。 『夜はえらく冷え込んでいるんだろ? でも、夜空は最高だな。地球は見えないかな?』  二つの衛星である、フォボスとダイモスを見上げながら、浩治は一人ごちた。 ◇ ◇ ◇ ◇  脇腹にズキッと痛みが走る。呼吸も苦しい。 『ぐ……。痛いな』  探査機が火星に着陸してから、かれこれ数日が過ぎていた。  既に浩治の様態は、限界を迎えていた。モルヒネの投入は任意で、自動か、あるいは手動でスイッチが押せるようになっていた。  いよいよ、運命のスイッチを押すときが来たようだ。別れのときが、来てしまった。 『たっつん聞こえてるか? どうやら俺は、そろそろ年貢の納め時みたいだ』  浩治はいそいそと、探査機の近くに掘られた穴の中へと入り込み、寝そべった。後でローバーが、たっぷりと土をかけてくれるのだ。墓標も確か、簡易的なものを設置してくれるそうな。  会話が届くまでの十数分間のタイムラグが、鬱陶しい。 『そうか』  竜高は、静かに答えた。 『そろそろ、この世からおいとまするわ。今まで、ありがとうな。おかげで最高に、楽しかったよ』 『……』  竜高は、親友にかける言葉をなかなか見つけられなかった。ただ、目元を涙が止めどなく流れ落ちていくだけ。ああ、いよいよ死んでしまうのだなと、喪失感が湧き上がってくる。 『お袋も、いろいろありがとう。親不孝な息子でごめんよ。先立つ不幸をお許しください、なんてね。……元気でね。しばらく、こっちに来ちゃダメだよ? 俺の分まで長生きするんだ。一分でも、一秒でも長く』  少しずつ、眠気が込み上げてきた。モルヒネが効いてきたのだろう。 『あ……。暖かいな。痛みも感じないよ。楽ちんだ』  まるで春の日の、朝のよう。ずっと、眠り続けていられそうだ。 『ああしまった。辞世の句を、考えていなかった。最後の最後でヘマしちまった。……人類に栄光あれ。ってとこだな。それと、お袋と、たっつんに幸福を』  もう、残せる言葉は少なくなっていた。 『たっつん。いつか、墓参りに来てくれたら嬉しいなぁ。難しいかな? 頑張れ人類』  浩治のさりげない一言は、竜高に、新たな決意を抱かせるものだった。 『……』  もう、何も話せない。聞こえない。見えない。  それから更に時間がたって、浩治はびくんっと一瞬大きく痙攣し、そして息を引き取った。  静かに、ゆったりと。
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