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それから保健室へ行って、手当を受ける八人に頭を下げさせられた。
「申し訳ありませんでした」
心のこもってない謝罪に、頭をさげさせた体育教師の安達は苦笑いした。
「おまえらな、ケンカする相手が間違ってる」安達は八人を見た。うち五人はかわいい我が柔道部の生徒だ。もうすぐインターハイの予選だってのに故障させやがったらただで済まないぞ、入間瑞輝め。
「こいつは黒帯とかそういうレベルじゃないから、相手にするな。柔道でいうと…何段だ?」
安達に聞かれて、瑞輝は首をひねった。
「段位取ってないからわかりません」
安達は不満そうに瑞輝を見た。それから生徒たちに目を戻す。
「とにかく、強いのはわかっただろ?」
柔道部は非常に不服そうだ。安達にはその気持ちもよくわかる。柔道部員の話によると、入間瑞輝は柔道では反則になる技ばかりを使って勝ったらしい。そして口々に放たれる非難を受けている間、瑞輝はじっと黙っていた。
言ってもわかってもらえないに違いないと瑞輝は諦めていた。同じことが中学でもあった。剣道部とも戦った。それで反則勝ちだと罵られた。知るか。
「入間がやってるのは柔術と剣術だ。柔道や剣道とはルールが違う。対戦したかったら、まずルールを明確にしてお互いにそれを認めてからやれ。入間、違いを説明してやれ」
瑞輝は目を丸くした。「俺が?」
「おまえ、専門家だろうが」安達は涼しい顔で言う。
「柔道のルールは知りません。さっき何か言ってたけど、手首使うな、首締めるな、スネ打つな…って」
「そう言う細かいルールじゃなくてだな。大きな違いがあるだろ、柔術と柔道は」
そう言われて瑞輝は考えた。
「ああ、オリンピック競技じゃない」
「バカか、おまえは」安達は呆れて瑞輝を見た。
瑞輝は唇を噛んだ。バカだよ。うるせぇな。賢かったら、南高に行ってるっつーの。
「柔術と柔道の違いは、ああ…まぁ、あながちおまえの答えも間違ってないか」安達は笑った。
何なんだ。瑞輝は安達を睨む。
「柔術は逮捕術や殺人術に近い。柔道はスポーツだ。違いはわかるか?」
生徒たちは瑞輝も含めてポカンとしている。安達は小さくため息をついた。
「危険回避と、自ら危険を求めて戦ってるのとの違いだ。スポーツはわざわざ対戦の場を作る。いろんなことを対等にしたうえでな。それに対して、柔術は飛んでくる火の粉を振り払う。相手は体重別で分けられてない。こっちは丸腰、向こうだけが刃物を持ってる場合もある。それでも相手を倒し、できれば相手を生かしつつ、自分も大前提で生きなければいけない。わかるか?」
「そんな大層なこと考えてないけど」瑞輝はつぶやいた。
「おまえは黙ってろ」安達は瑞輝を睨んだ。ややこしくなる。「つまりだな、入間はかなり不公平な状況にも対応できるってことだ。おまえらには百年早いわ」
安達は自分の生徒に向かって言った。百年は言い過ぎた。五十年ぐらいでいいか。
ギリギリと柔道部の生徒たちは悔しがっている。安達はニヤニヤ笑う。悔しがれ、悔しがれ。その気持ちが強くなる。
「百年てことはないだろうけど、俺は単純に言っても二、三年は長くやってると思うよ。二歳ぐらいかららしいから」
瑞輝が言って、安達は口をへの字に曲げた。「おまえ、二歳からやってんのか。おい、小松田、おまえ何歳からやってる?」
小松田と呼ばれた生徒はムスッと瑞輝を睨んだ。睨まれても困る。
「小四です」
「単純にキャリアとしては、八年ぐらいなわけだろ。入間は、十四年てことになる。な、大先輩なわけだ」
それは認めたくない。柔道部は睨み殺そうとしているかのように瑞輝を見る。瑞輝は安達を見た。このぐらいで許してくれないかな、先生。先生は俺を褒めてんのか、柔道部を煽ってんのかどっちだ。俺とこいつらを敵対させて楽しんでるんじゃないだろうな。
「ここで遺恨があるとマズいから、お互いにルールを決めようじゃないか」
安達が瑞輝と柔道部及びケンカ腰の三人に向かって言った。
「怪我をしたくなければ、入間に不意打ちはやめておけ。こいつだって急にやられたら、手加減できないかもしれないからな」
「それは大丈夫だけど、俺は人間ができてないんで、ムカついてやり過ぎることはあるかもしれない」
「黙れ、ガキ」安達は瑞輝を睨んだ。ややこしくなるんだっての。「理由はともあれ、不意打ちってのはどんな場合でもルール違反だ。やめておけ。あとは戦うなら一対一だ。それから、戦う理由を明白にすること。対戦相手以外には迷惑をかけないこと。それから立会人を必ず置くこと。つまり俺だ」
瑞輝は安達を見た。このヤニ臭いオッサンが立会人かよ。
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