■ 長 月 ■

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 伊藤の車は国道へ出て、軽快に走り始める。帰宅ラッシュとは逆方向にあたるようだ。瑞輝は車窓をぼんやり眺めた。遠くにチラリと海が見えた。 「伊藤さん」  瑞輝は窓の外を見たまま言った。 「何でしょ?」伊藤が火のついてない煙草をくわえたまま言う。どこかの信号で火をつけようと思っているらしい。 「俺にはそういう罠とかわかんないから、教えてください」 「ほぉ?」伊藤は意外そうに声を上げた。「教えて君が聞く耳を持ってるならねぇ」  瑞輝はチッと思ったが、ここは頼るしかないこともわかっている。なんだかんだ言って、伊藤さんの言うことは正しかった。命令口調なのは気に食わないが、大筋において間違ってない。 「聞きますよ。でも俺をいつまでも小学生みたいな扱いしないでください」  ふんと伊藤は鼻で笑った。「よし、中学生に格上げしてやろう」 「高一なんですけど」 「似たようなもんだろ。そういう扱いしてほしければ、もっと賢くなることだ。よぉく勉強教えるように黒田君に伝えておくよ。あ、そうそう、ヒーリングの方法を教えて欲しいんだって? いい先生いるよ。紹介してあげるよ」 「怖い人じゃないですか?」 「怖くないよ、厳しいけど」 「それって一緒じゃ…」 「バカだなぁ、それを一緒にするから君はまだまだお子さまなんだよ。将来思うんだよ、ああ、あの先生に学んで良かったって。君は何年後かに僕に感謝するね。間違いない」  瑞輝は窓にもたれたまま、伊藤をチラリと見た。 「ありがとうございます」  瑞輝が言って、伊藤は耳を疑った。「はぁ?」 「ありがとうございます」瑞輝はもう一度言った。 「何だ、急に。何か魂胆があるだろ」伊藤は眉間にしわを寄せる。 「別に」瑞輝は車窓の景色に目を戻した。「将来言わなきゃいけないなら、今言っておこうと思って」  伊藤は顔をしかめたまま、赤信号にブレーキを踏んだ。そして煙草に火をつける。運転席側の窓を少し開く。少しぬるい風が車内に入って来た。  瑞輝は助手席のシートに深くもたれ、目を閉じている。寝る気だろう。  ふんと伊藤は煙草の煙を開いた窓に向かって吐いた。  そうだな。ちょっとは大人になったって認めてやってもいい…かな。ちょっとは。
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