もやしホワイト

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 凛子にそれらの記憶はない。だが、須崎の言うことには、どうやら、昨晩、大いに酔っ払った凛子は、宴会の席で何故かそれまでろくに会話したこともない須崎の隣に突然座り込み、弾丸トークを始めたらしい。その時の凛子の話を要約すれば「もやし料理のレパートリーの数で、私に勝てる者はいない」ということに尽き、そればかりを延々話していたそうなのだ。  凛子のもやし料理自慢を聞かされているうちに段々と興味がそそらてきた須崎がそれ程のものなら食べてみたいと口にすると、ならば作ってやろうと張り切り出した凛子は、新年会の一次会が終わると同時に須崎を二十四時間営業のスーパーに連れ出した…らしい。もやしとその他の食材を調達した(会計は須崎持ち)二人は、須崎の家へと行き、それではお手並み拝見という段になって、突如、凛子は人の家のベッドに倒れ込み即爆睡状態となった…らしい。  須崎もしばらくは凛子を起こそうと努力したが、ついには諦め、数時間後、クイーンサイズのベッドの上、酔っ払いと並んで寝たということだった。 「ほら、こんなにもやし買ったのに、どうすんの」  極端に物の少ない冷蔵室の一段を、五袋の大量のもやしが堂々と占有していた。 「俺、料理出来ないから、このまま田伏さんに帰られると、どうしようも出来ないし、というか、そもそも食べさせてくれるっていう約束だったし…」  凛子は自らにじわじわと責任がのしかかってくるのを感じた。もやしとその他を須崎に買わせたのは確かに自分のようだし、それ以上に何より、美味しく食べられる状態のもやしを放置するなんて、もやしに申し訳ない。 「……作るわ」  でもその前にと、顔を洗い口を濯ぐ為、凛子は高級ホテルのような洗面所を借りた。洗面台に置かれた女子の香りムンムンなパッケージの洗顔料とクレンジング剤を見て、やっぱりね、などと下世話なことを思った。  凛子は実家を出るまで、殆ど料理をしたことが無かった。料理をするようになったのは大学進学と共に上京し、一人暮らしを始めてからだ。  自炊の動機、それは100%、食費の節約の為だった。そうして、自分で日々の食材を買いに行くようになってはじめて、凛子は野菜の値段の高さに驚いた。そんな中、破格の値段の食材を見つけた。それこそが、もやしだった。  以来、凛子は家計がピンチに陥ると…月の半分の期間はそれにあたるのだが…食事をもやしに頼るようになった。最初は料理の嵩を増す用途で使っていたのが、耐乏生活の中、いつしか、もやしがメインのおかずになる機会が多くなっていき、そうなってくると、ただ炒めたり茹でたりといっただけでは飽きてきて、凛子はもやしレシピの検索に勤しむようになった。  そうやって、作れるもやし料理のレパートリーを増やしていったのだが…しかし、日持ちしないもやしを五袋とは…酔っ払い過ぎだ。 「はい、焼けたよ」  凛子がキッチンで餃子を重い鉄製フライパンから皿にあけて見せると、須崎は四回拍手した。 「田伏さん、餃子焼くのも上手い」 「いや、マニュアル通りやれば、わりと誰でもこれくらいは…」  凛子は、いつもは餃子を薄いテフロンのフライパンで焼く。慣れない調理器具で上手く焼けるか自信はなかったが、出来上がりを見る限り、適度に焦げ目がつき皮も破れず、良い感じに焼けた。 「もうこれでおわり?だったら田伏さんも座って食べなよ」  二日酔いの人間に七品もの料理を作らせた人物にそう勧められ、凛子はどっかりと須崎の向いの席に座った。凛子は出来立ての餃子をつまみつつ、食卓に並ぶ既に空になっている皿やボウルを眺めた。それらに入れて須崎に供した料理はナムル、バター醤油和え、卵とじ、中華スープ、わかめと合わせた和風サラダ、カリカリベーコンと炒めたもの…。そうして、今二人で熱々を食べているのが、もやしとツナの餃子。これだけ料理しても、消費できたもやしは三袋。もやしのコスパ、おそるべしである。  それにしも、もやしばかりをこれだけ食べて、飽きないのだろうか。凛子は特に美味しそうにでもなく淡々と餃子を口に運ぶ須崎を見た。 「…無理して食べなくて、いいんだよ」 「えっ?無理してないけど?」 「作っといてなんだけど、飽きない?全部もやしだし」 「味は違うから。それに、なんか田伏さんの料理、懐かしい味なんだよな」 「そう?私が作ったのって、ネットで調べたレシピばっかで、『おふくろの味』みたいな感じじゃない筈だけど」  須崎は箸を一旦箸置きに置くと、右斜め上の空に視線をやった。 「一般的に懐かしいというより個人的に、母親の料理の味に似てるのかなぁ。俺の母親、俺が小学生の時に父親と離婚して家出て行ったんだけど、それまではこんな感じの味の料理、よく出されてた気がする」  凛子の料理の味付けといえば、和風や中華の顆粒だし、チューブのニンニクと生姜、めんつゆ、ごま油…。 「…お母さん、庶民的な料理作ってたんだね」  「手抜き料理」とは、須崎に告げなかった。 「田伏さんの料理、本当に母親のに似てるんだよなぁ」 「あのさ、…余計なお世話だけど、いや、私は他人だからいいんだけどね?例えば、付き合ってる人の前ではお母さんの料理がどうとか、言わない方がいいよ」 「えっ?そうなの?」 「そうなのって、言っちゃったことあんの?」 「どうだったっけ?作ってもらったの、大体ハンバーグとか空揚げとかの肉々しいのだったから、あんま比較はしてなかったと思うけど…」  確かに、凛子も彼氏がいたとして、もやし尽くしの貧乏懐石は出さない。というより、友達にも家族にだって呆れられること必至なので、もやしメインの料理ばかりは披露しないだろう。そんな究極にパーソナルな料理を、よく知りもしない金持ちのイケメン坊ちゃんに出してしまったとは…。目覚めのショックと二日酔いの体調不良とで気付いていなかったが、とてつもなく恥ずかしいことをしてしまったかもしれない。 「……食器、洗うね」  急に居心地が悪くなってきた凛子は、食卓の食器類を回収し、シンクで洗い物を始めた。キッチンカウンターの向こうの須崎が「そういえば、この家、食洗機あった。使う?」と聞いてきたのは、凛子がもう半分以上食器を洗い終えた後だった。 「…使い方わかんないからいいや。あと少しだし。でも、乾燥とかした方がいい?」 「別に。そのままでも渇くだろうし」  見た目もそうだが、本当に生活感のない人だなぁと凛子は須崎に対しいっそ感心しつつ皿洗いを終わらせると、いよいよ帰ろうとし、そして、そもそもの課題だった件を思い出した。 「もやし、二袋残っちゃったね。須崎君、なんかに使う?」 「俺、料理しないから」 「だよね。じゃあ、私が貰って帰るわ」  凛子は冷蔵庫から、もやしが入った袋を取り出した。いつも買っている物より上等な物である気がするが、しかし、もやしだ。二袋分で百円置いていけば十分だろう。計算しつつトートバッグにもやしを仕舞おうとした凛子の手を、須崎が掴んで止めた。 「……お金、払うよ?」 「えっ?いや、そうじゃなくて、持って帰るの?また作りに来てくれればいいじゃん」 「………」  凛子は須崎の発言の意図をはかりかねた。彼は、何か思い違いをしているのではないだろうか。 「……もやしって、日持ちしないよ」 「そうなの?」 「大体、二、三日。もっと長持ちさせられる方法もあるらしいけど、私は二回くらいで使い切っちゃうから、やったことないし、その方法でも、もって半月くらい?」 「じゃあ、明日か明後日、来てくれればいいじゃん」 「えぇ~っ!?」  なんという、我儘。それとも、酔っ払いが人の家に無理矢理泊まった場合、もやし料理を二食分作るなんてことは、世間一般においてはして当然の罪滅ぼしなのだろうか。  苦い顔をし、いいとも嫌だとも答えない凛子に、須崎は言った。 「昨日の田伏さん、もやし料理についても熱く語ってたけど、俺に関しても言ってたじゃん。顔が良いって、俺の顔が滅茶苦茶好きだって。その顔、見においでよ」
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