30人が本棚に入れています
本棚に追加
四月。桜が散ってあっという間に葉が茂り始める季節。
放課後と週末がほとんど龍清会の予定で埋まっているのは気の毒に思うが、飯を食いながら居眠りを始める瑞輝を見て、ちょっとは勉強もやれよと晋太郎は思うのだ。三者面談で怒られるのは保護者の俺なんだぞ。
「こら」と晋太郎は瑞輝の頭をはたく。
驚いて瑞輝は目を開いて晋太郎を見た。「何」
「何じゃない。今、寝てただろ。宿題は終わってるのか。こんなこと高校生に言いたかないんだけどな」
「やるよ、やる」
瑞輝は少し残っていた茶碗の白米と、みそ汁をグイッと口に押し込んで、箸を置く。「ごちそうさま」
彼はさっさと皿を流しに持っていき、自室に帰ろうとする。
「見てやるから、持ってこい」晋太郎は瑞輝の背中に言った。
「大丈夫だよ」不機嫌そうに瑞輝が振り返って言う。
「わからなかったら持って来い」
「わからなかったらな」と瑞輝は台所を出て行った。
静かにやりとりを見ていた母、政子がお茶を飲みながら小さく首を振る。
「あれは五分で寝てしまうね」
晋太郎は母の予言を聞いて肩をすくめた。だいたい彼女の予言は当たっている。後で覗いて起こしてやらなくては。
「晋太郎、瑞輝が学校か龍清会のどちらかを辞めたいって言ったら、ちゃんと話を聞いてやるんだよ」
政子は晋太郎をじっと見て言った。
「わかってます」晋太郎は彼女に向き直って答えた。
「今でも相当無理してるんだろ?」母は何でもお見通しだ。だてに入間喜久男という変人と添い遂げたわけじゃない。彼女は彼女なりに何か感じるものがあるのだろう。
「ええ、まぁ」晋太郎は言葉を濁してうなずいた。昼間、瑞輝が吐いたことは黙っておく。
「黄龍の役目を果たす事が、弟の供養だと思っているんだろ?」
「そうですね、あと、高校進学もそうです」
はぁ、と母はため息をついた。「両方? 逃げ道がないじゃないの」
「そうなんですよね。だからこっちから辞めろとは言えなくて」晋太郎は困惑顔で言った。そうなのだ。そこが今の問題だ。奴は無理をする。無理をするだけの体力もある。龍清会が龍気と呼んでいるものの中には、瑞輝の驚異的な回復力も含まれる。一晩寝れば多少の傷は癒える。普通なら数ヶ月かかる怪我を、瑞輝は数週間で治す。それでもその場その場ではしっかりと傷は負っているのだ。毎日傷を作り、治し、また傷を作る。その繰り返しがキツくないわけがない。
「弟が化けて出て来てくれないもんかね、兄ちゃん、無理するなって」母は冗談混じりに言う。
「そうですよね、俺はこんなバカな学校に進学されてもうれしくないぞってね。向こうは成績優秀だったそうだから」
「晋太郎、それ瑞輝に言うんじゃないよ」
「言いませんよ」晋太郎は母に睨まれて肩をすくめた。
言わなくても瑞輝は知っている。弟の方が人間界的には適応できていたということを。成績優秀、人柄も良く、学校でも人気者。家でも頼りになるお兄ちゃん。町に出れば『龍憑き』だの『縁起が悪い』だのと言われて避けられることもある自分とは全く違うってことを瑞輝本人が一番良く知っている。だから瑞輝は今も納得していない。どうして自分が残され、弟が失われたのか。その答えを『黄龍』という信仰対象であることに求めている気がしないでもない。
「がんばらなくても、この家にいていいんだよって言ってるんだけどねぇ」
母がため息をつき、晋太郎もうなずいた。
「というか、瑞輝は家族ですから」
晋太郎が言うと、母、政子は少し嬉しそうに微笑んだ。
最初のコメントを投稿しよう!