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伊吹山の頂上から山の中腹までは、道が舗装されていない。瑞輝はその山道を三十分ほどかけて下りる。中腹の舗装された道が終わるところには晋太郎の車と一緒に、瑞輝の自転車が置いてある。小遣いを貯めて買った愛しのマリンブルーのフレームを持つマウンテンバイクだ。その自転車に乗って坂を下る。春は風が心地よい。そこから麓まで約十分。途中で車や人とすれ違うことはない。伊吹山は霊山であり、立ち入るのは黒岩神社の関係者のみ。
麓につくと、道は緩やかに平坦になっていく。田園風景が広がる田舎の道だ。踏切があってローカル線が走っている。線路を越えると住宅街が一気に広がり、人通りも増えていく。一応駅前には商店街があり、小さなショッピングモールもあり、映画館もある。もちろん高校生ともなれば、電車で行ける、もっと都会の遊び場で遊ぶ事もあるだろうが、瑞輝の行動範囲は今のところこの辺りで終結している。
ほどなく石垣が現れ、ちょっと大きな寺が見える。それが金剛寺だ。入間喜久男とここの住職が仲が良く、瑞輝は神道と仏教は別だろうがといつも文句を言っているが、あんまり関係ないらしい。じいちゃんの死後、瑞輝に剣術や柔術や精神修養を頼まれた住職の桜木というクソジジイが住んでいる。
金剛寺には保育所が併設されており、柔道場もある。これは桜木の息子の若住職が子ども向けの柔道教室を開いているためなのだが、空き時間には瑞輝がクソジジイに稽古をつけてもらっている。
ここの保育所に、瑞輝も小学校入学前の一年間だけ通った。大きくなってからは修養だとか何とか言って、瑞輝は何度も保育所の手伝いをやらされている。あと寺の手伝いもする。仮にも神社の息子だぞと抵抗していみるが、八百万の神にお釈迦様も入れてくれと言われたら、入れてやると言わざるを得ない。仏教はズルい。
そういう忌々しい金剛寺を通り過ぎ、しばらく行くと瑞輝が卒業した中学校が見える。そのずっと向こうには小学校もあるが、そこまで行かずに角を曲がり北上して高校へ向かう。日丘と言われるちょっとした丘の上に高校はある。だから再び緩い坂道を上がる。
ちなみに、もっと賢い学校が海側にあり、そこは最近新しくできた日丘南高校という。瑞輝が通っているのは歴史の古い日丘高校で、元々は日丘に高校は一つしかなかった。日丘高校と南高校を比べるために、便宜的に日丘高を北高と言うこともある。偏差値の南北格差は非常に大きい。東と西はない。日丘の西は伊吹山から始まる山脈で人口がぐっと減り、東は波賀野というもっと開けた町につながるからだ。
高校の門を自転車に乗ったまま通り抜け、瑞輝は自転車置き場に愛車を置く。チェーンをかけて校舎へ走る。チャイムが鳴りはじめている。
学校生活は地元ということもあり、そうそう中学とは変わらない。瑞輝は孤独を愛するタイプなので、努力して友達を作ろうとしない。別に友達がいなくても学校生活に不便はない。『龍憑き』と関わったら不幸になるとかいう陰口を叩かれようが気にしない。
偏差値が低いせいか、ヤンチャな生徒も多い。『龍憑き』ということで、最初にちょっと締めてやろうというセンパイや同級生もいるにはいる。その不穏な空気は感じるが、気にしないでおく。何もわざわざ自分でからみに行くことはない。勝手に向こうから来るのはしょうがないが、自分から睨みをきかせるのは流儀に反する。
とはいえ、金髪であることだけでも十分に目立つのだった。地毛だって言っているのに、入学早々金髪とは生意気なと言っている声が聞こえたのは事実だ。無視だ、無視。俺はここにケンカをしに来たのではない。勉強をしに来たのだ。成績が悪いからといって、勉強する意志がないというのは間違いだ。
靴箱で上靴に履き替えていると、後ろに人の気配がした。別にそれはいい。チャイムが鳴って遅刻気味の生徒が入り乱れる時間帯だ。が、ぬっと腕が突き出て、学生服の後ろ襟を掴まれそうになるのは、普通じゃない。
思わず体を旋回させて、振り向きざまに相手を靴箱に押し付けるぐらいのことは正当防衛だろう。バシンと背中で靴箱に激突した相手は、自分がそうなったことに驚いて目を丸くした。背中の痛みに一瞬動けなくなる。
「ンのやろう」とわざわざ『今から殴りますよ』と宣言してくれた相手を振り返り、瑞輝はその突き出して来た拳の腕を掴んで、殴りたがっていた方向に投げてやる。いや、投げてない。投げる寸前にちゃんと引き上げてやった。さすがにコンクリートで腰を打つとヤバいと思ったから。
三人目がいたが、彼は唖然として何もできずに立っていた。立っている者に攻撃を加えるほど、瑞輝は暇でもなければ、そういう趣味もない。
「すみません、急いでるんで」
そう言って、とっとと、教室へと走る。
えっと、今のは誰なんだろう、と思いながら。
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