■ 清 明 ■

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■ 清 明 ■

 神事というものは、禊やら禁忌やらが多くて面倒だ。入間瑞輝は刀を左手に感じながら思った。右手をその柄に添える。左手の親指で鍔を軽く押し、丁寧にしかし素早く抜刀し、両手で刀を構える。瑞輝の目の前にいる相手のことは、他の誰にも見えないようだが、それはどうもしょうがないらしいと、十五年の人生で学んできた。こんなものが見えないとは。  瑞輝は型通りに相手に合わせる。とはいえ、油断したら向こうも真剣だから、スキあらば斬りつけて来る。相手の技術に不満があると遠慮なく襲いかかる。だからこの神事は敬遠されてきたのだ。とはいえ、敬遠すると不満がたまり、中の物が暴れ出す。元々、この国の神様ってのはワガママで欲深い人間そのものだ。物を貢いだり、金品を捧げたりしなくちゃ、大人しくしてないぞ、祟るぞっていう恐怖政治で成り立っている。そういう相手には、ちゃんと礼儀を通さなければいけない。ちょっとヘソを曲げた神様には、腕のいい交渉人が必要になるのである。  俺みたいな。  瑞輝は相手の力強さに負けまいと、ぐっと足を踏み込んだ。体を捌くたびに汗が落ちる。刀を上げて型通りに構えようとすると、パシッと相手の切先が瑞輝の左側頭に斬り込んで来て、思わず顔をそむけた。首筋にピリリと傷みが走る。斬られたようだ。  この野郎、なめんじゃねぇぞ。  瑞輝は脇を締め、相手との間合いを計る。向こうが瑞輝の刀を跳ねて斬り込んで来るところを、瑞輝は片手で刀を捌き、思い切り相手の入り身に入った。そして重心を下げたまま諸手で横に空間を切り裂いた。瑞輝は背中にドンと何かが乗って来るのを感じて腕をついたが、そのまま腕が木の床にめり込んで行く感覚に襲われた。マズい。引き込まれる。  刀を捨て、両手を床につけて抵抗する。ゴボゴボと床が水面のように泡立ち、瑞輝はその渦に勢いよく吸い込まれる。体の自由がきかず、空気の代わりに水が口に入って来るのがわかる。瑞輝はしっかりと目を開いた。これは幻影だ。幻覚だ。また惑わされてるだけだ。  ドンと右拳で床を叩くと、水が消えた。  呼吸が止まっていたところに、急に酸素が入って来てむせる。胃が反転し、朝から何も食ってないのに胃液が飛び出そうとする。肺が空気をくれと暴れる。ちょっと待てって、俺だって何が何だか。 「大丈夫か」  瑞輝の元に、義兄の晋太郎が駆け寄る。瑞輝はまだ咳き込みながら、合間に胃液を床に垂らす。確かこの檜舞台、重要文化遺産だよな、申し訳ないと思いながら、何ともならない。  落ち着いて来て、タオルをもらって顔を拭いた。首筋の傷もそれほど深くない。表面が切れただけだ。瑞輝は自分で自分の吐露したものをタオルで拭き、檜舞台を降りた。 「どうですか」と神社の宮司が聞く。  瑞輝は檜舞台の真ん中に立っている白っぽい煙を見る。さっきより真っ直ぐに天に向かっている。余分なエネルギーが散ったようだ。 「どうもこうも」瑞輝は袖で顎に伝ってくる汗を拭った。神社の下っ端神官がタオルを受け取りに来てくれたので渡す。 「大丈夫です」晋太郎が言い直した。瑞輝は彼を見たが、文句はつけずに黙って待つ。喋るのは晋太郎の方が得意だ。兄と言っても瑞輝の倍以上生きている。生後数ヶ月の瑞輝が晋太郎の家に預けられたとき、彼は既に大学生だった。 「見事、見事。よくわかんないけど、うまくいったんだよね」  横で見ていたもう一人のお目付役、伊藤光星がやってきて、持っていた封筒を宮司に渡した。 「作業完了書、入ってますから。アフターサービスも無料です。ただ、彼、まだ学生さんなんで、スケジュールによっては応じられない場合もあります。お問い合わせはこちらまで。個人的に彼にご相談されても、うちで一括管理しているんで応じられません。よろしいでしょうか?」  伊藤のビジネス口調に圧倒されながらも、宮司はうなずいて瑞輝に向かって頭を下げた。 「ありがとうございます。お祖父さまの入間さんにはうちも長くお世話になっていたようで」 「血はつながってないけどな」  瑞輝はそう言って、晋太郎に余計な事は言うなとはたかれた。 「入間君、ブツブツ言ってないで着替えてきなさい。次は坂元神社がお待ちなんだよ」  伊藤が言って、瑞輝は「へーへー」と中指を立てた。  晋太郎が伊藤に向かって口には出さずに、すみませんと会釈し、伊藤は腕組みをしたまま瑞輝を見送った。あのガキ、今度やったらボコボコにしてやる。  宮司は唖然として、三人を見ていた。
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