■ 長 月 ■

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 コーヒーフロートを奢るよ。というメールが数日前にユアから来た。この前の四角い顔のストーカーもどきを追い払ったことを章吾から聞いたらしい。山内サンに奢ってやれば、と返信したら、じゃぁそうするとユアは返して来た。それきりメールは来ない。  ありがとうって送れば良かった。  瑞輝はほんのちょっと後悔しながら、トキワショッピングセンターの楽器屋にいた。買い物に付き合ってくれた泰造が、愛娘の花梨のために電子ピアノを検分している。花梨が習いはじめたんだそうだ。まだ弾くとかいうレベルじゃないらしいが。  瑞輝は隣の子どもが楽しそうに鍵盤を叩いているのを見て、自分も別のピアノの鍵盤を押してみた。  懐かしい音がする。中学生の頃、二宮さんにこっそり教わった『きらきら星』。ユアにいつか聞かせてやろうと思ったんだけど、結局卒業するまでそのチャンスに恵まれなかった。  今ではそれで良かったと思う。瑞輝は鍵盤に置いた自分の指から腕へと視線を上げる。中学生の頃よりもハッキリして大きくなった痣。そして鏡で毎日見る右目の傷。茶髪に茶色の目ぐらいなら、まだ何とか。でも今の姿は誰でも嫌がる。おまけに感覚さえ人と違う。話が合わない。テレビや漫画の話さえできない。薬が効かないとかいう変な体質もある。  別に俺はそれが俺だから構わないが、向こうは嫌だろう。コーヒーフロートなんて義理はいらない。謝礼がほしくて対決したんじゃない。 『きらきら星、豪華バージョン』と言って二宮さんが教えてくれた曲を弾いてみる。あの頃は真剣に練習した。金剛寺の併設保育所に行って保育士の手を煩わせたほどだ。真面目にユアに聞かせたいと思っていた。途中までだったが、なんとなく指が覚えている。  瑞輝は自分自身に満足して、フンと顔を上げた。  向こうの楽譜コーナーから、こっちを見ている女子高生と目が合う。 「ビックリだな、おまえ、ピアノ弾けるのか」  後ろから泰造が頭を叩いた。瑞輝はそれを振り払って前を向いた。嘘だろ、おい。 「何だ、友達か?」泰造は楽譜コーナーの子と瑞輝を見比べた。そして「ああ」とうなずいた。「中指姫か?」 「うるせぇ、黙ってろ」  瑞輝が言うと、泰造はハイハイと笑いながら瑞輝の肩を叩き、ごゆっくりと耳元で囁いた。
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