伯爵家の花嫁

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「ええぇー。無理ですぅ! こんな結婚、わたくしには絶対に無理ですわぁ!」  鼻にかかって甘ったれた声が、廊下の向かい側にある洋室から、小夜子(さよこ)のいる台所にまで響いてきた。 「ねえ、お母さまぁ。お母さまなら、お分かりでしょ。そんな恐ろしい人のところへお嫁入りなんかしたら、百合子(ゆりこ)はきっと、死んでしまいますわ!」  そして、幼児みたいに泣きじゃくる声。  ――母親に甘えて泣きわめくにしても、もう少し小さな声でできないものかしら。  古びたかまどの前でお湯が沸くのを待ちながら、小夜子はため息をついた。 「お母さまだって、おっしゃったじゃありませんの。女の幸せは殿方次第、百合子が心からこのお方、と望む方が現れるまでは、焦ってお嫁に行かなくたって良いですよって!」  百合子の声はますます大きくなってくる。この分では、隣の居間で待たされているお客さま方にまで聞こえているかもしれない。  洒落た擬洋館ではあっても、恩田(おんだ)男爵邸は平屋のこぢんまりした建物だ。専用の客間を設ける余裕はない。客を迎える時は、ふだん家族が集まる居間へ通すしかないのだ。
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