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宝多剛が二十五歳の時、彼には生田絵梨香という年下のガールフレンドがいた。
この話は剛が絵梨香の家に行くまでの道中で起こった出来事をかいつまんだものだ。
きっと、今この瞬間にもこういった他愛のない出来事は世界のどこかで生まれている。
誰もそんなことはしないと思うが、その数を数えるのは難しい。なぜなら、星を数えるのと同じでその数はあまりに多く、その輝きはあまりに小さいからだ。そして、夜空を見上げれば当たり前のようにある星と同じで、友達の家に行くことや、家に帰ることはどう転んでもドラマチックではない。
しかし、彼と彼女、剛と絵梨香の視点になれば意味が変わってくる。それは彼が彼女のことを思い一喜一憂しながら一歩一歩、彼女のもとに近づいていく話になるからだ。望遠鏡を覗き込んで見つけた星の輝きに興奮したり、流星を見つけて祈ることはやっぱり特別だ。
個人的な体験はふたりの感情を揺さぶり、行動を起こす燃料になる。その一瞬一瞬にかける思いは二人にしかわからない。
しかし、当事者であったとしても、この時の気持ちに意味を見つけられるようになるのは、出来事が過ぎ去った後なのだ。生前に評価されなかった画家の絵画に度肝を抜かれるような価値が付与されることがあるように、喜びも悲しみも、幸も不幸も、愛しさも憎しみも、何もかもが後からだ。
ただ、あの時を振り返ってしみじみと思い出に浸ることができる時間は限られている。言い換えると期間限定ということだ。
その期間というのはふたりが出会ってから別れるまでではない。
ふたりが出会ってからふたりが死ぬまでの間だけなのだ。
つまり、生きている間だけなのだ。
夜空で輝く名前も知らないあの小さな星はもう存在しないのかもしれない。遠すぎて実感が持てない。
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