60人が本棚に入れています
本棚に追加
――そうね。どうせなら、裏庭で鶏も飼えないものかしら。今は、あちこちの名家が北海道や北関東に牧場を持ってらっしゃるもの。我が家もそれに倣ってとか、なんとか……。
その時、
「お茶はまだなの、小夜子さん!」
百合子の私室にいたはずの恩田男爵夫人華子(はなこ)が、突然、台所の引き戸を開けて小夜子を怒鳴りつけた。
正確には、華子は前男爵未亡人だ。
華子の夫、百合子の父であった第二代恩田男爵は二年前に他界し、爵位は当時三歳だった長男の陸也(りくや)が継承した。現在五歳の陸也は、実母の二美(ふみ)とともに千駄ヶ谷で暮らしている。
廊下から戸を開けたものの、華子はそれ以上入ってはこない。華族令夫人たるもの、台所になどけして足を踏み入れないものだという、ゆるぎない信念を持つからだ。
「もう少しお待ち下さい、奥さま。すぐにお湯が沸きますから」
「ああ、もう、遅いわね! どうして瓦斯を使わないの」
――瓦斯代が払えないからですわ、奥さま。
最初のコメントを投稿しよう!