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6.それからのこと
竜高は激務の間に時々、空を眺め見る癖がついていた。
その度に、遥か遠くの地で眠る親友に、思いを馳せるのだ。
「コージ……」
そんなことをしている間にまた、竜高が業務で使用しているガラケーに着信があった。まったく、息つく暇もない。
「はい。川辺です。どうしました?」
どうやらそれは、業務の指示を仰ぐ部下からの電話だった。
「ああそれは、遅れても構いませんので、余裕を持って進めてください。期日はもうけませんので」
竜高は、穏やかな声でてきぱきと指示を出し、やがて通話を切った。ふうと、溜息を一つつく。
(お前のいない世界は、寂しいよ)
それでも、忙しさによって、いずれこの寂しさにも慣れてしまうのだろうかと、竜高は少し悲しくなった。
――浩治が火星に旅立ち、そして人としての生を終えてからのこと。
それまで、あえて世間には伏せられていたプロジェクトの全容が、竜高の指示によって公開された。
末期癌の男を人柱扱いする是非について、方々で論争が巻き起こったものの、様々な知見を得られたことは紛れもない事実だった。人類にとってそれは、とてつもなく大きな財産になると共に、次の挑戦に向けての布石になったのだ。
また竜高は、今回のプロジェクトは自分が率いている川辺グループへの、大いなる刺激にもなると考えていた。俺はやってみせたぞ? お前達も挑戦してみろ、というようなメッセージだ。
『私は、自分の意思で行くことを決定した。その事について、友人の川辺竜高氏に対する、いかなる批判も認めない』
浩治は火星に旅立つ前に、そんな映像を残していた。竜高が、世間からの批判に晒されるのを防ぐための配慮だった。
『私は彼に感謝している。平凡な人生の最後に、とてつもなく刺激的な体験をさせてもらえるのだから。誰にも文句は言わせない。これだけははっきりと申し上げておく』
その効果はかなりのもので、竜高は感謝したものだ。とにかく文句をつけたい人間は、この世の中にいくらでもいるのだから。
――人類として、初めて火星に降り立った男。無名の、末期癌患者。
不意打ちのように、こっそりと行われたミッション。その成果が世に知られたとき、多くの人々はまず最初に驚き、絶句し、そして少し呆れたように笑った。
アメリカ、ロシア、中国といった先進国の偉い人々は『畜生、先を越されてしまった!』と、頭を抱えたり、舌打ちをしたり、机を叩いたりしたものだ。
よりによって、長期の不況によって全てがケチ臭くなった日本などに出し抜かれるとはと、プライドを痛く傷つけられたようだ。
今の日本に、このような金にものをいわせた大馬鹿プロジェクトを実行する余力があるとは、想像だにしていなかったようだ。それも、一個人の思い付きのようなノリで始まったことだとは……。
その反応に、竜高は口元を曲げながら、悪人のような笑みを見せたものだ。
「へっ。やったな浩治。俺たち、世界中を驚かしてやったぜ? 頭のイかれたジャップどもが、とんでもねえことをしでかしやがったってな。日本なめんなよってんだ!」
いつかまた会おう。
浩治が冷凍冬眠に入る前に、固い握手をした。浩治と竜高は、同じ気持ちだった。
人類と、母と、そして親友に幸あれ。
浩治の最後の言葉を、竜高は忘れはしない。
◇ ◇ ◇ ◇
『うーっす。たっつん元気か?』
『……お前。死んだんじゃなかったっけ?』
『死んだよ? んだから、夢枕に立ってみた。初めてだな』
『気軽に言うな』
竜高は浅い眠りのなかで、親友と話をした。
『いやー。火星旅行、良かったよ。最高だった』
浩治は子供の頃と何も変わらない笑顔を見せた。
『そりゃよかった。数千億はかけたからな。贅沢なツアーだったろ?』
『高っ! そんなにしたんか! ……でもおかげで、最後の最後でド派手な旅をさせてもらったよ』
俺の中で、あいつは生きている。
彼と話をする夢を見るたびに、竜高はそう思うのだ。他人が聞けば、そんなのは竜高の勝手な想像だと言うかもしれないが、どうでもいいことだ。
竜高は、今回の火星探査で得られたノウハウやデータを、可能な限り公開した。世界の誰もが知ることができるように、あえて隠さなかった。
それによって、宇宙開発が活発化するだろうから。
(競争してくれや。思う存分、な)
火星を目指せ。大国の野心に溢れた視線が、赤い惑星に注がれる。竜高はその競争の火蓋を切って落としたのだ。
(俺を、あいつのところまで連れて行ってくれや)
いつの日か、きっと……。行けるものだと信じている。行かせてくれ。友のもとへと。
(その為にゃ、せいぜい長生きしなきゃな)
気付けば時刻はもう、夕暮れ時。
今日はもう、仕事は終わりだ。
「ふう」
竜高は立ち上がり、ネクタイを解いて引っこ抜きながら、オフィスの窓から空を眺めるのだった。
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